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見たことを後悔した映画


はじめに


去年、私はある映画を見て後悔した。
それは2013年に公開された「子宮に沈める」という作品だ。
この作品は緒方貴臣監督の作品で、テーマは「児童虐待」である。

この作品はアマゾンプライムで映画を探していた時にたまたまオススメに出てきた作品で、タイトルがあまりにも衝撃だったため見ずにはいられなかった。
タイトルがこれなのでハッピーエンドではないこともなんとなく想像ができたし、見ない方が良いのではないかとも思った。
しかし、私は福祉系の学科で学んでおり児童福祉に関心があったため見てみようと思い、通学の電車の中で見ることにした。

映画の中で感じた違和感


映画を見始めて最初は、「明るく素敵な家庭だな」と素直に思った。
母親と幼い子ども2人が仲睦まじく笑っている描写が描かれており「普通の家庭」という印象を持った。
しかし父親が出て行ってしまってからこの家族の歯車は狂い始める。
内容は詳しく言わないが、とにかく静かなのだ。

私たちが普段見る映画は、セリフがあり、シナリオがあり、音楽が流れていたりする。簡単に言えば起承転結がある。
しかし、この作品はある一般家庭の日常を覗いているような感覚に陥る。
カメラも定点カメラであり、セリフもほとんど無い。場所初めから終わりまで家の中である。
本当にある意味”自然”なのだ。

社会問題と繋がる


この映画の魅せ方に圧倒されたと同時に、これは私たち、特に専業主婦などの女性にとってすごく身近な問題だと感じた。

主人公の母親は、離婚前は専業主婦であり恐らく学歴も資格も何もなかった。
始めは昼職で働きながら仕事と子育て・家事をなんとか両立して生活していた。しかし、ある時期から昼職ではなく明らかに夜職に変わっていた。
幼い子どもたちのことも始めは気にかけていたが、段々と気にかけなくなっていた。家に男性を連れ込んだり、長期間家に帰って来なかったりと、所謂ネグレクトの状態になっていった。
最終的にどうなったかはここでは言えないが胸が苦しくなった。

映画から考える子育て支援に関する持論


専業主婦だった女性が急に働くとなると、母親にかかる負担があまりにも大きいように感じる。離婚後に父親が養育費を払うと言っていても、支払われないケースも多くあるし、そもそも生活するだけで精一杯になる可能性が高い。祖父母など周りにも頼れず、新しい土地で母親と幼い子どもだけで生活するとなると母親の身体的・精神的ストレスは増大するだろう。

こういったストレスのはけ口に子どもはなりやすい。それも直接型(暴力・暴言)と放置型(ネグレクトなど子どもと関わることをやめる)に分かれると私は考える。(この映画は後者だ)
親は子どもにとって絶対的な存在であり、嫌われたくない・疎ましいと思われたくないと自然に考えてしまう。幼い子どもならなおさらだ。
こういった子どもの気持ちを大人が知らず知らずのうちに利用して、結果的に子どもを傷つけてしまうケースは多い。
また、児童虐待の加害者で最も多いのは実母であることも忘れてはいけない。ワンオペ育児やシングルマザーなど、母親が一番子どもと接する時間が多いため、その分ストレスも感じやすいのだろう。
そこで私は、こうなってしまう根本的な要因は「母親(父親)を支援する資源が不足している」からだと考えた。

少子高齢化であり超高齢社会である日本は、日々増え続ける高齢者に対する政策や支援は手厚く行っていると若者の私から見ると感じる。(それでも年金だけで生活費を賄えない高齢者も多い)目の前の高齢者の支援で精一杯であり、子育て支援を積極的に行っている市町村はまだまだ少ないのが現実だ。
「現状を変えたいのなら選挙に行け」と言われるが高齢者の人数の方が多いため、若者全員が選挙に行ったとしてもこの現状を覆せるとは到底考えられない。(こういった諦めの姿勢も良くないことは分かっているが)
子育て支援や親を支える資源の確保が早急に必要だと私は考えるが、現実はそう甘くないのかもしれない。

最後に

この作品の後味は正直すごく悪い。
しかしこの問題は他人ごとではなく自分の身にも起こり得ることだ。
私も虐待をしてしまうのではないか、と怖くなった。
母親の育児ストレスのはけ口が子どもにならないように、周りの人間(資源)が母親を支える必要があると同時に、これからの時代は経済的に自立した女性になる必要があると考えさせられた作品だった。

精神的に安定しているときに是非一度は見て欲しい作品だったため、私自身の持論も交えつつ紹介した。

#映画にまつわる思い出 #大学生のつぶやき

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