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年相応の格好良さ

来月の8月で誕生日を迎える。
年齢は伏せるがオリックスの森友哉、若月健矢、山岡泰輔と同い年だ。

私はストレートで大学に入学・卒業したので、21になる歳の夏から就職活動を始めた。アベノミクスの恩恵はまだあったものの、やはりガチって取り組まないとNNT(無い内定)となって絶望する未来が待っているので、それなりに頑張った記憶がある。

就職活動で評価される・ウケがいいのは「リーダーシップ」だ。
多くの就活生はあの手この手でウケのいい「リーダーシップ」をガクチカ(「学生時代に力を入れたこと」の略。就職活動の面接で一番聞かれる項目)に盛り込むのだ。
生まれてこの方、学級委員長すらやったことがない”その他大勢”を貫いてきた私にとって、割と厳しめな壁にぶちあたってしまった。
ゼミの研究内容の話とかもしていたが、サークル活動の話(サークル活動とバイトの話は「皆する話」の代表格なので没個性的な印象を持つ人もいる)の方が通過率・内定率が良く、大人になって改めて感じることがあるので今回はそんなことを書いていこうと思う。

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私が大学時代に所属していたサークルはビジコンなどに参加するのが主な活動内容だった。宣伝会議販促会議のコンペに応募したり、全国の大学では似たようなサークルがあるので、その内輪での大会に参加したりなどしていた。〆切が近くなると友人の家で何連泊もしたり、夜中に友人とゲラゲラ笑ったり、何か知らないけど揉めたりしたのは若気の至りなのだろう。

想像に難くないと思うが、こんなサークルに来る奴らは総じて「友達いないの?」と疑いたくなるくらいクセがあるし我が強い。先輩・後輩・同級生関係なくだ。主体性ゼロ人間の私はそんなパクチーみたいな人間たちに囲まれて、何とな〜く一緒に活動していた。

ただ、何となく参加してるだけなのも癪なのだ。やるからには足手まといになりたくないし、爪痕は残したい。でも我が強い連中と競争するのは嫌。そんな死ぬほどワガママだった自分が出した答えが、誰もいない土俵を見つけて居座ることだ。自分が”最初の一人”になってしまえば、それだけで尖ったものとして見てくれるだろう、そんなセコイ考えでウェブデザインを独学でやるようになった。
「ビジコンとかやってるくせにウェブはやってなかったのかよ」と呆れてる人もいるかもしれないが、文系大学の学生特有のコーディングという行為に対する心理的ハードルがありえないくらい高いため敬遠されているという事情があるのだ。

自分の”尖り”を見つけたが、同時に”みんなと同じ土俵で勝負できない”自分に情けなさを感じてしまい、かなり悩むこととなった。

そうした悩み・コンプレックスを抱えたまま、悶々とした日々を過ごし勉強して、最後の大会を終えて引退となった。前述の通り、3年の夏〜晩夏頃から就職活動をしなければならないので、基本的に初夏に行われる大会で引退となる。(余裕のある人は秋の大会にオーバーエイジ枠的な感じで出場して、後輩たちに格の違いを見せつけるのがお家芸だ)

案の定、自分の同期たちも秋の大会でオーバーエイジ枠的な感じで出場して格の違いを見せつける気が満々だった。
そんな中、同期でサークルの代表からこんな話が来た。

「何かさ〜OBたちがさ〜HPホームページが古いって言うんだよね〜お前、そういうの詳しいじゃん。やってよ!」

秋の大会では代理店などが審査員として来る、その中で爪痕を残せば就活での箔が付く。そんな中での唐突なお願いがきた。正直断るべきだったと思う。同期しかいないチームに入って、自分のこれまで勉強してきたことの集大成をぶつけるべきだったかもしれない。だが、我が強い同期たちには敵わないだろうと諦めてしまった。

とは言っても、自分一人で作りきったらポートフォリオとして提出できるので、就活においては大きなアドバンテージになる。
ただ、生まれてこの方リーダーという役目から逃げてきた性格のせいか、自分一人で周りを巻き込んでやる気が全くなかった。

「友達いないの?」と疑いたくなるくらいクセがあるし我が強い人間が集まるコミュニティに属していたが、当然そんな組織では挫折する人間が大勢いる。「自分はこんなにガチになれない」そんな弱音を吐いてる人たちを見てきた。同期の代表がいらない気を利かせて大々的にHPの作り直しをいってしまったため我が強い人間たちが「俺・私にやらせろ」ときたが、声の大きい人間たちにチャンスを取られてしまうのは、何となくいい気がしなかったので、比較的おとなしめな子たちに任せてみることにした。

私「Aくん、フロントエンドの勉強してるんだって?」
A「ねずぴかさん、楽しそうだったので僕もやってみようかな〜って笑」
私「じゃあ今度のHP作り、お前に任せるわ。」

私「Bちゃんがファシリテーションすると和むね〜みんなギスギスしない」
B「ほんとですか?意識したことないです…」
私「俺らの代には全くいないタイプだし、いい個性じゃない?今度のHP作りの会議のファシリ任せるね」

私「Cちゃん、かわいいデザイン作れるよね〜」
C「もしかしてHPのデザイン、私がやるんですか…?」
私「もちろん。誰にも口挟ませるつもりはないからやってみて」

レンタルサーバーのお金の管理、使用してる画像素材がフリーであることの報告書の作成そんな雑務だけ片付けて、”美味しいところ”は全部任せて、基本ガヤ担当をやったり黒子に徹した。何かあった時だけ声をかけたり、一緒に悩んだり、一言だけボソッとアドバイスをしたりと、本当にそれくらいだ。

とりあえず公開できるようなものにはできたので世に出しているが、もっとできたんじゃないかと思ったり、「学生の遊びで作ったから許されるもの」だと完全には納得できないものではあった。それでも後輩たちのやりきった顔をみると「まあいっか、これでも」と思ってそのままにした。
弱音を吐いていた大人しめの子たちも、自分達の”尖り”を見つけて何とかその後もやりきったらしい。

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「俺について来い!」と周りを引っ張ることができなかったし、自分で作品を作り上げたわけではない。自分に箔を付けるという行為を全くしなかったので、あんまり褒められた学生生活ではなかったっかもしれない。
だが、社会人生活を送っていて何となくわかってきたが、自分のことを度外視して後輩や下の世代ために行動するのも、長所として胸を張っていいことなのだと感じる。仕事でも我が強いもん勝ちみたいな側面(究極のところ成果を上げるというのはそんなもんだと思う)があるので、割と珍しい人種なのかもしれない。今の勤め先でも、そんな私の気質を見て拾っていただいたのだろう。

出世らしい出世はできてないが、どこの部署に行っても「ねずぴかくん、今度くる新人のお世話係やってくれる?」と声はかかる。
それは今でも苦ではないので、別に不満はない。

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少年ジャンプの人気作品『NARUTO』がある。
物語のあらすじとしては、体内に九尾の妖狐を封印された落ちこぼれ忍者・うずまきナルトが里一番の忍である火影を目指し、仲間たちと共に数々の試練を乗り越え成長していく物語だ。
そこに登場するキャラクターの一人に自来也という人物がいる。
彼は主人公のナルトの師匠でもあり、ナルトの父の波風ミナトの師匠でもある。そして、物語の敵組織である『暁』の幹部のペイン、小南こなんの師匠でもある。作中きっての師匠キャラである。

自来也
ガマ仙人という異名を持つ通り、カエルの口寄せ・カエルと連携した忍術などが出せる
出典:NARUTO-ナルト- 巻ノ十一 8ページ 著者:岸本斉史

そんな彼が作中で発した台詞で一番好きなのを紹介したい。

ワシらの役目は次の世代のために手本となり手助けをすること。その為なら笑って命を懸ける。それが年寄りの格好良さというものだろーのォ

作品中では「年寄りの格好良さ」となっているが、私は「年相応の格好良さ」と読み替えている。「次の世代」だなんて大きい括りではなく、「後輩たちのため」にとミクロにして考えている。

この理屈だと、年齢が上がればより多くの「後輩たち」の手本として振る舞うことになる。より多くのものを背負い、そのために努力することが「年相応の大人としての格好良さ」なのではないだろうか。
ネットに転がる”ならず者”をわざわざ見つけ出して、叩いて気持ちよくなってる様を見て「年相応の大人としての格好良さ」を感じるのだろうか。
この後に及んで、自分の気に入らない論者のスクショを貼り付けて悪口を言って”いいね乞食”してる様子が、次の世代の手本としての行動なのだろうか。

それくらい好きにさせろと言う人もいるだろう。別に強制をするつもりはない。でもそれに伴う「年相応の大人としての格好良さ」を手に入れなかった損失は甘んじて受け入れる覚悟が果たしてあるのだろうか。どうせ言ったところで治らないし、治す気もないのだろう。
「年相応の大人としての格好良さ」を追い求めるのに忙しいので放っておくつもりだ、永遠に。

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