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「これ以上ないってくらい暗くてひどい話」

救いようのない話がすき、というと語弊があるような気もするけれど、俗に言うハッピーエンド以外の結末に惹かれることが多い。絶望としか思えないようなラストでも、その結末は登場人物である彼や彼女たちにとっては希望ということもある。しずかに余韻に浸りながら絶対に重ならない人々の人生を考える時間がすきだ。どうしてもわからないこと、理解できないこと。だれも説明してくれないことに、生きていれば何度もめぐり合う。
そのたびに、わたしたちの日々も簡単に完結しないのだということを思い知る。


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オノ・ナツメの『not simple』を読んだ。好きだと思うよ、と絶対的信頼を寄せている人からおすすめされて。
なんの気無しもなく、ポストに届いていたその日の夜にページをめくってしまったのが悪かった。それはそれは救いのない話だった。

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オノ・ナツメ『not simple』

物語は、ひとりの運のない男がまちがいで殺されてしまう場面からはじまる。彼の名前はイアン。
読者はイアンの人生の結末を知ったうえで、彼の壮絶で悲惨な生き様をたどることになる。

ほとんど描写されないイアンの心情と、単調に流れる時間。イアンにいったいどんなことがあったのか、直接的にはほぼ触れられず、語られない。彼からの視点もない。それなのに痛烈に「わかって」しまう。果たせなかった約束。叶わなかった願い。会えなかった大切な人。おもわず顔を歪めてしまうつらい展開のなかでもずっとおだやかなイアンの表情は、物語が進めば進むほど苦しい。

ズンとつらくおもたいストーリーだったけれど、読み返せずにはいられなかった。すさまじい構成力。翌日が仕事じゃないときに読むべきだったという後悔だけを抱きながら、その夜はなかなか寝付けなかった。

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わかりたいと思うことは、知りたいと思うことは、どこまでも純粋で同じくらいに傲慢だ。
映画を観て、本を読んで、その結末に「こうなってほしかった」「こうなればよかったのに」と思うことはいくらでもあるし、後味の悪い話にはとことん落ち込んでしまう。でも、「こうなればよかったのに」と思い描くラストは、全部わたしが納得したいだけの、満足したいだけの結末なんじゃないだろうか。多数決で手を挙げた多い方が思い描く「幸せ」は、果たして正解と言えるのか。結局それは第三者が満たされるためのエゴなんじゃないのか。ぐるぐると思考がまわる。ずっとわからないままだ。

わたしはわたしの、あなたはあなたの人生しか生きることはできない。そのなかで生きる軌道が重なるのは、確かに奇跡と呼んでもいいのだろう。今はそう思えなくても。

他人がどんなに不幸だと可哀想がっても、わたしの幸せはわたしが決める。あなたの誇りはあなたが守り抜けばいい。救いようのない話の向こうでいつか自分が絶望の淵にたどり着いたとき、きれいごとだけで終わらない希望を見つけられれば。


救いようのない話がすきだ。余韻にひたりながら打ちひしがれるとき、まだ見たことのないだれかのことを考えながら、生きているなあと思う。


季節にも濃度があってゆるやかに夜の光は加速していく



#エッセイ #読書感想文


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