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ネガティブケイパビリティと子育て観

こんにちは。
今日はネガティブケイパビリティについてちょっと考えてみたいと思います。
この言葉に出会ったのはもう3年くらい前なのですが、紹介してくれた友人に「なんでこれ紹介してくれたんだっけ?」と聞いたら、「え、忘れた!」と言われました。笑

でも3年経って、今このネガティブケイパビリティがものすごーく効いてきてるので、
子育てに絡めてお話ししたいと思います。(読み返すたびに、深い味わいを見つけられる本です)


はじめに ネガティブケイパビリティってなに?

ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability 負の能力もしくは陰性能力)とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」をさします。  あるいは、「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味します。

ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 帚木蓬生

とてもわかりやすい説明!でもこれって…?

「う〜ん?つまり…どーしようもないことは、そのまま放っておくってこと?」
「耐え忍ぶってこと?それって問題解決にならないし、成長しない気が…」

と疑問に思いますよね。
私も、初めてこの本を読んだ後、「どこに人生の救いがあるんだ…!?」と思いながら読み進めた気がします。

ところが、最近読み直してみて、1回目とは明らかに違う視点を持ちました。
このマインドって子育てとか、子どもたちとの生活にめっちゃ活かせるぞ!と思ったのです。

ただ耐えればいい?

では具体的に、子育てにおいて答えの出ない瞬間って、どんな時でしょうか。
例えば「子どもが片付けをしない」「食べるのが遅い」「嘘をつく」…など小さいうちはいろんな悩みがつきものです。そのほとんどは、成長過程でよくあること…かもしれませんが、当の親は、「きちんとしつけないと」と思って思い悩みます。

「答え(原因や対処)」を探るべく、ある人は育児本を読み、ある人は有名な先生のセミナーに行き、ある人は身近な先輩ママさんに相談するでしょう。このご時世ですから、ネットの質問掲示板などに書き込んでみる、というのもごくごく普通のことかと思います。

そうして、何か子育てのエッセンスやヒントを得て、家で実践してみたりして、好転することもあれば、悩みは延長線にもつれ込むこともあると思います。

こうした小さな悩みから、大きな悩みまで、ネガティブケイパビリティの精神で、ただ何もせず現状に耐えなさい、というものではない、というのが私の解釈。

つまり、「手っ取り早い方法」をとらなくとも、「物事は数ミリずつ進歩している」と心に一つ余裕を持つことが大切なのではないか…と思っています。

「ちょっと静観してみよう」という時間をあえて持つことです。

でもそれって悩んでる時に、「まぁいずれ時が解決するよ」と言われるようなもの。
こっちは深刻なのに、「もう絶対相談なんかするもんか」って思いますよね。

では悩みの当事者ではなく、悩みを受けた側に視点を移して考えてみたいと思います。

伴走者としてのネガティブケイパビリティ

著者の帚木先生は、精神科医なんですが、診療所での悩み相談についてこう語っています。

こうしてみると、身の上相談には、解決法を見つけようにも見つからない、手のつけどころのない悩みが多く含まれています。主治医の私としては、この宙ぶらりんの状態をそのまま保持し、間に合わせの解決で帳尻を合わせず、じっと耐え続けていくしかありません。(略)前に述べたように誰も見ていない所で苦労するのは辛いものです。誰か自分の苦労を知って見ている所なら、案外苦労に耐えられます。患者さんも同じで、あなたの苦労はこの私がちゃんと知っていますという主治医がいると、耐え続けられます。

ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 帚木蓬生

これって結構大事な精神だと思いませんか?

実際問題、悩み相談って・・・
「私の悩みは私の悩みでしかなく、人に解決してもらうことはできない」
わけです。
加えて、だいたい「方向性」や「言って欲しい言葉」は漠然と持っており、その答え合わせのように、相談していることって多くないですか?

だとしたら…悩み相談を聴く側は、共感と相槌、大抵のことはそんなやりとりで、相談者は納得してくれたりします。

余談ですが、これって男女間のトラブルあるあるでもよく聞きますよね。
女性にとって悩み相談は、ただ聞いて欲しいだけのことが多いのに対して、男性は「解決策」を出そうとしたり、「悩みの原因を探ったり」して相談者を不快にさせてしまうパターン。

原因や解決策を人から言われると、自分を非難された気持ちになるのでしょうね。
悩み相談の傾聴は難しいですが、「あなたの頑張りは私が見ているよ」という共感、その伴走者としての距離感が、ネガティブケイパビリティと合わせ技で決まると、すごく良いバランスだと思うのです。


さて、悩みを相談している側に視点を戻します。
この「あなたの苦労、頑張りは私がみていますよ」という眼差しは、とても心強くありませんか?

「時間が解決してくれる」とバッサリ言われたら嫌だけど、
「うんうん」と話を聞いてもらい、自分の持つ解決の方向性への共感、そして、「また進展あったら話してよ」とか「またつまづいたら、話きくよ」という伴走。
この緩やかな関係性が大切だと思います。

さらに、再会したおりに、「そういえば、悩んでたけど、最近どう?」といった継続した関係性が保たれていると、「覚えてくれていたんだ!また聞いてもらいたいな」なんて思いますよね。


ネガティブケイパビリティとは、答えのない事柄に耐え抜く力と冒頭に述べましたが、つまりは、「解決策」を急ぐのではなく、その答えのない時間を「共に」歩むこと。

あなたのことは、私がみていますよ、だから共に悩んで、共により良い答えを探っていきましょう、という安心感を得ることができるのではないでしょうか。

子どもに必要な力の一つ?

ではでは、対象を子どもにうつします。
なんでもかんでも、即座に解決を求めなくても、子どもはゆっくりと、その子のペースで成長していきます。他人と比べても良い事はあまりないですし、世の中の育児本ではそれを「子どもを信じる」と表現されますね。

子ども自身にも、「すぐに解決しない状態を耐える力」を身につけておくと、ここぞというときに「踏ん張れる」。長い人生で覚えておいて損のないマインドだと思いませんか?

パソコンが、なんでも瞬時に答えを出してくれる時代に、子どもたちに求められる力…
語り尽くされてはいますが「0から何かを作り出す創造力」とか本当によく聞きます。(私も言いますし)

でもいつでもそんな斬新なアイデアが出るわけじゃない。
そして全こどもがそんな能力を持つわけでもない。
多様な育ちをしていく中で、自分の役割や有用感を持って生きていくことが大切だと私は思っています。

なんでもスピーディに問題解決していくことに行き詰まった時、助けてくれるのはこのネガティブケイパビリティです。

答えの出ないこと、宙ぶらりんな状態、自分ではどうしようもないことに直面した時、耐えうる力があれば、「踏ん張って」生きていけるのだと思います。
ではどうすれば、子どもにネガティブ・ケイパビリティが養われるのでしょうか。


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