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理想の土地を求めて(東京⇄岐阜の遠距離婚夫婦、家を買う#3)

↓こちらの記事の続きです。でも多分ここから読んでも楽しめます。

マイホームの予算上限は分かったものの、ハウスメーカーの選び方も、土地の探し方もまったく分からない。


そんな状態でハウスメーカーと話しても、「でっかいネギ背負ってますよ〜!美味しいカモですよ〜!」とアピールしてサバンナを歩くようなものでは?

そう不安がる私たちに対して、相談カウンターの女性は
「まず、マイホームを建ててどんな生活をしたいかを家族で相談しましょう」
と提案してくれた。


どんな生活って、抽象的すぎないか?と思ったが「何のために家を建てるのか」という軸をしっかり持つのは、住宅展示場の豪邸を見て欲が出始めたときや、家族で意見が割れてしまいそうなときの拠り所になりそうだ。

目的をブラさないだの、軸を持つだの、仕事のプロジェクトみたいじゃないかと思ったが、よく考えたらこれはウン千万(しかも借金)をかけた我が家の一大プロジェクトである。
本業でさえそんな規模の仕事をしたことがないのに、突然プロジェクトのWリーダーに大抜擢だ。
うう、吐きそう。

とはいえ、この段階ではあまりにも分からないことが多いため、制限もない。
夫婦で「こんな生活がしたい!」という願望と、そのために必要な条件を挙げてみた。

・個室にこもりすぎず、家族でゆるく繋がりたい
・夫婦共働きかつ多趣味なので、アクセス最重視がいい
 →条件:名古屋へ徒歩+電車で40分ほどで通えること
・家事を楽にしたい
・安全に暮らしたい
 →条件:耐震性とハザードマップ重視

A型夫婦ゆえ、まずは夢いっぱいに想像しましょう!と言われても根がクソ真面目である。

この段階なら「庭にピザ窯を作りたいです!友達を呼んでピザパーティーだ!!」とか言ってみても良い気がするが、自分の財布からお金を出すとなると途端に冷静になってしまう。ピザ釜は要らない。


こうして見ると土地に対する条件は、名古屋へのアクセスと、ハザードマップだけである。
これなら何とかなるだろう。そう思ったが、この条件は実はハードルが高かった。

なんせ岐阜県は、大人が1人1台車を持って当たり前の文化である。
街も自動車を持っていること前提で作られており、駅に月極駐車場を借りて車&電車通勤をする人もいる。

そんな県で、「駅まで徒歩で通いたい」なんて条件をつけた上に「◯分以内」の時間制限を設けたため、候補はあっという間に片手ほどに絞られた。

たったこれだけ…。
車で走れば田んぼと空き地なんてそこら中に見つかるが、自分達が家を建てられる可能性のある土地はこれっぽっちなのだ。
しかも候補の土地も、理想の路線ではなかったり、川に近すぎたり、値段が高すぎたり、どれも微妙に惜しいポイントがある。

土地探しに1、2年かけるのも納得だ。
100点の土地を探していたらキリがない。理想的な場所には、すでに誰かが住んでいるのだ。


そんな中、唯一「ここなら」と夫婦で意見が合った土地があった。

ちょっと小さいが、新婚の時に住んでいたアパートのすぐ近く。
買い物もしやすく、駅も近く、楽しい思い出がたくさんあるその場所が、私たちはとても気に入っていた。

どうせ岐阜に帰るなら、あの時と同じスーパーで買い物をして、同じカフェでモーニングを食べて、旦那と散歩をしながら帰りたい。
正直言って予算オーバーだったが、あの場所にずっと家族で住めるのは「家を建てる理由」の一つになりそうだった。


土地の下見で次に岐阜県を訪れるのは1ヶ月後。
その間は胃が痛くなるようなもどかしい時間だった。

土地を買うのはもちろん早い者勝ちだ。
先に誰かが申し込んでしまえば、それまで。
とはいえ、この目で見ずに土地を買うなんて大博打はできない。

東京にいる間も、ハウスメーカーから送られてくる新着情報をチェックし、検索サイトとにらめっこする日々だったが、やはりあの土地に敵う場所は見つからない。

追加の土地情報はどんどん条件から離れていく。
ハウスメーカーもイマイチと知りつつ送ってきたのだろう。堤防沿いの土地や駅から徒歩20分の土地が候補に入ってくるに従って、自分達がハウスメーカーに無理難題をふっかけているような気がしてきた。

「あの場所が売れちゃったら、家を建てる話は振り出しに戻るかもしれないな。そしたら東京で働きながらじっくり考えればいいや。」
候補が増えれば増えるほどあの土地の良さが際立ち、いつの間にかあの場所に住めることが家を建てる条件の一つになっていた。


いま振り返っても、私たちはとても幸運だった。
何年も土地を探す人がいる中で、私たちは夫婦で希望する条件がピタリと合ったし、それを満たす土地が馴染み深い場所にタイミング良く現れた。

このチャンスを逃すわけにはいかない。
ここから先は、情報収集と決断のスピード勝負である。

そして1ヶ月後、私はようやく岐阜県に戻ってきた。

続きです↓


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