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ピンク・レディーvs山口百恵が「革新」を生んだ―ドラマ『アイドル誕生』


1.一瞬で過ぎた90分

90分があっという間に過ぎていった。サッカーの話ではない。ドラマの話である。

2024年1月2日にNHK BSで放送された『アイドル誕生』を見た。

作詞家・阿久悠(演・宇野祥平)とソニーの音楽プロデューサー・酒井正利(演・三浦誠己)の競争を軸として、山口百恵(演・吉柳咲良)やピンク・レディー(演・山谷花純、中川紅葉)など昭和を彩った「アイドル」たちの誕生と栄華を描いた作品である。

酒井は、南沙織のデビューによって手の届かない「偶像」という意味だった「アイドル」を従来のスターよりも大衆に身近な存在にした。彼との方向性の違いを意識する阿久は「革新」を目指してテレビ番組『スター誕生!(通称:スタ誕)』を手がけ、自らも審査員として参加する。

スタ誕で森昌子や桜田淳子(演・山口まゆ)を見いだすが、「歌をあきらめたほうがいい」と評価した山口百恵が酒井の手によって大ブレイクを果たす。酒井・百恵を越えるために阿久と相棒でありドラマでは狂言回し的立ち位置である作曲家・都倉俊一(演・宮沢氷魚)は、ピンク・レディーをデビューさせてさらなる「革新」に打って出る。

売上、レコード大賞、大衆へのインパクト。あくなき競争の果てに阿久と酒井が見た景色とは何だったのか。あくまで事実をもとにした「フィクション」だからこそ描ける世界観が凝縮されたドラマである。

阿久と酒井の主要人物2トップを演じるのは、普段はバイプレーヤー的な活躍が目立つ宇野さんと三浦さんだ。よく考えると2人とも連続テレビ小説『ブギウギ』でもいい味を出している。そんな両者がこのドラマでは昭和の雰囲気を出しつつ主役オーラビンビンに日本音楽界の傑物を演じていた。かっこいい。

余談だが三浦さんがかつて芸人で千原ジュニアさんの弟分的な立ち位置だったこともはじめて知った。このドラマをジュニアさんが見たらどんな感想を抱くのだろうか。

僕は平成生まれだし、昭和歌謡はもちろん音楽にも特別な興味はない。ただ、つい最近阿久悠の評伝を読んだことで彼の生き様には興味を持った。知識はないが興味はある。そんな人間がドラマをみた感想を書いていこうと思う。

※阿久悠の評伝(重松清『星をつくった男』)の書評

2.「スター」と「アイドル」

このドラマは、あらゆるキーワードの二項対立で成り立っている。その言葉たちは対になっているのだが、ときには交差し、ときにはすれ違うことで物語に深みを与えている。

まず出てくるのは「スター」と「アイドル」である。先に書いたように「アイドル」とは「偶像」という意味であり、手の届かないものという意味合いだったはずだ。阿久も「エルビス(・プレスリー)や長嶋(茂雄)のような人がアイドルだ」と作中で言っている。つまり「アイドル」とは「スター」と近い意味であった。

酒井はそれをひっくり返す。沖縄返還のムードが日本に渦巻く中、沖縄出身の南沙織を「スターよりも身近な存在」という「アイドル」としてデビューさせたのだ。「身近な存在」としてのアイドル像は、現代のアイドルにも引き継がれるものである。酒井は「アイドル」を本当の意味での偶像から地上に引きずり下ろしたのかもしれない。

酒井がプロデュースする山口百恵は「思春期女子の大胆な気持ち(特に性的な意味合いも含む)をさらけ出す」アイドルとして大きく世に出る。これは「女子の生々しさ」というある種の身近さを売り出したといえる。

2.「陰」の山口百恵、「陽」のピンク・レディー

ところが百恵は自らの決断でその路線から方向転換を図る。作詞家や作曲家も自ら指名した。そうして生まれたのが宇崎竜童作曲、阿木燿子作詞の『横須賀ストーリー』である。この曲はヒットを飛ばした。方向転換は大成功だ。山口百恵は自らの手で自らをプロデュースしていったのである。

ドラマでは『横須賀ストーリー』をレコーディングした際、ヒット間違いなしと喜ぶ女性秘書とは裏腹に何ともいえない表情を酒井が見せる。彼が打ち出した「身近さ」ではなく「手の届かないかっこよさ」が百恵の魅せ方にシフトしていく瞬間を暗示しているようだ。そして彼女から艶やかな暗さ、「陰」の部分が魅力として輝いていく。

ここで「陽」と「陰」が二項対立として出てくる。山口百恵が「陰」の魅力とかっこよさを放つアイドルだとすれば、彼女を追いこすために阿久が手がけたピンク・レディーは「陽」の魅力とかっこよさを放つ。彼女たちの曲は振り付けを国民が真似する大衆的な明るさを持っていた。

でも手がけている人間は真逆だ。「陰」の百恵をプロデュースする酒井は「陽」の人間だ。スマートで人たらし。ドラマでもちょっとした仕草や振る舞いに、相手をうまくたらしこみ自分に巻き込んでいきそうな雰囲気を漂わしている。これは演じた三浦さんの好演が光った。

「陽」のピンク・レディーをバックアップする阿久は「陰」の人間だった。なぜ阿久が酒井をやけに意識するのかをスタ誕のプロデューサー(演・萩原聖人)が都倉俊一にたずねるシーンがある。その答えからは、阿久の「陽」に対するコンプレックスを感じさせる。確かにドラマの阿久は酒井に比べて雰囲気の柔らかさが少ない。シャイな気もする。そういうところを含めた「陰」なのだろう。酒井には華があり、阿久にはなかった。代わりに華を書く力を阿久は持っていた。

3.「革新」なして「名誉」をなし、「名誉」なくして「伝説」となる。

阿久悠とピンク・レディーの物語で欠かせない言葉が「革新」である。そもそも大手事務所のスカウトではなく、一般公募からテレビ番組にて原石を発掘するスタ誕の構造自体、阿久にとっては「革新」だった。

そして阿久が次に目指したのは、酒井が手がける山口百恵を超えるアイドルを作り出すという「革新」だ。ここで阿久は徹底した「逆をつく」戦法に出る。

フォークソングを歌ってオファーを勝ち取った2人の女子を、山本リンダのようなかっこよさを秘めた路線にガラリと変えた。普段は自分がアイデアを出すところを都倉から提案してもらいピンク・レディーと名付ける。

デビューするには年長の2人ではあるが、年上のお姉さん路線で一躍トップアイドルになったキャンディーズ路線にはかたくなに拒絶した。阿久本人もどんな意味かわからない『ペッパー警部』という珍妙な曲名でデビューさせる。これらがみな大当たりし、ピンク・レディーは国民的アイドルへとのぼり詰めていく。

対抗すべく酒井は、自身が阿久と並んで勝手にライバルとみなしていたアリスの谷村新司に山口百恵への楽曲提供を依頼する。『いい日旅立ち』である。この曲名を決めるシーンにも酒井の人たらしな感じがにじみ出ていてたまらない。

阿久と酒井の競争はレコード大賞に持ち込まれた。結果はピンク・レディーの『UFO』が選ばれる。阿久は見事「革新」を成し遂げたのだ。

ところが授賞のためピンク・レディーとともに登壇した阿久が目にしたのは、そのお祝いの雰囲気に背を向けるように静かに席を立ち退場する山口百恵の姿だった。その圧倒的な存在感は阿久に強い印象を残した。

酒井は百恵のことを「自分で幸せをつかみに行こうとしている」と語った。レコード大賞の退場からしばらくして、彼女は三浦友和との結婚を機に芸能界から完全に引退する。まさに自分で決断し幸せをつかみとったのだ。

そして山口百恵は「伝説」となった。レコード大賞という「賞」を取らずとも。ここに「名誉」と「伝説」という二項対立が見えてくる。ピンク・レディーも伝説ではあることは当然承知している。あくまで賞をとらずして伝説になったという意味の対比だ。

4.「革新者」は誰かに「革新される」運命にある

阿久がピンク・レディーで仕掛けた「革新」の一つが「パロディ」だった。彼は歌詞の中に様々なコンテンツの言葉を再利用して埋め込んだ。劇中で『ウォンテッド』の詞は、片岡千恵蔵が演じた多羅尾伴内の名セリフをパロディしていると説明されている。パロディの活用こそ阿久が過去の作品を乗り越える「革新」であった。

しかしどんな革新者でも一度頂点に立つと今度は「革新される側」に回る運命だ。阿久がレコード店で山口百恵の『いい日旅立ち』を見つけたとき、謎のバンドのデビューレコードが置かれているのに気がつく。

「俺のパロディじゃねえか」と阿久はつぶやく。神奈川県の茅ヶ崎からやってきたそのバンドは、阿久が書いた沢田研二の『勝手にしやがれ』とピンク・レディーの『渚のシンドバッド』をパロディした曲名でデビューした。彼らは阿久を超えるように、日本の音楽界を「革新」していくことになる。

曲名は『勝手にシンドバッド』。バンドの名前はサザンオールスターズ。今や誰もが知る国民的バンドのはじまりだ。

「革新する者」と「革新される者」の二項対立は、時が経つごとにどんどん立場が入れ代わっていく。この交差の連続を匠な演出で魅せたのが『アイドル誕生』の最も素晴らしいところだ。

5.真実の阿久悠

ここまで書いた感想はあくまで「ドラマ」の話である。もちろん事実はもとにしたドラマだけれど、ちゃんと資料を読みこめば僕のような読み解き方はできないかもしれない。

ドラマの中には「これほんとにあったの?」というエピソードが出てくる。それを2つほど紹介したい。

まずは「阿久悠、ハンカチ落としで激おこ事件」である。

阿久は番組プロデューサーに誘われて森昌子や桜田淳子、山口百恵などのアイドルたちと楽屋でハンカチ落としゲームをやることになった。いつ落とされてもいいように気合を入れてジャケットを脱いでずっと待つが自分には誰も落とさない。気を使われていることに阿久は怒って部屋を出ていくというシーンだ。審査員であり権威になりつつある大人の阿久にみんなが遠慮していることを象徴している。

この話、なんとほぼ実話である。森昌子は次のように証言している。

「ハワイで『スタ誕』の収録があったとき、わたしや(桜田)淳子ちゃん、(山口)百恵ちゃん、岩崎宏美ちゃん、伊藤咲子ちゃんたちが遊んでた部屋に、阿久先生がちょんと一人で入ってきて、『なにやってんの?俺も仲間に入れてくれる?』って。ハンカチ落としみたいなゲームをやったのかな。でも、『先生に落とすわけにはいかないよね』ってみんなで話し合って、先制にはハンカチを落とさなかったんですが、先生が気づいて『なんで俺に落とさないんだよ、ちゃんとやれよ!』って……逆に怒られちゃったんです」

重松清『星をつくった男』p191

また同じく阿久たちに見出された岩崎宏美は、阿久に対してとんでもないイタズラをしたことを明かしている。

「たしか(森)昌子ちゃんと(伊藤)咲子とわたしの三人で、『阿久先生の髪ってカツラなんじゃないの?』っていう話になって、ジャンケンで負けた咲子が、そーっと後ろから近づいて先生の髪の毛をピッてひっぱったんです。先生が『痛い!』ってびっくりしたから、みんなで『痛いってことはカツラじゃないんだ』って笑ってたんです」

重松清『星をつくった男』p191

近寄りがたいし権威もある。でも父のように愛されてた阿久悠像が浮かんでくる。

もう一つドラマには、大ブレイクして大忙しのピンク・レディーの楽屋を訪問しようとした阿久が疲労困憊で寝ている彼女たちを見てドアを閉めて離れるシーンが出てくる。その後、バーで阿久は都倉に対して「彼女たちは幸せなのだろうか?」と言う。自分たちの操り人形だと思っていないかと心配したのだ。

この演出を現代っぽいと感じる人がもしかしたらいるかもしれない。若き卵をプロデュースして大きくしていくことへの葛藤をちょっとご都合主義っぽく描いたようにである。

実際はどうだったのか。森昌子と、ピンク・レディーのケイ(増田惠子)は次のような証言を残している。

結婚を機に歌手を一時引退していた森昌子さんは、引退を決めたときの阿久悠のkと叔母が忘れられないという。
「まわりの皆さんの反対を押し切って歌手を辞めたわけですが、阿久先生だけは一言、『幸せになるんだぞ』とおっしゃってくれたんです。(略)」

重松清『星をつくった男』p187

そういえば、増田惠子さんは、こんなことも教えてくれた。
「あの頃は、阿久先生とは『スタ誕』にゲストで出るときぐらいしかお目にかかれなかったんですが、必ず声をかけてくれる言葉がありました。『寝てるか?』と『食ってるか?』の二つを、必ず……」

重松清『星をつくった男』p208

阿久がドラマに出てくるような話を本当に都倉としたかはわからない。しかし傍証を踏まえると彼がピンク・レディーの2人はもちろん、自分が見出した原石たちの幸せを思い続けていたのは事実ではないだろうか。

6.「過去の人」が現役をつらぬく生き様を描ききった傑作

ドラマを見ながら僕が気になっていたのは物語の終わり方だ。ピンク・レディーの絶頂期で終わるか、解散まで描くのか。阿久のその後はどこまで描写するのか。どうだろう。

劇中のラストは、ピンク・レディーのレコード大賞受賞から晩年の阿久が酒井を訪問する場面に急に飛ぶ。そこで2人は山口百恵とピンク・レディーの時代を回顧して語り合った。昔をなつかしみ、彼女たちと自分たちをたたえるように。普通ならここで大団円である。ちゃんちゃん。

ところが阿久は酒井に「自分の歌詞で曲をプロデュースしてほしい」と頼みこむ。そして袋から阿久が取り出したのは自分が書いた未発表歌詞の分厚い束だった。

その束を見て酒井は驚きを隠せない。阿久は小説やエッセイの方に興味が移ったと思っていたと返すと、松本隆や秋元康の名前を挙げて「自分の出る幕はなかった」と阿久は答えた。にも関わらず阿久は歌詞を書き続けていた。

僕が最もしびれて嬉しかったシーンはこれである。なぜなら僕が阿久の評伝を読んで感銘を受けたのはスタ誕の彼の活躍ではなく、後半生の彼の生き様だったからだ。

サザンにパロディされ、シンガーソングライターが幅を利かせ、松本隆や秋元康が時代にマッチした歌詞を量産する。阿久は作詞家としては次第に「過去の人」となりつつあった。

しかし彼は生涯現役だった。歌詞を書き、他人の詞をずっと切り抜きにおさめて研究し続けた。評伝を書いた重松清は次のように書いている。

現役だった。最後の最後まで、阿久悠は現役の作詞家であり、作家だった。
現役のハードルは、ヒット曲や連載小説の多寡で決まるのではない。「本気」をどこまで持ちつづけているか――その意味では、やはり、阿久悠はどこまでも現役でありつづけたのだ。

重松清『阿久悠と、その時代』p326

どんな時代になっても自分と言葉の力を信じ「現役」であり続けた阿久悠。たった90分で彼の栄光だけでなく、最期の生き様まで描ききった『アイドル誕生』は間違いなく傑作である。

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