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「とりあえず自由」な時間が苦手
部屋のエアコンから水が垂れるようになったので修理を頼んだのだが、「16時に来ます」と言っていたのが待てど暮らせどやって来ない。問い合わせると「17時半には来る」、それが過ぎると「18時半には来るから!」、さらに18時半をまわってからは「もうすぐ近くまで来てる! 10分以内!」ということになって、けっきょく本当に彼らが来たのは、「10分以内」と言われてから20数分後、ほとんど19時になってからのこ
もっとみるニュートラルに「帰る」ための時間
一日のうちのある時間を、座って呼吸と身体感覚を「ただ感じる」だけのことに使う。本当にそれだけのことで身心の言わば「ギア」がニュートラルに戻り、「そういえば自分はただ在るだけで十分だったのだ」ということを思い出すことができるのだから、とにかくこの習慣を身につけることができたのは、実に幸運なことだったのだと思う。
もっとみる「役に立つから」では役にも立たない
起きたら知らない歌をうたっていて、「ああこれは私のせいだな」と思ったのだけど、そうしたらもういちど目が覚めて、それもまた夢だったのだと気がついた。
最近のネット上の言説には、しばしば知識人からも宗教の必要性を訴えるものが散見されて、私はもちろんその主張の基本的なところには同意するのだが、ただ宗教というのは「必要(というか、より正確に言えばこの場合には "有用")」だから信じるという性質のもの
変わるけど、変わっては駄目
昨日からなにしろ首が痛くて困っている。単に寝違えただけかと思っていたのだが、一夜明けてもまだまだ痛くて、首をぐるぐる回すこともできないというていたらくだ。こういう小さなことだけでも、普通に動かせていた身体が動かなくなるというのは全くつらい。
もっとみる意見で変わる「人格」もあり
私は昔から「意見と人格を分けることなんてできるはずがない」ということをずっと言ってきた。少なくとも価値判断が絡む問題に関してどんな意見を述べるかということは、その人の「人格」を構成する要素の一つに確実になっているからである。
もっとみる「とにかく最後まで読む」ということ
ちょっときっかけがあって畑違いの専門書をぱらぱらと読んでいるのだが、ページをめくるとそこかしこで、よく理解できない記述や納得しがたい著者の主張などに出くわしてしまう。そんな時には、いちおう前後を再読して少し考えてみるけれども、それでも得心がいかない時には、過度にその箇所にこだわりすぎずに、(とりあえずその記述を当該の書籍における前提として頭の隅に置いた上で)どんどん先へと読み進めてしまうのが個人
もっとみる完全には閉じたら駄目
最近は、「閉じてしまった人」はしんどいなあということをよく感じる。ここで私が言っている「閉じてしまった人」とは、「自分とは大いに異なる他者について、その立場に自分が置かれることをとりあえずでも想像することなく、ただやみくもにその他者を否定する人」のことである。
もっとみる「お気持ち=自分」の脆弱性
昨日の記事では「日本の人たちは見知らぬ人との『ちょっとしたコミュニケーション』を忌避しがち」という話を書いたが、これにはおそらく現代日本人の「国民性」から来る、それなりの理由があるだろうと思う。
もっとみる「届く範囲」を絞ること
こちらの記事について、「たとえば 1+1=3だと言う人に対しては、1+1=2だよと指摘すれば終わりなのであって、そこに人格は関わらない。だから、意見と人格は関係がない」とコメントをされている方がいて、ちょっと笑ってしまった。そういう話はもちろん十分に織り込んでいるからこそ、私は当該のエントリで、「少なくとも価値判断が絡む問題に関してどんな意見を述べるかということは、その人の「人格」を構成する要素
もっとみるコストを上げれば人は逃げる
「初デートで失敗しないための95個のチェックリスト」というウェブページがツイッターで回覧されていたのだが、とりあえず開いてみて、右横のスクロールバーを見た瞬間に読むのを諦めてしまった。とにかく長過ぎるのである。まあ大学デビューして人生初デートみたいな子にとっては、どうせ事前にはそのことしか考えられないだろうから、こういうコンテンツも意味があるのかもしれない。
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