「あいまい」を生きる国の100年史―今井宏平『トルコ現代史』
1.「あいまいさ」を保って100周年
トルコという国はずっと気になっていた。
行ったことあるわけでもなく、自分と関わりがあったわけでもない。どうしてずっと気にかかっていたのか考えると、トルコが持つ「あいまいさ」にあるような気がする。
トルコは一般にヨーロッパ扱いである。。EU加盟を目指しているし、サッカーでもヨーロッパのサッカー協会UEFAに属している。
一方で国民のほとんどはムスリムであることからアラブ諸国とも関係が近い。となるとアジア寄りともいえる。しかもトルコはヨーロッパとアジアの境目に位置している。
またトルコはムスリムが多いものの、政教分離を掲げて建国されている。それがトルコとして生き残る策だったからだ。しかしその風潮も年が経つにつれ薄れている。
このようにトルコは「アジアとヨーロッパ」や「ムスリム中心と政教分離」という異なる領域の間を時代や環境に応じてふわふわ揺れ動く「あいまいさ」を秘めている。そこに僕はなんとなく面白さをかぎつけていたかもしれない。
この本は『現代史』とうたいながらもオスマン帝国末期とトルコ建国から、エルドアン体制の2016年まで約90年近くの軌跡がみっちり書かれている。
2023年にトルコは建国100年をむかえる。まさに今タイムリーなトルコの歴史を知るにはもってこいの本である。
2.繰り返すクーデターと政党解散、たびたび現れるカリスマ
詳しい人からすると語弊あるかもしれないが、トルコの歴史は「クーデターと政党解散の歴史」である。それぐらいクーデター(あるいは未遂)が多発し、政党が解散しては再結成している。
当たり前だがクーデターは軍が起こす。トルコ軍のクーデターで特徴的なのはずっと軍政をしいて実権を握り続けないことだ。現状打破する程度の改革を実施した後は、わらわらと政党が復活して選挙が行われ文官による政治がはじまる。
また「これ以上政治がうまくいかないと行動起こしちゃうぞお」と軍がお手紙を政府に送ったところ内閣が総辞職した書簡クーデターというものもあった。もはやこれはクーデターなのか僕にはさっぱりわからない。
クーデターと並行して数々の政党が解散したりさせられたり、新たに結成したり再結成されたりしていた。現在その傾向は落ち着いており、エルドアン率いる公正発展党が安定政権を築いている。
エルドアンは建国者のケマル・アタテュルク同様に類い稀なるカリスマ性でトルコを引っ張っている。
彼らの共通点は卓越した統率力と男らしい容姿だ。逆にまったく異なるのはムスリムと政治を密接に絡めてオスマン帝国時代を肯定するエルドアンに対し、ケマルは政教分離とオスマン時代の否定を徹底している点だ。
これを読むと政治家におけるカリスマ性は、比較的万国共通に思える。男女問わずカリスマ指導者は堂々としており、何かしらで強さを醸し出し人々を統率する。マッチョな雰囲気は否めない。
そんな人の対極にあたるトルコのリーダーがドゥルグット・オザルだった。彼の見た目は精悍とはほど遠い肥満体でメガネをかけたユーモア
な雰囲気だ。そしてぐいぐい統率するタイプでもない。
しかし彼は長くにわたり権力を握り一時代を築いた。それを可能にしたこは演説や遊説を通した国民の人心掌握であふ。いわばポピュリスト的な手法だ。
トルコに限った話ではないが、各国のリーダーの変遷をみると何が権力の源泉やカリスマ性になっているのか共通点が見えてきておもしろい。国が違えども同じ人間。何が人を惹きつけるかは万国共通なのだ。
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