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ショートショート「穴」

そこは、とても煌びやかな場所だった。

(なんて場違いなところに来てしまったのだろう)

これが私の第一声だ。いや、正確には声になど出していない。心の声というものだ。せめてもの抵抗として、パーカーのフードから伸びる紐の長さを左右で揃えてみたものの、 この服装が劇的に変化することはない。

(穴があったら入りたい)

袖口を両方の手のひらで握りしめながら、そっと会場を見回した。履き潰したスニーカーで歩みを進めると、伏し目がちの目線で捉えた足元の床がガラガラと崩れていくような気がした。 錯覚である。

ここはどうやらアトリエのようだ。アトリエといえば、画家がひとりきりで絵を描くような殺風景でこじんまりとした場所を想像してしまうが、高い天井と一面真っ白に塗られた壁や床は、開放感に溢れていた。しかし私は、開放感ではなく窮屈さを味わってる。ふと、握りしめていた袖口を見やると、擦り切れて小さな穴があいていた。思えばもう随分と長く着ている。

まず私は、とにかく壁際を目指した。この世には、「窓際族」という言葉があるぐらいなのだから、壁際だって同じようなものだろう。壁際ならば目立つことはないだろうし、会場内もゆっくり見渡すことができそうだ。しかし、見渡したところで、恐らく私の知り合いは一人しかいない。

「ラフな格好で大丈夫!どうせ身内しか来ないし、せっかくだから新作のジャージで出てこっかなー」

そう言い放ったのは、幼馴染の友人A。この煌びやかな場所を用意した張本人だ。幼馴染といっても子どもの頃の話である。高校進学のため早々に都会へと引っ越していったAとは、中学を卒業してから顔を合わせた記憶がない。そもそも中学生の間ですら、まともに会話をしただろうか。もしかすると思春期特有の淡い気持ちを抱いた日があったかもしれないが、それもとうに昔の話だ。

先日、十数年間ぶりに突然の連絡があり、日時と会場の住所を口にしたかと思えば、一方的に電話は切れた。その勢いに飲まれて、Aが私の電話番号をどこで知り得たのかも聞きそびれてしまった。

『新進気鋭のデザイナーによるスポーツブランドの発表』

日本での知名度は決して高くはないが、海外では知る人ぞ知る存在として注目され始めているらしい。......というのも、先ほど周囲の会話から知った。幼馴染とは形ばかりだ。私は、幾度目かの(穴があったら入りたい)という気持ちを押しやりながら、

(もはや落とし穴すら歓迎したい)

とまで考えていた。そうこうしているうちに、ふっと会場の照明が消え、スポットライトがつく。そこに現れたAは、無論ジャージ姿などではない。制服かジャージかパジャマ姿ぐらいしか見たことのなかったAは、ダークグレーのスーツに身を包んでいた。実に、十数年ぶりの再会である。とはいえ、相手は大勢に囲まれて注目を浴びているのだから、面と向かってお互いを懐かしむような状況でもない。そういえば私は、Aの記憶の中にあるよりも身長が30センチ以上は伸びているはずだ。向こうにとっては、ひと目見たところで誰だか分からないであろう。年頃の成長期とは恐ろしいものだ。

さて、話が逸れたようだが、そこで私はようやく落ちた。正確には「落ちてしまった」と表現するべきだろうか。無論、先ほどまで焦がれていた「穴」ではない、煌びやかなものに。

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