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「自分らしさ」について:キャリアと学びと哲学と

2010年に社会保険労務士試験に合格して今は都内のIT企業で人事の仕事をしています。社会人の学習やキャリアに関心があって、オフの時間には自分でワークショップや学びの場を主催することを続けています。その関心の原点は、学生時代から哲学書が好きでよく読んでいたことです。キャリア開発や人材育成の研究には、哲学からきた言葉や考え方が用いられていることが少なくなく、哲学の知見の活かし方として非常に興味深いのです。キャリアに関心のある社労士という私の視点から、哲学のことをお話しできたらユニークなのではと思って、この記事を書いています。

自己紹介


使用価値と交換価値

キャリアについて考えるとき、避けて通れないのが「自分らしさ」という言葉ではないでしょうか。生まれたからには自分らしいキャリアを築きたいですし、自分らしさにマッチしないキャリアは続けていても苦痛でしょう。多くの人が「自分らしさ」を大事にしたいと考え、迷い、悩んでいます。

一言では片づけられない「自分らしさ」という、この言葉のことを今回は考えてみたいと思います。

「自分らしさ」とは、言い換えてみれば、個性、唯一さ、かけがえのなさ、すなわち、他の誰かと入れ換えることのできない固有の存在であることでしょう。では、この「自分らしさ」について考えるためには、反対に、入れ換え可能であることについて考えるところから始めてみましょう。

入れ換え可能ということについて考えるとき、最初に触れておくべきは、「貨幣」です。要するにお金のことです。

お金それ自体は古代から使われているものですが、資本主義が成立した近代社会以後、貨幣はその役割を大きく変えていきます。近代以前と近代以後を分ける、近代社会の貨幣のあり方について、いまもクリアカットな分析を残しているのが、カール・マルクスです。

マルクスといえば共産主義の大ボスのように思われている向きがありますが、マルクス本人は革命家というよりは理論家肌の人で、有名な「資本論」(生前のマルクスの手によって刊行されたのは第一部だけ)は貨幣(と貨幣の転化した資本)の働きを分析した名著ですが、革命の具体的な姿について書かれた著作ではありません。

「資本論」でマルクスは貨幣と商品の関係について書くところから始めます。まず商品には「使用価値」「交換価値」というふたつの価値があることを論じます。使用価値とは、そのものを実際に使ってみることで得られる価値です。たとえば、ハンマーの使用価値は叩いてものを壊したり釘を打ったりすることです。ワインの使用価値は、飲むことで豊かな味と香りを楽しむことができる嗜好品としての価値です。

当たり前のことですが、ハンマーとワインはまったく別のものです。入れ換えることはできません。しかし、ハンマーの売り値が1000円でワインも1000円だとしたら、同じ1000円の価値として交換が可能になります。これが商品の交換価値です。ハンマーとワインを物々交換することは実際されることがなく、その媒介としての役割を果たすのが貨幣です。貨幣は交換価値の尺度として、本来入れ換えできない商品を、入れ換え可能にするのです。

はじめはただの交換の媒介だったはずの貨幣ですが、交感の媒介をすることで、価値の根拠として機能するようになります。ワインには1000円のものもあれば10万円のものもあります。すると、10万円のワインは1000円のハンマーよりも1000倍価値が高いということになります。しかし、1億円のモネの絵と5億円のルノアールの絵があったときルノアールの価値はモネの5倍なのでしょうか。

貨幣は本来は比べようもないものを比べていきます。究極的には人間でさえもです。年収300万円のAさんと年収1000万円のBさんとでは1000万円のBさんの方が価値が高いのでしょうか。皮肉な言い方をすれば、年収300万円のAさんの価値は10万円のワイン30本分ということでしょうか。本来であればAさんはAさんとして、BさんはBさんとして、かけがえのない存在です。比べることも入れ換えることもできません。でも、貨幣があることによって比べたり入れ換えたりすることができるようになってしまうのです。

貨幣は純粋な交換価値として、ありとあらゆるものを数字に変えて、貨幣のなかへと溶かしこんでしまいます。貨幣のただなかでは、物も、人も、すべてのものが交換可能になってしまいます。その様子をマルクスはどんな金属も溶かしこんで混ぜあわせてしまう坩堝に喩えています。

貨幣は次から次へと商品(そのなかには人間の労働も含まれます)を吞みこんで膨脹を続けていきます。自己膨張を始めたとき貨幣は「資本」へと転化します。資本は成長を自己目的とします。利益に利益を重ねてその総量を大きくするためだけに運動を続けます。その成長に辿りつくべきゴールも終わりもありません。資本主義は資本がひたすらに成長をして貨幣で世界中を覆いつくしていくプロセスです。


貨幣としての言葉

入れ換え可能性という貨幣の性質について話してきましたが、貨幣的な性質をもつものは他にもあります。たとえば、言葉です。

「花」という言葉は日本語を使う人なら誰もが理解できる言葉ですが、この世界にはたくさんの花があります。桜の花もあれば、すみれの花もあれば、菊の花もあります。そして、同じ菊の花であったとしても、こちらの菊の花とあちらの菊の花で、世界に同じ菊の花は二つとありません。でも、言葉で「花」といえば、すべて同じ「花」として、人と人との間で意味が交換されるようになります。

言葉には貨幣と同じく入れ換えの機能があります。本来であれば唯一無二で比べることも入れ換えることのできないものを同じ意味で入れ換え可能にしてしまうのです。

それゆえに、言葉と、近代社会、資本主義社会には切っても切れない関係があります。日本の近代化は明治維新に始まりますが、江戸時代までの日本社会は日本という国のまとまりをもっていませんでした。それまでの日本にあったのは、長州とか、薩摩とか、会津とか、それぞれのお国があるだけです。お国が違えばお国言葉も違うので、お互いにコミュニケーションができないほどでした。だから、お国に暮らす人の帰属意識といえば、長州人、薩摩人、会津人というわけで、日本国民としての帰属意識などもちようもありませんでした。

近代化のためには日本を日本国家としてひとつに統合する必要がありました。そのプロセスで必要だったのが共通の「日本語」です。近代化には産業力と軍事力の強化が欠かせません。言葉がバラバラではビジネスをしようにも話が通じずにコストばかりがかかりますし、軍隊を整備しようにも言葉がバラバラでは指揮命令が通じません。文学史の授業では、坪内逍遥や二葉亭四迷が言文一致運動をしたなどと教えられたかもしれませんが、人工的にも日本語をつくる必要があったのです。

そして、日本語を日本全国で流通可能なものとするために整えられたのが、学校です。学校で国民共通の教育を施すことで、それまで長州人と薩摩人と会津人とまったく別の国の人だった人々が、同じ日本語を話す日本人として変容していきました。北海道で生まれても、関西で生まれても、九州で生まれても、同じ日本語を使う日本人として、入れ換え可能になります。要するに、日本人もまたひとつの貨幣というわけです。

だから、「方言狩り」も厳しいものでした。当時の東北や沖縄では方言札というものがあって、学校で地元の方言をうっかり話してしまえば、罰として木札を首から下げさせられたそうです。

学校は等質な日本人を大量に生み出すための装置でした。しかし、そこにはポジティブな側面ももちろんあります。そして、出自に関わらず日本のどこでも活躍できる可能性が開かれます。移動の自由を保障してくれるのも入れ換え可能性です。

それに貨幣には交換価値としての品質を保証する役割もあります。入れ換え可能性には規格化や標準化の作用もあります。たとえば、ネジの規格を統一しておけば、A工場でつくられたネジとB工場で作られたネジがかみあわないということもありません。また、C工場で作られたネジは粗悪品ですぐ壊れてしまうということもありません。同じ規格で作られたネジはどの工場で作られても同じ品質を維持できます。学校でしっかり学ぶことは、人材としての価値を国家が保証してくれることでもあります。

日本国民の一人として価値のある人材であると思えることは強い帰属意識とそれに伴う安心を与えてくれるでしょう。国家全体として成長の過程にある時代では、国家国民として入れ換え可能なものに統合されていくことは、むしろ国家国民全体の安定と幸福の増大をもたらすものだと思います。


「自分らしさ」の生まれる背景

貨幣は異質なものを溶かしこんで透明で等質なものへと変えていきます。共通の言葉もコミュニケーションのノイズを除去してスムーズな意思疎通を可能にします。学校は不揃いな子どもたちを教育してひと揃いの人材へと改鋳していきます。それらは国家や社会に浸透する権力と結びついていきます。

学校も教育も権力の一部であるという理解は必要なことです。個性があって不揃いな存在を標準化して規格化して入れ換え可能なものへと変えてしまうプロセスです。本質的には国家の成長のために設けられたことに相違ありません。

しかし、義務教育は一定の質の教育を保証するものです。読み書きや計算ができれば、どの職場でも働ける人材になることができます。高等教育を受ければ社会的に地位の高い仕事に就くこともできます。民主主義社会を維持するためには政治や法律の仕組みを理解できるだけの十分な教育が国民に欠かせません。公正な社会のためには全国民に標準化された教育は必要不可欠です。

貨幣による交換可能化や規格化がなければ、いま私たちが暮らしている社会は成立しません。マルクス自身も貨幣そのものを悪と断罪したりはしていません。ただ、経済が右肩上がりに成長していた時代なら問題にならなかったことが、現在ではそうもいかなくなっているのです。

言葉という規格のもつ力をもう少し掘り下げて考えてみましょう。「社会人」という言葉があります。「Aさんは社会人である」「Bさんは社会人である」という文章があるとき、AさんもBさんもまったく別の人間です。もちろん入れ換え不可能です。でも、「社会人である」という述語でくくられたとき、同じ「社会人」として入れ換え可能になってしまいます。

このとき「社会人」とは何を意味するのでしょうか? 「遅刻はしないこと」「タトゥーはしていないこと」「成長意欲をもっていること」とかでしょうか? おそらく「社会人」を誰もが納得する言葉で定義できる人はいないでしょう。

「社会人」とは働く人として相応しい振る舞いをする人のことですが、要するに、現在働いている人たちにとって都合のよい振る舞いをしてくれる人のことです。既存のコミュニティに適合した人たちは新規にコミュニティに入っている人をふるいにかけることができます。たとえば、会社は採用面接で採用と不採用を決めることができます。そうして、自分たちの「社会人」の枠組みに適合する人を「社会人」と認め受け入れ、そうでない人は排除するわけです。「社会人」という言葉の規格を操る、その判断尺度はまさしく権力の行使です。

ミシェル・フーコーは言葉と権力の関係性を鋭く批判をしていました。言葉は本来は多様で個別な存在であっても入れ換え可能にしてしまうものです。「日本国民」「学生」「社会人」と言葉でまとめてしまうことで、「日本国民らしさ」「学生らしさ」「社会人らしさ」という「らしさ」があるべき姿のように立ち現れてきます。ただの言葉でしかなかったものが、守るべき規格として、当たり前の姿として、いわゆる「普通」として扱われるようになります。標準化され規格化されたありかたは「正常」として正しい姿とされ、それに合致しない姿は「異常」とされ排除されます。正常と異常の選別こそ権力の行使そのものです。

ただ、規格化による選別の権力にももちろん意義があります。日本国民という規格が日本国家への帰属と重なっていたことを思い出しましょう。「社会人」として規格化されることは、それを通じて所属することになる職場への帰属意識を強く根付けます。この職場のために頑張ろうと猛烈に働くようになります。むしろ、成長局面にある段階では、モチベーションにポジティブに作用します。自身の個よりも集団の一員であることが人生に価値を与えてくれるわけです。

しかし、バブル崩壊後の日本は右肩上がりの成長を止めました。社会は成熟し多くの仕事もマニュアル化していきました。すると入れ換え可能性の負の側面が浮かび上がってきます。この仕事は自分がしなくても誰でもできる。どんなに仕事に尽くしても変わり映えが感じられない。自分が自分である理由がわからない。何のために生きているのかわからない。自分の存在が急速に透明化をして生の実感を希薄にしていきます。

このような社会では、規格は人を拘束する力を失っていきます。規格を受け入れる積極的な理由がなくなるからです。ここで規格はかえって抑圧として作用するようになります。規格を受け入れて生きても何も保証されないのに、規格から外れれば排除されてしまうからです。こうして、「自分らしさ」が問われる社会的な背景が生まれてきます。


一回限りのアウラ

近代日本国家は日本国民を入れ換え可能な存在とするために教育制度を整えてきました。ただし、国民を入れ換え可能な存在とすることは、国家や所属先へ国民をひとつに統合していくことに等しく、そのことで、保証や安心感、そして、成長していく実感を国民に感じさせることを可能にさせるものでもありました。いまと比べて成長実感は明瞭で分かりやすく、年収も右肩上がりに上昇していった時代です。だから、いまは苦しくても、将来は安心だと思えたし、だからこそ、入れ換え可能だったり比べられたりすることも、そこまで苦痛ではなかったのでしょう。

しかし、現代は、日本国民すべてが入れ換え可能となったものの、それと引き換えに得られるはずだった将来の安心や安定が不透明になってしまった時代です。いよいよ入れ換え可能性の負の側面が噴き出すようになっていきます。その一端が「自分らしさ」の問題です。

自分の人生に社会が意味を与えてくれる時代は、「よい学校、よい就職、よい人生」や「終身雇用・年功序列」や「結婚して、子どもを産んで、マイホーム」や、そういう絵にかいたような良い人生のプランが生き生きと信じられていました。でも、そういう時代は過ぎ去りました。いまは自分の人生の意味や価値は自分で自分に与えなければなりません。

一回限りの人生、よいものにしたいと思っても、よい人生のプランを教えてくれる人は誰もいません。自分で「自分らしい」人生を生きなければならない。そういうプレッシャーを誰もが感じているのが現代社会ではないでしょうか。いつしか「自分らしさ」は人生の重荷になります。

ヴァルター・ベンヤミンは「複製技術時代の芸術」という論考を残しています。ベンヤミンの時代は写真や映画といった複製可能な技術が芸術作品を生み出すようになっていった時代でした。それまでの芸術といえば、ラファエロの絵とか、モネの絵とか、ロダンの彫刻とか、この世界にひとつだけの一点限りの作品だけでした。芸術作品はかえが効かないものでした。

いまも海外からフェルメールやピカソの有名作品がやってくるという展覧会があれば、多くの人が見ようと美術館に足を運びます。名画にはやはり不思議な力があります。普段は海外の美術館に置かれていて、そう簡単に行けないですし、この展覧会でしか触れることができないという特別な感覚が気分を高揚させます。ここで見られてよかったと心から思います。もしかしたら、目の前にできるのも一生に一回限りの経験かもしれません。そのような一回限り、一品限りの芸術のもつ力をベンヤミンは「アウラ」と呼びました。

それに対して、映画や写真はいくらでも複製ができます。いまや映画作品は前世界同時上映ですし、場合によっては、ネットフリックスとかでも繰り返し視聴ができます。複製されることで一回限りという感覚はなくなっていきます。それをベンヤミンは「アウラの消失」として語ります。

一言だけ断っておくと、アウラを失った複製技術の芸術はダメだとベンヤミンが批判したわけではありません。一品限りの芸術作品は独裁的な権威と結びつきやすい側面があり、むしろ複製されて多数の市民の目に触れることができる芸術だからこそ開かれた作品になれると評価もしています。

いずれにしても、「自分らしさ」とはアウラの問題に近しいところがあります。入れ換え可能な存在は複製可能な存在です。生の実感の希薄さに苦しむ存在、自分の色を失った透明な存在です。それは人生のアウラを消失した存在と言えるのではないでしょうか。自分の人生のアウラを自分のものにできなければ、ひどい生きづらさを感じてしまうことでしょう。

要するに、「自分らしさ」の問題とは、入れ換え可能になってしまった自分の存在にいかにしてアウラを取り戻すか、取り戻すことができるのか、ということの問いなのだと思います。


メルロ=ポンティと身体

「自分らしさ」を自分の人生に取り戻す。アウラを自分のものにする。それらのことを、これから考えてみたいのですが、ここで言及したい人が、フランスの現象学者モーリス・メルロ=ポンティです。メルロ=ポンティはジャン=ポール・サルトルの同時代人で、ある時期はサルトルと行動を共にしていました。サルトルがフッサールの業績を出発点に自身独自の現象学を展開させていったのに対して、メルロ=ポンティは晩年のフッサールのテキストを著作化されていない草稿まで含めて丁寧に読みこんでフッサールの残した仕事を継承しようとした人でした。

メルロ=ポンティがとくに注目した現象学の言葉は「身体」でした。生涯にわたって「身体」の謎を追求したメルロ=ポンティの現象学は、優れた「身体論」として知られています。

身体とは、この物質的な世界の中に「私」が存在している、その土台です。そして、身体は「私」と外界とのインターフェースです。身体を通じて、「私」は世界と関わり、そして、同じように身体をもっている他者(他の「私」)と接します。「私」が世界の中で様々な行動を実行することができるのは身体をもっているからで、身体とは「私」の可能性(我能う)そのものです。

そして、身体があるからこそ「私」の人生は一回限りです。身体に宿った命が終わるとき「私」の人生もまた終わります。他の誰かが代わりに「私」の身体を生きることはできないし、「私」もまた誰の身体に代わることもできません。「私」という存在を入れ換え不能なものにしているのは、まさしく「私」の身体です。

フッサールは経験の質の唯一性を重要視していました。「私」が「いまここ」でしている経験は他の誰とも交換することのできない唯一の質をもっており、「私」の経験の生き生きとしたリアルこそ、決して疑うことのできない確かなものだと考えていました。その経験は身体という「私」にとって唯一無二の命に宿るからこそ生じるものです。

もっとも、この世界に生きているのは「私」だけではありません。フッサールは世界には無数の他者が存在していて、それぞれの主観性の世界を生きていることを認めた後で、主観性と主観性との間に間主観性という場があることを論じています。そして、晩年のフッサールは間主観性の概念を広げて、これを「地平」と呼ぶようになります。

複数の主観性に共有される場としての間主観性は、それぞれの主観性の拠って立つ土台となるというわけです。私たちはたしかな地面がなければそもそも立つことができませんし、同じ地面の上に立っていなければ目線がそろいません。間主観性はそれぞれの主観性に共通するものとして認識の前提を用意するものとなります。それを「地平」という言葉に託したわけです。

フッサールの弟子ハイデガーは彼独自の方法で師の考えを引き継ぎ「世界内存在」という言葉で自身の哲学を展開しました。20世紀最大の哲学書「存在と時間」は世界と存在の謎をめぐって書かれた著作ですが、ここで「間主観性」と「地平」と「世界」は同じものへと重なっていきます。ここでハイデガーに触れる余裕はないのですが、フッサールとハイデガーを学んだメルロ=ポンティにとって、世界とは、身体がその上に拠って立つ地平であり、複数の身体が関わりあい影響しあい交錯をして運動を続ける舞台となります。

そこで、メルロ=ポンティは間主観性の議論を継承して、これを「間身体性」と読みかえます。人と人の関わりは純粋に意識的なものだけでなく、眼差しを交わしたり、手を降ったり、抱きあったり、物質的な側面をかならず含むものですから、人と人の間に生じる場に身体は欠かせません。メルロ=ポンティのユニークなところは、この間身体性に「言語」も含むと考えたところです。

フッサールによれば、地平とは主体それぞれの認識の前提となるものです。「私」がいま「家」を見ているとき、「私」はその経験に「家」という意味を与えています。そのとき、別の他者もまた同様に「家」を見ているとしたら、そこには「家」という共通の意味が生じています。別々の経験であるはずの「私」と他者が同じ意味の経験をもつことができるのは、そこに「家」という言葉が共通の媒介として認識を支えているからです。

日本語も英語も私たちが生まれる前から存在していました。あらゆる言語は個々の主体が生まれ落ちる前から存在していて、私たちはなんらかの言語の内に生まれてきます。言語は個々の主体の認識以前から存在していて、言語があってはじめて個々の主体は認識をすることができます。そこから、メルロ=ポンティは言語を地平を構成するものとして考えるようになります。そして、メルロ=ポンティにとって地平とは間身体性ですから、言語は身体を構成する重要な要素ということになります。ここに入れ換え不可能なアウラが宿る余地が見出されます。


マイ・スタイル

言語は入れ換え可能なものです。複数の異なる主観性の間で共有されて流通することができます。それに対して、個々の身体に起きる経験はまったく個別で共有不可能です。しかし、自身の経験を意味づけてくれるものもまた共有される言語です。共有不可能な経験が共有可能な言葉で意味づけられることは、ひとつの矛盾です。しかし、この矛盾にメルロ=ポンティは重要な指摘をしています。

メルロ=ポンティによれば、誰かと交換できる言葉を使いながらも、誰とも交換できないものが現れ出ることは可能です。誰とも交換できない「私」だけのものは「私」の身体を通じてこの世界に現れ出ます。それをメルロ=ポンティは癖だと言います。メルロ=ポンティの言葉を使えば「スタイル」(スティル)です。

たとえば、口癖や言い回し、話すときのリズムや抑揚。同じ言葉を話していても、人によって話し方の癖はバラバラです。あるいは、筆跡というものがあります。書かれた文字の形も人さまざまです。こうして、身体を通すことで入れ換え可能で透明だった言葉に、入れ換え不能で不透明な色がつくのです。

メルロ=ポンティはスタイルを小説家たちの文体になぞらえています。同じ日本語、同じフランス語を使っていても、小説家それぞれにまったく文体は違います。登場人物のキャラクター造形や物語の展開とは違ったところで、その小説家のオリジナリティをありありと表現してしまうもの、それが文体です。

スタイルは人間の経験に色をつけるものです。同じコンサートを見ても、ある人はボーカリストの歌を気にいり、ある人はギタリストのプレイに感動して、ある人は照明や演出を忘れられないということはあるでしょう。同じ経験をしても人それぞれに目の付け所が違うのもそれぞれのスタイルが違うからです。インプットだけではありません。誰にも思いつかないその人だけのワードセンスもまたスタイルです。アウトプットをするときの発想力とかアイディアの違いもまたスタイルです。あるいは、どうしても譲れないこだわりや価値観。それもまた自分だけの考え方のスタイルだと言えるでしょう。

誰もが自身ひとつの身体をもっています。その身体に宿るのがスタイルなのです。だから、スタイルは誰もがもっています。スタイルのない人はいません。この人生にアウラを取り戻したいと思うなら、まずは自身の身体に宿ったスタイルに目を向けることが、重要だと思うのです。

自己分析や自己反省や純粋な知的な営みだけで「自分らしさ」を見つけ出すことは難しいはずです。「自分らしさ」とは本質的に身体的なものだからです。そして、意図して生み出すものではなく、思いがけないときにふっと癖のように生じてしまうものが「自分らしさ」です。要するに、「自分とは〇〇である」と記述できるものではなく、日々何気ない経験に色を付けてしまう自分だけの偏り、それが「自分らしさ」です。

ベンヤミンによれば、複製技術によって芸術はアウラを失いました。しかし、それはアウラそのものが消えたのではなく、アウラの宿る先が変わったということではないかとも思います。たしかに、フェルメールやピカソの一点物の作品がもつようなアウラは、現代の映像作品であるドラマやアニメにはありません。でも、ある作品がすごく好きで繰り返し見てしまう。同じ作品に登場するあるキャラクターが世間ではすごく人気だけど、自分は別のキャラクターがすごく好きで仕方ないといった、そうした偏りは、自分だけの色ではないでしょうか。そこにアウラは宿っていないでしょうか。作品がアウラを宿す時代ではなくなったけれど、その代わり、個々の身体の経験としてアウラは宿っているのではと思うのです。

「自分らしさ」がほしいなら、身体がもってしまう自分だけのこだわりや偏りを認めることから始めてみてはいかがでしょうか。意識的なことというよりは無意識的なことだから、はっきりと分からないし、周りから見れば些細で取るに足らないものかもしれません。でも、自分だけの偏りやこだわりは愛着のもてるものではないでしょうか。

「自分らしさ」は身体的なスタイルとして現れ出るものです。ときに、その偏りが、周囲に受け入れられたり、認められたりすることもあるでしょう。「その仕草がステキだ」「その発想はユニークだね」といった評価は、数字で測ることができたり、交換できたりする価値の評価よりも、自己効力感を与えてくれるのではないでしょうか。「私」を唯一無二で入れ換え不可能な存在へと変えていくものは、ただ数値だけを大きくしていく成長なのか、それとも、代えることのできないユニークさを認めてもらうことなのかといえば、後者なのではないかと思います。そうした経験を繰り返していくことで、「自分らしさ」のアウラは身体に宿っていくのではないでしょうか。


「自分らしさ」と接続可能性

「自分らしさ」が身体に染みついたスタイルならば、そのスタイルはどのように生まれてくるものなのでしょうか。その問いを最後にしたいと思います。

親と子はよく似てくると言いますが、たとえば親の口癖が子に移るということはよくあります。あるいは、学校や職場でとても好きな人、あこがれている人、よく見ている人と同じ癖をいつの間にかしていたということもあるでしょう。癖が誰かの影響ということは少なくないと思われます。他者の癖の思いでが「私」の身体に記憶として残っていて、それが「私」の癖として現れるとは考えられないでしょうか。

「私」と他者は身体を通じて関わりあいます。他者の経験の記憶が蓄積されていくのもまた身体です。身体は他者の記憶が刻み込まれていく場なのです。だから、ある人から譲り受けた癖というのは、身体に刻まれた、その人の記憶が、「私」の人生に根付き、いまも生きている証なのです。

デリダは「エクリチュール」として、レヴィナスは「痕跡」として、他者が残していった記憶について語っています。身体は、デリダの「エクリチュール」が残されていく場であり、レヴィナスの「痕跡」が残されていく場です。

デリダは他者の記憶を残りつづけるものと考えています。他者の記憶を忘却することや、抹消しようとすることは、他者をなかったものにしようとする暴力ですが、しかし、他者の記憶を完全に消すことはできません。忘れようにも忘れることのできないものです。なぜなら、他者の記憶は身体に深く刻まれた記憶であって、ひとたび刻まれた記憶は消すことができないからです。その記憶はスタイルのように、いくら忘れようとしたとしても、何かのきっかけで無意識のうちにふっと浮かび上がってきてしまうことのあるものです。他者の残した記憶はそうして「忘れるな」と呼びかけてくるのです。

他者はいつも呼びかけてくるものです。そこでデリダは他者への「責任」(レスポンシビリティ)という言葉を「応答可能性」(レスポンシビリティ)と読みかえます。他者の呼びかけに応じること、他者を忘れないこと、それが他者への責任へと変わるのです。

他者は常に過ぎ去るものです。呼びかけてきた、その瞬間には、もうそこからにはいません。過ぎ去っています。したがって、残された記憶を通じてしか他者に接することはできないからです。記憶を通すことで他者の呼びかけへの責任は果たされます。デリダの語る記憶はエクリチュールとして文字や文章としての側面をもっています。だから、他者の呼びかけに応えることとは、他者の残したエクリチュールを丁寧に何度も読みなおすことだと言えるでしょう。

この先、他者への責任について話を進める前に、もう一度エクリチュールと身体の関係について話を戻しておきましょう。デリダにとってエクリチュールは書くことの比喩として書かれる余白の比喩と対になります。文字が書かれるには余白が必要であり、はじめはまっさらだった余白にいくつもの文字が書かれることで、余白は不可逆の姿を示すようになります。身体は他者がその記憶を書き残していく余白であり、他者との出会いが、他者の残した記憶が、その身体を書き換えていきます。

人生を生きるなかで「私」は数多くの他者に出会います。その都度無数のエクリチュールが身体に刻まれていきます。すべての他者と同時に出会うことはありえないので、「私」の身体には、ある他者が記憶を残していった、その上に、別の他者が新たな記憶を残していくということが起こります。そこで、エクリチュールには「接続可能性」があります。接続可能性とは引用の可能性のことで、すべての文章は、引用されて、他の文脈に接ぎ木される可能性/能力を備えています。要するに、ある人の記憶は、それ単独で思い出されるだけではなく、別の人の残した記憶と結びついて、つながって、まったく別様の思い出され方もするということです。若いころ言われた親や恩師の言葉が、そのころはピンとくるものでなくとも、歳をとって、結婚したり、子どもができたりすれば、まったく別の意味あいで思い出されるとき、かつての記憶のエクリチュールが別のエクリチュールに接続されているのです。

身体に刻まれた記憶が別の他者の記憶とつながっていく、ある他者の記憶が別の他者の文脈で読まれていく、そうした結びつきが、「私」の身体では繰り返し生じ、結びつきは複雑になっていきます。そうした記憶のネットワークが複雑になればなるほど、「私」と同じ記憶をもつ身体は他にはなくなっていきます。この世界に「私」の身体と同じ記憶をもつ身体は二つとないのです。こうして、記憶は身体に唯一さを与えてます。

身体に刻まれた他者の記憶の数々は現在を生きる「私」に影響を与え、「私」を唯一の存在へと代えていきます。その「私」の唯一さはスタイルを通じて発露され、発想や、考え方や、興味関心や、価値観を色づけていきます。だから、「私」の身体に宿ったスタイルを認め肯定することは、これまで出会ってきた無数の他者たちの記憶を受け入れて肯定することでもあるはずです。ときには認めたくない癖もあるでしょう。でも、それもふくめて自分が生きて他者と関わってきたことで身に着けた「自分らしさ」なのです。

他者への責任とは、他者の呼びかけを無視せず、他者の残したエクリチュールに応えることにありました。「自分らしさ」を生じさせるものこそ他者のエクリチュールでした。だから、他者への責任とは「自分らしさ」を認め肯定することなのです。「自分らしさ」を認め受け容れることは、他者を受け入れ肯定することなのです。


「自分らしさ」と身代わり

レヴィナスはデリダとはまたすこしちがった仕方で他者への「責任=応答可能性」について論じています。レヴィナスにとって、他者とは傷つきやすさです。その他者を痛みや苦しみと切り離すことはできません。はじめに他者は痛みや苦しみのさなかにいます。だから、他者は助けを求めて「私」に呼びかけてくるのです。他者はその痛みや苦しみを引き受けるように「私」に求めます。ひとたび「私」に呼びかけが届いてしまえば、もう無関心を決めこむことはできません。痛みや苦しみを無視するのか、見ないふりをするのかと、他者は「私」を告発してきます。呼びかけは「私」を苛み、今度は「私」を痛みと苦しみのなかへと放りこんでしまいます。

他者による痛みや苦しみは耐えがたいものです。その苦痛から逃れるためには、他者の「身代わり」になることが必要だとレヴィナスは語ります。もちろん「私」と他者は入れ換え不能です。完全な代わりになることはできません。そうではなくて、痛みや苦しみというきわめて身体的な出来事を通じて、他者の苦痛を我が事として我が身に引き受けることを示しているわけです。

他者の身代わりになることは「私」にとって痛く苦しいことです。しかし、身代わりとなることで、「私」は「唯一性」を手にするともレヴィナスは語っています。傷つきうずくまる他者が目の前にいて「私」に助けを求めてきたなら、応答できるのは「私」だけです。「私」が応えなかったら、その他者はきっとそのまま忘れ去られてしまうでしょう。その他者にとって「私」は他に代えることのできない唯一無二の存在なのです。だから、その呼びかけに応答するとき、「責任=応答可能性」を引き受けることで、「私」は誰とも入れ換えることのできない唯一無二の「私」となるのです。

レヴィナスの議論は少々抽象的ですが、誰もがそれぞれの人生を生きてきて、その思い出の中で、誰かに何かを願われたことや求められたことや託されたことのひとつやふたつはあったのではないでしょうか。もちろん、それを重荷に感じることもあるでしょう。大事なことは、願われたこと、求められたこと、託されたこと、それらをそのまま実現することではなく、人生に必要な出来事と引き受けて生きることができるかどうかではないでしょうか。

意識していなかったのに、意志していたわけではないのに、無意識的に反応してしまった、自分がそうしなければならないと思った。ミッション(使命)とは、企業戦略の文脈で手あかのついた言葉になってしまいましたが、もしミッションというものがあるのなら、他の誰でもない、自分だから選ぶほかなかったというような決断なのではないでしょうか。その決断には、間違いなく、これまで出会ってきた無数の他者たちの呼びかけが響いているはずです。

こうして、レヴィナスにとって「自分らしさ」とは、他に代えることのできない他者に応答すること、その責任を引き受けられることです。

「自分らしさ」が、身体から生じるものであること、そして、他者との関わりのなかから生まれてくるものであること、それゆえに、好きとか嫌いとか任意に選べるものではなく、「いまここ」に存在してしまうものとして認め引き受けるしかないことについて書いてきました。「自分らしさ」が、そのようなものである限り、それは自分の生きてきた運命を愛し肯定することなのではないでしょうか。ニーチェが「運命を愛すること」と説いたように。


他者を肯定することが自分を肯定すること

「私」が唯一の身体をもつものであり、「私」が他に代えることのできない記憶をその身体に引き受けているものである以上、誰にでも「自分らしさ」は存在します。「いまここ」に存在する「私」は、ここまでに出会ってきた他者たちによって作られたものです。だから、その他者たちに応答すること、他者たちを受け入れて肯定することは、「私」自身を肯定することに一致します。「自分らしさ」は、他者を許してはじめて認められるようになるものです。

つまるところ、「自分らしさ」とは、「私は〇〇である」というように規定できるものではありません。何かを見たり、聴いたり、考えたりしたときに否応なく生じてしまう癖や偏りとして浮かび上がってくるものです。でも、自分だけの癖や偏りからなされた意思決定の連続が「自分らしい」人生を選ばせ生きさせていくのだと思います。

話を最初に戻しましょう。人間が生きていくには働く必要があります。働いて貨幣を得なければ生活を維持することはできません。しかし、「自分らしさ」は入れ換え不能なものです。それだけでは、入れ換え可能な貨幣を得られるものにはならないかもしれません。だから、キャリア開発の本質とは、「自分らしさ」から生まれた唯一無二の癖や偏りを、ユニークな価値として、交換可能な価値へと転じていく支援です。

「自分らしさ」のあるキャリアとは、過去に出会ってきた他者たちの記憶を現在に引き受け、そして、未来へと投げかけていくこと、あるいは、未来において新たに出会うであろう新たな他者とつないでいくことなのだと思います。

余談ですが1997年にテレビ放映された幾原邦彦監督の「少女革命ウテナ」というアニメーション作品があります。主人公の少女、天上ウテナが、世界を革命する力を与えてくれる薔薇の花嫁という役割を果たす少女、姫宮アンシーとともに、革命すべき「世界の果て」の謎へと迫っていくというあらすじの作品で、結末を明かせば、「世界の果て」とは自分自身であり、「革命」とはその世界に与えられた役割を打破して自分自身になることなのですが、そのオープニングテーマ「輪舞-revolution」の歌詞が非常に示唆的で

I’ll go my way 戻れない
それぞれの
道を選ぶ時が来る前に
こんなにも こんなにも
大切な想い出 とき放つよ

奥井雅美「輪舞-revolution」

というものです。自分の道を選ぶことが過去の思い出を認め許すことであるとは、まさにここまで書いてきた「自分らしさ」を愛し肯定することと重なるものです。

「少女革命ウテナ」は、その当時10代半ばだった、私がいちばん影響を受けたアニメーション作品で、この後、20代、30代と、数えきれないほどの哲学書や文学作品を呼んできましたが、その果てに辿りついた考えが、この「輪舞-revolution」の一説にぴったりと符合するというのも、なんとも言葉にしがたい感慨が胸に満ちるものです。それこそまさに私のスタイルであって、私を呼んだ他者の声だったのだと、いま思います。


【了】

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