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ショートショート「味」

同棲を始めてから2度目の春、3年ちょっと連れ添った彼女が出て行った。今年の花見は一緒に行けなかったなぁ……と、のんきに部屋の窓から外を見ていた。もちろん桜の木など無い。のんきとはいえ、落ち込んではいる。あと、落ち込んでるとはいえ、腹は減る。

僕たちは、うまくいってた、はずだった。

起きる時間と寝る時間、好きなテレビ番組やお笑い芸人、お気に入りの公園。そんな他愛もないものを共通点に、僕らは距離を縮めて、共に過ごすことを決めた。行きつけの居酒屋で必ず頼むメニューも同じだったな。そう、僕と彼女は、少しずつ似ていた。

ただ、それが家事になると、途端に話が変わるの僕たちの面白いところだった。洗濯の嫌いな僕と洗濯好きな彼女、料理の嫌いな彼女と料理好きな僕。風呂掃除や日曜大工、テレビの配線……家事の好き嫌いが気持ちよく分かれていた。恋人とはいえ他人同士が共に暮らすには、とても心地よかった。

まぁ、こうして思い出を頭に浮かべたところで腹の足しにはならない。アラサーに差し掛かった男が、さめざめと泣くのもどうかと思う。そもそも、泣くならとっくに泣いてるだろ。

昼飯には遅く、晩飯には早いが、あり合わせの食材でパスタでも作ることにしよう。冷蔵庫にはトマトと、ちょっと芽が伸びたニンニク。賞味期限が間近に迫ったベーコン。十分じゃないか。

湯を沸かしてパスタを茹でて、その間にソースを作る。いつもの手順で出来上がったトマトソースのパスタは、休日に2人で食べていた昼食と何も変わらない。

ただ、美味しくなかった。

別にマズくはないけれど、何をどうしてしまったのか、美味しくない。1人で食べるから、だなんてロマンチストな話ではないと思う。落ち込みすぎて味覚がおかしくなった、とメンヘラ男を気取った話でもない。寝起きに齧った林檎の味は、いつも通りの林檎だった。ただ物理的に、なんだか美味しくない。

あぁ、そうだった、と思い出す。いつも忘れてしまうが、僕は失恋をすると料理の味つけが下手になるのだ。変だけど、本当の話。

ただ、それはいつも、この先に待っている日常の味気なさを、僕に突き立てる。


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