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【短編小説】雨水と共に流れるは 2


誰かに自分が見つかるなんて、夢にも思ったことは無い。

成り行きでアパートの隣の部屋に住むせいた兄さんの仕事を手伝うことになって、早くも一ヶ月が経ったようだ。学校から帰った俺に気がついた彼は、すぐに俺の家のチャイムを鳴らして薄っぺらい茶封筒を俺に差し出した。オレンジチェックの襟付きシャツという派手なコーデが夏夜の気温を跳ね上がらせる。

「ほい、バイト代」
「え……いや、俺貰えないっすよ」

戸惑う俺の反応に目を丸くするせいた兄さんはこてんと首を傾げた。俺は困ったように首を横に振る。

「俺、ほとんど動画作りの勉強しかしてないじゃないですか」
「でも、先月三本も字幕入れたろ?」
「一本五分の動画の字幕、ね」

人気実況者らしい人のちょっとしたゲーム動画。
ペラペラと喋るそれを一通り聞いて、一部を字幕に起こして打ち込んだ。まぁ、初めてにしてはかなり骨が折れる作業だった。何回俺はこの動画を見返さなきゃいけないんだと目を回したり、どの言葉を字幕採用すれば動画映えするのかも分からず手探りな部分もあった。

「字幕一個でも入れたり文字が消えるタイミングの修正で俺、かなりやり直しさせたでしょ」
「そうだけど、普段PC触ってたら誰でも出来ることじゃないですか。そんなことでお金貰ってたら変に勘違いしそうで」
「そんなこと、と所沢くんは思うんだ?」

ぱらり、ぱらり、どこからか水が落ちるような音がしたかと思えば大粒の雨が降ってきた。ぐいっと茶封筒が喉元に突きつけられて、少しだけ仰け反った。

「君が入れた字幕動画は一本につき三十万回再生されたよ」
「え、うわ、えぐ」

知らない実況者だったから、自分が担当した動画がその後どうなったのかなんて全く気にも止めてなかった。数字の桁が大きすぎてあまりしっくりこないけれど、首の後ろ、鳥肌が立つ。

「君は、それだけの技術で三十万人の人達を楽しませたんだ」

ザーーーー、大雨の音が三十万人の足跡のようにも聞こえた。生唾を飲む。

「だからね、人の心を揺らした分だけ君は対価を貰うべきなんだよ」

恐る恐る、茶封筒を両手で受け取った。するとせいた兄さんはにっこり笑って大きく頷く。

「動画ってね、沢山の人の心と生活の支えなんだ」
「……まぁ、俺も毎日見てるから分かります」
「うん、」
「なんか恥ずかしいけど、有難く貰いますね」
「どうする? このバイト、続ける?」
「少し、考えてもいいですか」

俺とは反対に満足そうな顔をして、せいた兄さんは帰って行った。封筒を開け、(大学生からしたら)それなりの額入っていることに困惑しつつ、俺はスマホを手にした。担当した実況者名を検索するとすぐに最近何度も見た動画が出てくる。再生回数は三十五万まで膨れ上がっていた。それをタップしてみると、ファンからのコメントがずらりと並んでいる。殆どは実況者に向けてのメッセージだが、ポツポツとこんな事も書いてあった。

『編集変えた? 見やすくなってる』
『字幕のフォント変えたんだね!これもいいね』

一気に顔に血が上った。心拍数が跳ね上がる。雨音と心臓の音が妙に鮮明に聞こえた。
紛れもない編集へのコメント。つまり……俺宛、だ。
君の仕事は三十万人に見られたよ、とせいた兄さんが言っていたことが現実味を帯びて俺に襲いかかってきて。とてつもない仕事に手を出したのではないかと今やっと実感出来た。

タイピングさえ出来れば誰でもやれることなのに。

『兄さん、俺、動画のバイトもう少し続けさせてください』

メッセージを送るとすぐに既読が付いて、OKとうさぎがポーズを決めたスタンプが送られてきた。
就活地獄がこれから待っているというのに、ここに来て動画編集バイトを始めるなんて。
俺は一体何処へ向かうのだろう?
雨水のように現実に流されながら、身を委ねた。


※※※※※

前作たくさんの方に読んで頂けたのが嬉しすぎて続き書きました!ありがとうございます!わーい!!!!!

続⬇


今後の活動に使わせて頂きます。