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私はそれを、意思だと思う。


Palette(パレット)さんの2月のお題が『恋と愛について』なので、久しぶりにこの話題について書いていこうと思う。


・ 「恋」と「愛」ってなんだろう


私にとって、愛とは「誰かに幸せになってほしい」と願うことで、恋とは「あなたが欲しい」と乞い願うことだ。

この理論でいくと、女同士の友情(私は男じゃないので、男同士の友情は語れない)も、"恋"に似たような性質を持っていることがある。

「私以外の子と仲良くして欲しくない」
「私が一番だと思ってほしい」
「他の子と仲良くしていると、ちょっとむかつく」

こういうような感情は、中学生くらいまでは頻繁に向けられていたような気がするのだけど、高校から付き合う友人の性格が変わったせいか、最近はこういった感情に触れていない。

これは『独占欲』という自己愛から派小した感情なのだけれど、この『独占欲』、一般的に恋愛と呼ばれるものにも多分に作用している感情だと思う。

友情にもいろいろな種類があって、私が最近友達になるような子はほぼ全員、私に対して独占欲がない。少なくとも私はそう感じている。
それは、私が相手の独占欲を許容するような相手というのは、もう友人ではなくて恋人になるからだ。


このことを久々に認識したのは、今年の夏、日本に帰っていちばん古い幼馴染に会った時のこと。

彼女は幼稚園の頃から知っている大分古い友人で、上記に挙げたような感情を向けてきていた、いわゆる、独占欲が強いタイプ。結構妹みたいなタイプなこともあって、妹煩悩でそういうタイプに弱い私はついつい受け入れてしまう。

前に会った時もベッタリ感は健在だったのだけど、昔とは私の受け皿が変わってしまっていて、手を繋いできたり擦り寄ってきたりする彼女に、「お前、最近彼氏ができたばっかだって言ってただろ!!!! キスするぞ!!!!!」と内心叫んでいた。心臓に悪い。

そして、その時に気がついた。
昔は友人の枠組みで捉えていた行為を、今は恋人の枠組みで捉え始めているということに
幼少期、女の子同士の恋愛があるということをほとんど知らずにいたので、女の子同士での行為を恋愛として捉えることができなかったのだ。

私の周りの女の子の間では悪ふざけでキスをしていたし、私自身がAセクシャルと呼ばれる性的欲求を抱かないセクシャリティに加えて、極めてAロマンティック(こちらは恋愛感情を抱かない性)に近い恋愛嗜好だ。

社会傾向に呑まれて何も気にせず男女の恋愛を受け入れていた時期を過ぎれば、自覚したのは男女の垣根がほとんどない愛情だった。


・ 恋と愛は両立する


結局、恋とか愛とかいうものはその配分がどうなっているのかでしかなくて、一般的な恋愛関係はその文字の通り両方の感情を含んでしかるべきだ、というのが個人的な意見だ。

また、人間関係というものは、そのどれもが恋と愛と呼ばれる要素のかね合わせだと思う。

恋愛関係になる人たちは恋のパラメーターが高いように感じるし、ある一定の期間を経るとそれが愛に変化していく。

友情は愛のパラメーターが一番高い気がするけれど、そこには恋のパラメーターが隠れていたりするし、はたまたどちらでもなく、ただ「楽しい」という感情だけで繋がっている人たちもいる。

片や私が妹に感じているような一般に『親愛』と呼ばれる感情は、愛のパラメーターが飛び抜けて高く、恋のパラメーターがほとんど存在しない。
アガペーとか呼ばれる概念は多分これに近い。

だからハヤカワ五味さんのnoteで言っているように、「恋愛関係になり得るもの同士での友情は成立する」と言える。
これは、女の子も好きになれる私が、同じく女の子が好きなレズビアンの子と友達関係になったという経験がソースだ。


・ だけど、なんで男女の友情はそんなに問題に上がるのだろう

個人的な見解だけど、これはきっと思いの質が違いすぎることによるものだと思う。
先の言葉に当てはめて言うと、パラメーターに差がある。

片方が性欲を強く持ちすぎていると関係がうまくいかないのは当たり前だし、先に挙げた通り独占欲が強すぎるタイプだと私はそれが女の子でも男の子でも、友情としてうまくいかない。

少なくとも、世間一般に男女の関係というものには性的な恋愛関係のイメージがあるし、その世間にシェアされた男性像、女性像に照らし合わせると、男女の友情は難しいものに感じてしまう。

だけど私には普通に男の友達もいるし、すべての人間がそのイメージに当てはまるとは思えないので、「男女の友情は無理だ!」と言っている人は、きっと自分(か相手)がセックスのことしか考えていないんだと思う。

このnoteを書こうと思ったきっかけのnoteの中には

私の個人的な意見を述べると、恋愛の「好き」は「人として好き」の最上級なのではないかと思う。

という文があって、これは私も「確かにそうだなぁ」と思う。

好きだから手をつなぎたいし、キスをしたいし、セックスがしたい。

もちろん中には「性的欲求を感じない人」とか「恋愛感情を持たない人」とかもいるのだけど、「誰よりも近くにいたい」と思う感情って何よりも強い「人として好き」だと思うのだ。

少なくとも私はそうだし、友情関係から恋愛関係になるようなことも、経験として多かった。


でも、恋愛の楽しさと愛おしさを別に考えている人も私の友人の中にはいるし、「セックスパートナーと、ただ楽しいことをするパートナーと、癒されるパートナーの3人ほしい」と言っている人もいた。(彼は最近、その3つ全てを一人で満たす人と婚約しました。おめでとう。お祝い送るね)


・ 私はそれを、意思だと思う。

まぁ結局、友情も恋愛もその他の関係も、お互いの気持ちのパラメーターが噛み合ってないと成立しないよねって思う。

友情を成立させる気が全くないくせに、「男女の友情って無理だよね、残念」とか言ってる人は去勢したらいいんじゃないかな?
「女(男)はすべて好き」と公言している人の方がよっぽど潔いし、私は好きです。


太宰治の有名な言葉に、

少くとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを、意志だと思う。

っていうのがある。
私が今、幼少期に友情だと捉えていた戯れを恋愛だと捉えるようになったように。そして、恋愛関係になり得る相手との友情を成立させているように、


恋愛が意思なのであれば、恋愛が発生し得る状況での友情も、意思なんだと思います。

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