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壮大な社会実験の果てに

3月で一応コロナ対策禍に終止符が打たれたので、少しずつではあるが日常に戻りつつある。4月は新学期・新年度というのも相まって、朝の通勤ラッシュでは満員電車が復活した。

先進的な働き方としてテレワークが持ち上げられたが、従来通りの出社に回帰してる企業も多々ある。私の現在の勤め先もその例の一つだ。
テレワークと聞くと、「朝ギリギリまで寝れて羨ましい」とか「嫌な上司と顔を合わせることがなくていい」と言った、比較的好意的な意見をよく耳にする。しかしながらコロナ対策禍という壮大な社会実験の名の下で始まったテレワークも、私たちが根を上げてしまい手放すこととなった。

端的に言えば、テレワークというものは、人間≒社会的な動物にとってなかなか肌の合わない代物であったということだ。

老舗のIT企業でお馴染みのサイボウズ主催の座談会で興味深い内容が話されていた。

リモート9割(2021年当時)で社員がどのような点で「リモートワークのつらみ」を感じるかを話していた座談会だ。ただ、ここで挙げられている「つらみ」は到底インターネット常駐民陰キャには理解できないと思うので、ちょっとずつ私見を交えながら、見ていこうと思う。

1.テキストコミュニケーションがしんどい

インターネット常駐民陰キャにとってはあまり信じられないことなのかもしれないが、テキストのみのコミュニケーションというのは相当難易度が高いものだ。語彙力、表現力、伝えたいことを明確かつ簡潔に述べるetc…
どれか一つでも欠けていたら、「しんどさ」を抱えてしまう。
やりとりに「時差」を生んでしまうのも、「しんどさ」の一つだ。
チャットで連絡したものの、オンラインマークになっておりその場にいるはずなのに反応がないと伝わってないのか見逃しているのかなど、よほど慣れていないと精神的に疲弊する。


テキストコミュニケーションが極めて”インターネット的”な特殊なものであり
慣れるには相当な訓練が必要でないといけないが、インターネット民は往々にして無自覚であったりする。
https://twitter.com/nikko81_fsi/status/1479036774207078404より引用

また、チャットのようなテキストコミュニケーションは非常に流れが早く、全てを拾い切るのはかなりの労力を要する。取りこぼしによって、優先度が高い仕事を放置しかけて大事になるかける事態があったりと、行き違いが発生するリスクはそれなりにあり、その場にいれば「大丈夫そう?」と言った声掛けで抜け漏れを未然に防げそうなものですら、あちこちとチャットを追いかけてはリマインドをしなければならなかったりする。(リマインドをしたとしても、本人が集中してて気が付かなかったり、ぼーっとしがちな性格だったりするとリマインドも空振りに終わる)
経験すればわかることなのだが、チャットを追いかけるのもかなりしんどいのだ。

そして何よりテキストコミュニケーションの一番の”しんどさ”は刺々しさによって不用意に相手を傷つけたり怒りを買ってしまったりすることだ。
絵文字をたくさんつければ”おじさん構文”っぽくなり、平静さを装っていてもどことなく文章から嫌味ったらしさが出てしまったりと、あの手この手で対策したとしても、1/3の純情な感情も伝わらず意図しない2/3の悪意な感情だけが伝わったりするのだ。

2.つらい時に吐き出す場所がない

お互いが見えない状態で仕事をすると、不思議なことに自分だけ上手くいってないように見えてしまう現象に陥る。

出社なりしていてお互いの顔を合わせていれば、ちょっとした雑談やランチ休憩で同僚とかにちょっとした愚痴を言うことで、悶々とした感情を解消したり他の人の愚痴を聞くことで「自分だけが上手くいってない訳ではない」とちょっとした安堵感を得たりするものだ。

私は”愚痴を吐くやつは弱いやつ”と新卒の時に配属された上司(3年目で課長になってる超人)に言われたのだが、それはあくまで気軽に愚痴を吐きやすい対面の環境だからこそ効力のある(口ばっかり動かさずに行動しろ的な意味)言葉で、テレワークみたいな本当に一人っきりで仕事していると吐かなきゃいけない時ですら溜め込んでしまうだけとなってしまう。負の感情を溜め込んでしまうと、人間の心というのは簡単に折れてしまう。(経験者談)

お恥ずかしい話ではあるが、私の勤め先で新卒の早期退職や休職をよく耳にする。つらい時に吐き出せていれば変わったのかもしれないと思うような気質の子たちばかりなので、やるせない気持ちになるばかりだ。

そしてつらい時の吐き出す場所としてチャットは絶対に選ばれない。文字として永久に残るし、何よりテキストコミュニケーションの”しんどさ”によって伝わらなかったり思わぬ誤解を生んでしまう可能性があるからだ。
しかし、勇気を出して吐き出さないと”存在しない悩み”として無視されてしまう。リアルであれば多少の異変など気付けるのに。

3.飲み会ができないor難しい

インターネット常駐民陰キャからすると、シュバってきて反論したくなる内容だ。おおかた反対派の意見は想像できる。「お酒が苦手」「仕事以外でコミュニケーションを取りたくない」etc…そんなのが理由だろう。

会社の飲み会というのは確かにめんどくさいものかもしれない。ただ、参加してみれば60点くらいでそこそこ楽しいものだったりする。それなのに全く楽しくない0点かジャンキーになるほど楽しい100点の2択でしか考えられないのは、いくらなんでも幼稚すぎる。

テレワーク状態でも飲み会を開催しようとすればできる。ただ、各々自宅にいるため集合場所によっては参加できなかったり、オンライン飲み会だなんてやってもWi-Fi環境にばらつきがあり(不自然なレベルで)会話に入れなかったりと燦々たる結果に終わりがちだ。

飲み会という飲み会が大嫌いなインターネット常駐民陰キャにはわからないかもしれないが、食事の席は人となりを掴む絶好のチャンスだったりする。もっと仕事をガツガツしたいという後輩の愚痴を聞き出したり、子供を溺愛するママ社員の話を聞き出したりと上げていけばキリがない。
仕事をガツガツしたいという愚痴を後輩から聞き出したら難しい仕事をあえて振ってみたりと派生させることはできる。

大変心苦しい話なのかもしれないが、60点くらいの見出せず、飲み会悪玉論の”ドッキリ”に引っかかってると、優しくかつ残酷な形で人はフェードアウトしていき、気づいたら孤立無援な状態になってしまう。
↓のように飲み会叩きは適度にいいねを稼げる一大コンテンツだ。

インターネット常駐民陰キャの壮大な”ドッキリ”に引っかかってしまい、悲惨な会社員人生を歩もうとしている人が毎年観測されてしまう。

忘れてはいけないのはみんなは大谷翔平なんかではない。
決して100マイルを超える速球を投げる才能もなければ、ホームランを量産できる才能もない。ましてやそんな才能が仮にあったとして、一般人にできることはダラダラとYouTubeを見て時間を無駄にすることだけだ。
才能もなければ、その才能を研磨することすらない怠惰なのが人間なのだ。
しかし、そんな人間でものらりくらりとやっていく一つの処世術が飲み会●●●なのだ。

凡人が生き抜く処世術を封じられてしまえば、必然的にハードモードに突入するのは想像に難くない。

4.仕事が成果物だけでしか判断されない

一見すると仕事の成果だけで評価されるのはいいことなのではないかと思うかもしれない。しかしこれは成果主義とは程遠いものだ。結局のところ業務委託した派遣社員の如く、ただ淡々と黙々と仕事をこなすだけとなってしまい、ましてやミスすることはもってのほか。仮にミスなく100点満点の内容の結果を出したとしても、それがスタートライン。何も加点の要素はない。

ミスをしないことを最優先で動いてしまうように舗装されてしまうのだ。

もちろんミスをしないことは素晴らしいことだ。しかし、ミスをしないことだけを最優先で動こうとすると、ぎこちない働き方になったり自己中心的な振る舞いになってしまったりと散々なことに。1~3で挙げたように自分のパーソナリティを見せることなく、仕事では100の結果だけを求められるのは正直相当精神的な負荷がかかる。
まだ既存の社員であったら多少はマシなのかもしれないが、中途社員・異動社員・新入社員などは、かなりの”しんどさ”を感じてしまったのではないだろうか。

持ちつ持たれつ。誰かがポカをするかもしれないけど、みんなで笑ってカバーをする。仕事中の何気ない雑談を含め、対面でコミュニケーションをとって人となりを掴むからできることだと思う。
人間を機械的な労働力として変換するには、テレワークというのはちょうどいいのかもしれない。しかし、よほどの適性がある人以外は音を上げてしまう格好となった。
(フルリモートをしてるパパママ社員と独身社員の軋轢のようなものが徐々に可視化されつつある。悪い意味で平等という言葉が使われ、誰も幸せにならない未来が手招きしている。)

散々テレワークを導入しない企業は遅れてる!などと煽られたりはしたが、いざ導入したら先進的すぎて人間の肌に合わない結果となった。
導入を見送ったり、テレワークを制限かける企業は決して遅れてない。
「いやいや俺はフルリモートでも大丈夫だし!」と反論をしてくる人もいるだろう。
先に言っておく。

あなたはマイノリティだ!!!!!

マイノリティ中心にすることに蛇蝎の如く嫌ってる保守派には刺さるだろう。マイノリティはマイノリティとして尊重されなければならないが、増長して「自分が快適な生活を送れるようにお前も合わせろ」となれば、弁えろ!と怒鳴るだろう。それと同じことだ。
人とコミュニケーションを絶っても問題ないのは立派な特殊な人だし、立派なマイノリティだ。自分の持つ”マイノリティ”を盛大に掲げて、我が物顔で声を荒げれば、普段批判している左翼と何が違うのだろうか。
鏡がそこにあるのなら、自分の顔をぜひ写してほしい。

バスに乗り遅れるな

コロナ対策禍に終止符が打たれ、日常が戻った。
それでもなお、「反マスク・反ワクを許すな」と言わんばかりにいつまでもインターネットでしか極論叩きをすることしか能がない人がいる。
そんな人たちに問いたいのは、こうした世の中の空気を肌で感じ取れてるのだろうか。世の中の流れ・空気感というのをいかに素早く肌で感じ取れるか。壮大な社会実験後に戻った日常で試される資質なのかもしれない。

バスに乗り遅れるな

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