見出し画像

【小説】ありあ-夢の中の少女-

あらすじ

ある日、鉄島直は夢の中で少女と出会う。
リアルな夢ではあったけれど、所詮、夢は夢として片付けて日常を送るつもりだった。
が、自身が務める会社と同じビル内で開催されている個展に夢で出会った少女にそっくりなイラストが展示されている事に気がつく。
あれは単なる夢では無かったのか。
少女に導かれるように出会いが訪れ、交流が始まり、現代の大人ならではの冒険が幕を開ける。
直が少女を通して見つけるものは、何か。

これは
あなたの傍に常にある、ファンタジー。


それでは夢の中へ、いってらっしゃい。


※※※※※※※※※

1.夢路


コンクリート製の急な階段を上ると、やがて小さな灰色の鳥居が姿を現した。ここに建ってもう何十年と経つのか塗装は所々剥げ、よく分からない植物の蔦が鳥居の足元に絡まっている。もう一段上の階段を踏むと、小さな木製の祠があるのが見えた。

「あ、」

祠の傍に誰かいる、と認識した時にはもうその人と俺は目が合っていた。柔らかく長い焦げ茶色の髪を遊ばせた白いノースリーブワンピースの少女。クリっとした黒目が小動物みたいで可愛らしい。

誰?

俺と彼女の間に気まずい沈黙が流れる。
どこか遠くで鳥のさえずる声がはっきりと聞こえた。何を言えばいいだろうと困っていると、少女の方から話しかけてきた。思わずビビって肩が上がる。

「名前は?」
「えっ…鉄島、直…」
「てつしまなお」

何かの綺麗な楽器の音のような透き通る声で彼女は俺の名を復唱してから、自分自身を指差して言う。

「ありあ」

その三文字が彼女の名前なのはすぐに察した。今度は俺が復唱する番だった。
次の会話が見つからない。そういえばここは何処なんだろうと思い、周りをぐるりと見渡す。しかし、鳥居と祠とコンクリートの地面以外、真新しいキャンパスのようにどこまでも真っ白い。空も。

「また会えるかな」

ありあが微笑む。返事をしようと口を動かした途端、俺はベッドの上で目を覚ました。

「夢、か…」

夢にしては靴越しのコンクリートのジャリっとした感覚とか、柔らかな風の匂いとか、ありあの声は妙に現実を帯びていた。でも俺も二十五年間生きていたから分かる。そういう夢は別に珍しくないし、起きた時は覚えているのに一日も経てばすっかり忘れるということを。
今回もそのパターンだと自己完結して、枕元の時計を見た。

五月十五日、六時半。明日は休みというどこか気怠さを孕んだ金曜日の朝。
もぞもぞと布団の中でもっと寝たい意志を示した後、半ば諦めたように起き上がった。

俺の会社はマンモスビルの七階にある。
一階から三階はショッピングモールになっていて、俺が出勤する時間帯はモールの開店が今かいまかと待ちわびる買い物客を横目に関係者入口の方へ向かう。

「ん」

いつもの自動ドアをくぐってすぐに小さな看板が置いてある事に気がついた。確かに昨日までは無かったそれは、やけに俺の目を引いた。

『イラストレーター”未来” の初個展
五月十五日~五月三十一日まで、東京アクアモール三階展示会場。 入場無料』

全く知らない人の個展、そもそも俺はそこまでイラスト界隈に明るくない。
だけど、作品の一例として掲載された絵には今日夢で見た「ありあ」にそっくりな少女が描かれていた。妙な偶然に足がすくんだ。

これといってさほど責任感を問われない自分の仕事を適当に切り上げ、定時で上がる。同僚に誘われた呑みを断ると、ついに鉄島にも彼女が出来たか! と勝手な憶測で騒がれた。誰が「今日夢で見た少女とそっくりな絵を見に行く」なんて言えるか。
入社して二年経つが、何気にショッピングモールの三階に行くのは今日が初めてだった。立ち寄るとしても一階のスーパーで惣菜を買うくらい。
マダム向けの洋服屋と、高級そうな食器やキッチン用品が並ぶエリアを通った先に催事コーナーは姿を現した。シンプルな額縁に入った絵が何点か壁に飾られているだけの質素な空間。
過去、アニメのイラスト個展に行ったことがある。そのときはもっと、キャラクターのグッズとか、世界観に合わせた装飾があちこちに施されてあって。今回の個展もそれくらい派手なものだと思っていたから心の中で「つまんねぇな」と悪態をつく。我ながら最低だと思うが、俺以外に見物客がいないのも頷ける。
とりあえず一番近くにあった絵を見た。
焦げ茶色の髪の、白いワンピースを着た少女がこちらを見ている。絵は、たっぷり水を含んだ絵の具で描かれたものだと思う。水彩画っていうんだっけ?
ぐるり、体ごと動かして他の絵も大まかに見る。どの絵にも背景は違えど例の少女が描かれていることに気が付いた。それだけ推しているキャラクターなのか、あるいはイラストレーターの未来とやらが変態のおっさんなのかも…とか色んな方向に思考が回る。すると、どこからともなく蛍の光の音楽が流れてきた。いっけね、閉店の時間か。ここ、意外と閉店時間早いんだな。
俺は慌ててその場を去り、その日は家の近くの居酒屋で一人飯を決行した。

翌日、せっかくの土曜日なのにざぁざぁと降る雨。外に出るなんて考えはこれっぽちも俺の中で生まれなくて、ベッドに寝転がってスマホをいじる。
ネットサーフィンも、子供のころから触っていればなんとなく自分の好きなサイトやら動画やらのルーティンが出来ているわけで。しっかり二時間かけて自分のお気に入りコースを回った後、俺は『イラストレーター 未来 個展』で検索をかけた。検索結果で一番上に出てきたその人物のSNSらしきURLをタップする。

『アナログ、デジタル両方の水彩画を描いています。五月十五日~三十一日まで東京マリンモールにて個展中。お仕事はメールで受け付けています。』

それだけの自己紹介文。フォロワーは三千人程。水彩画ってデジタルでも出来るんだと謎に感心した。この人の投稿絵を見ていくと、猫や犬、背の高い男性やクラブに居そうな派手な女性などジャンルはバラバラだった。特に個展に飾られた少女を推しているわけではないらしい。
じゃあ何故、あの個展ではあの少女に似た絵しか飾っていないのか。未来のツイートを遡るも答えは書いていない。この人のファンであろう人たちの呟きやリプライを見ても、誰一人として俺と同じ疑問を持った人物はいなかった。

日曜日。晴れ。俺はイラストレーター未来について探ることをやめた。
どうせ俺の夢に出てきた『ありあ』も、個展の少女のデザインが酷似しているのも偶然だろう。物語の主人公になった気分で深追いして何も無かった時を想像したら傷つくと思ったし、実際そうに違いない。もう厨二病を患っている年齢はとっくに過ぎているんだ。
今日は食材と日用品を買いに行けば用事は終わり。

※※

また、白い空の下、じゃりじゃりしたコンクリートの地面を歩いていた。脇道には伸び切った雑草が小さな花を付けて揺れている。太陽の暖かな日差しと匂いが懐かしく感じられ、穏やかな昼下がりという言葉がピッタリだと思えた。
当てもなく歩いた先にまた『ありあ』がいた。彼女も俺を覚えていたようで、目が合うと子犬のようにころころ笑ってこっちに来た。近くで見る彼女は百五十センチくらいで、小さかった。ありあは言う。

「おかえり、なお」

反射で「ただいま」と返した。
彼女はキラキラと瞳を輝かせた。

「また、会えた」
「あのさ…あれ、なんだっけ」

ありあに会ったら何か聞こうとしていたことがあった気がする。なのに言葉が全く出てこない。
ふと、潮の香りが鼻をかすめた。海なんて見当たらないのに。

「おいで、私の遊び場、こっち」

ありあが俺の手を取った瞬間、俺はまた目を覚ました。
週の初め、月曜日との邂逅である。太陽はしっかりカーテン越しに俺の部屋を照らしていた。

「…はぁ」

もう一度目を瞑っても、夢の続きは見られそうになかった。仕方なく起き上がって支度を始める。

※※※

イラストレーターの未来 と名乗る人物と直接会う事になるにはそう時間は要らなかった。
俺が、なんとなくありあを忘れられなくて仕事帰りに個展に足を運ぶようになっていて。
連日俺を見ていたスタッフさんが「熱心な未来のファンに違いない!」と勘違いして本人に連絡したんだとか。
スタッフさんに手を引かれて俺の前に現れた女性は、いかにも絵を描いていそうな雰囲気を纏っていた。
お団子頭に、半透明の赤い額縁メガネ。ジーンズ生地のサロペットと白いシャツ。ほぼ同年代か。なんとなく下北沢で古着屋巡りをしていそうな女子、という偏見の目で見てしまう自分が居た。

「あの、この個展をやっている未来です。この度はお越しくださりありがとうございます。えっと…フォロワーさん…ですか?」
「あ、いや、フォロワーじゃなくて、この個展で初めて知ったような…そんな感じです」

緊張気味だった未来さんの顔が緩んで明るくなる。

「個展でファンが出来るなんて思って無かったのですごく嬉しい!」
「あ、いや…謎解きみたいな感じで見てるっていうか…」
「謎解き?」
「…ここの絵、同じ人物が描かれているのってなにかあるのかな…って…」

流石に初対面の人に「よく絵の中の少女を夢で見ている」なんて突飛な事は伏せておく。
未来さんの顔が強ばった。コロコロと感情が変わる分かりやすい女性だと印象を受けた。

「えっと、それについては少しお話を…あ、椅子出しましょうか」
「未来さん、そういうのは私の仕事ですよ。お待ちください」
「あ、いや、なんか、すみません」

スタッフさんがテキパキと二人分のパイプ椅子を部屋の隅に出してくれたので、そこに未来さんと座った。どういう図なんだ? と心の中で今の状況に突っ込んだ。

「私、イラストレーターとして活動するようになったのって、家の近所に新しく出来たパン屋さんのチラシを作ったからなんです。すごく気前のいいご夫婦で、お話してる時に私の絵の話になって頼まれて」
「…はい」
「個人店の小さなお店って、お店同士の横の繋がりが強いんです。チラシが出来てすぐに地元の小さなお店界隈で私の名前と絵が広まっちゃって、いつしか本業が出来ないくらいに絵の仕事が増えて…独立しました」

別に貴女のデビュー話なんて興味無いんですけど…。多分今の俺の顔にはそう書いてあるに違いない。それでも話を止められるほど俺は度胸を持ち合わせていない。

「で、独立してすぐに夢で会ったのが今回の個展の主役の子なんです。神様みたいな事を言っていました。未来の絵はどんどん世界に広がる、って」
「え、夢?」

俺の姿勢が若干前のめりになる。未来さんは話す事に夢中なのか、俺の態度が変わったことに気が付く様子はないまま話を続ける。

「はい、夢なんですけど、四、五回くらい彼女と会ったんです。それが忘れられなくて。今回初めて個展の話を貰って、彼女が言ってた通りになるのかなって思ったら彼女の絵だけを飾りたいな…って」
「えっと…この絵の子って、名前ありますか?」

座ってから俯きがちだった彼女の目がやっと俺の顔を見た。

「ええ…と…、だから、まず、この個展に謎解き要素は無いんです。ごめんなさい、それで彼女の名前は…」

一瞬の、間。

「ありあ、って、名前です」

※※※※※

「ありあって名前の女の神様ぁ? そんなの日本にはいないよ。海外神話なら知らないけど」

未来さんからあの話を聞いた週の土曜日。
俺は居ても立ってもいられなくて三つ上の姉である美羽の家に来ていた。黒髪ポニーテールは昔から姉ちゃんのトレードマーク。TシャツにGパンとラフな格好を好む、シンプルイズベストな人間。
俺の姉ちゃんの美羽は大学時代に日本神話について研究した名残から、神話や歴史の記事を専門としたライターの仕事をフリーでしている。堅苦しそうな資料や本だらけのこの家の中は苦手で普段は滅多に訪問しないのだが、ありあについて何か知れるかもと思ったのだ。

「じゃあさ、夢に出てくる神様…とか」
「大体神様はお告げをする時に夢に出てくるもんだと思うよ。そういう記録は山のようにある。天照とか、弁財天とか、上げたらキリがない。」
「…そっかぁ」
「何のことか分かんないけど、そんなしかめっ面してたら何も進まないよ。抹茶プリン食べてきな、コーヒー淹れるから」

収穫無し、か。
キッチンの方でこぽこぽとお湯が注がれる音がする。テーブルの上に乱雑に置かれた資料を適当に集めて脇に寄せた。やがて抹茶プリンコーヒーの用意を終えた姉ちゃんがニヤニヤとした顔で俺の向かいに座る。

「で、詳細聞かせなさい」
「はぁ?」
「あんたが家に来るなんてなんかよっぽど面白いことが起きてるんでしょ」

ライター気質、というものだろうか。姉ちゃんは子供の頃からこういう直感が鋭い。母から内緒で買ってもらったシール付きウエハースやポテトチップスも食べるまで隠しきれた覚えがない。絶対に俺が隠していることを見抜く天才だ。

「変だって笑うなよ?」
「内容によるー!」

抹茶プリンの苦い味が俺の心情を表していた。少しづつ食べて飲みながら、ありあの事を話した。ついでに、未来さんのことは友達としてぼかしつつ。姉ちゃんは興味津々に食い入るように黙って俺の話を最後まで聞いていた。

「夢に出てくる神様ねぇ…! しかも二人分の夢…へぇえ」
「気味悪くねぇか?」
「集合意識ってやつ? 全人類の精神は奥底で繋がっているって考えもあるから有り得なくなくは無いと思うよ」
「ふぅん」
「で、直は神様に詳しい姉ちゃんの所に来たってわけか」
「そういうこと」

「うーん」と考え込む姉ちゃんを横目に、すっかり温くなったコーヒーをすする。プリンはもう食べ終わった。

「ねぇ、その個展ってアクアモールだっけ?」
「そうだけど」
「こりゃ行くしかないな!」
「はぁ!?」
「なによ、ただ個展見に行くだけいいでしょ」
「そこのスタッフに直の姉ですー! とか言うなよ!?」
「言うわけないでしょ、そこまでコミュ力高くないし」

早速スマホで未来さんの個展を調べる行動の早さに若干引きつつも、姉ちゃんが個展に行く当日に俺とモール周辺で鉢合わせ無いことを心の中で願った。

※※※※※※

「個展用イラストが売れたんです…初めてだし、私がいない時だったのでどんな人か分からないのがすごく悔やまれます。スタッフさんからは女性とだけ聞いてるんですが」

後日、また仕事帰りにフラッと個展に立ち寄ると壁に飾られていた絵が一枚足りないことに気がついた。たまたま展示会場にいた未来さんに何気なく聞いてみるとそういう訳らしい。

「え、この絵って売ってたんですか!?」
「はい。問い合わせていただければ、値段を掲示します」
「ちなみに、平均的にいくらとか聞いても…?」

千円くらいかなら一枚買ってもいいかな、と思った俺は彼女から聞いた値段に心の中で飛び上がったのは言うまでもない。
絵って高いんだな、そういや、有名な人の絵が数百万で落札されたってたまにニュースで見るもんなぁ…技術代ってやつ? 等と自分の中で一生懸命値段に納得出来るように理由を探した。

「あ、スタッフさんから聞いたんですけど、イラストを買ってくれた方がこの女の子を見て、ありあって言ってたそうです。私、外部にこの子の名前漏らしたの、鉄島さんしかいないのに…」
「あ…」

その客って姉ちゃんかよぉ!
心の中の俺が全力で叫んだ。
まぁ、いい。ここで俺が変に反応しなければ…。

「…もしかして、鉄島さんのお知り合いの方だったりしますか?」
「んぅ!?」
「やっぱり、顔に書いてありますもん」

俺は昔から考えていることが顔に出やすいとは言われて来たが、ここまでとは。多分、前回の彼女の生い立ちを聞いてた時の興味の無さもバレてたかもなぁ…しかし、くすくす笑う未来さんを可愛いって思ったのは本気で内緒。
観念して、多分その絵を買った客は姉である事を話した。

「じゃあ、私、初めてイラストを買ってくれたお客さんに会えるってことですね!」
「えっ」
「わー! 良かった! 直接お礼も言いたいし、どんな方か見たかったから!」
「もしかしてですけど、俺に連れて来いと…?」
「はい!」

聞いている限り、姉弟仲も良さそうですし! と言われ俺はついつい頷いてしまった。
俺だって男だ。女の子からのお願いはなるべく聞いてカッコつけたい欲がある!
個展の期間はあと一週間も無いことに気がついたのは個展会場を後にしてからだった。慌てて姉ちゃんにメッセージを送る。多分時間は作れる人だから大丈夫だと思うけど。

※※※※※※※

昭和後期の雰囲気が漂う誰かの家の中にいた。
コンクリート製のマンションのリビング。
昭和後期、と俺が判断したのは、現代ではなかなか見ない黒い金属取っ手が付いた木製のタンスとか、紅色と黄色のチェック柄クッション付きの椅子とか、布製のおかっぱの女の子のぬいぐるみとか、ダイヤル式の分厚いテレビとか、そういった家具があるからだ。

かたかた、と、キッチンらしきところから音がしたと思えばありあが出てきた。分厚い料理雑誌を脇に抱えて、所々玉子が破けたオムライスの乗った皿とスプーンを運び、テーブルに置いて食べ始めた。

「ここがありあの家なの?」

なんの脈絡もなく、俺はありあに聞いた。
ありあはスプーンを咥えながらこっちを見て、笑う。

「別におうちじゃない」
「ここ、他人の家!?」
「今は誰もいないよ、どこもからっぽ」

どこも、とは。
聞き返したいが、俺の口は動かない。ありあは気にせずオムライスを食べ進める。口回りをケチャップで汚して美味しそうに。
全然知らない家なのに、どこかで見たことがある気がするのは何故だろう。
未来さんの絵? いや、あの個展にはこんな生活感のある背景のものはない。もっと、こう…

「あっ」

何かを思いついたと同時に目が覚める。あれ、何に気が付いたんだ俺! 何度も寝起きの頭を回転させても出てこなかった。真っ暗闇の中、手探りで枕元に置いていたスマホを掴んでタップした。深夜三時。姉ちゃんから『明日の夜に個展の所ね、了解~』となんとも軽いメッセージが届いていた。

「明日、ありあにまた会ったって言ったらどうなるんだろうなぁ」

毎回、ありあの夢は鮮明だ。でもなんで今回はオムライスだったんだろう。
そう言えば、俺は未来さんみたいにありあから予言めいた言葉は貰っていない。未来さんがありあを神様みたいと言ってたし、俺も最初神社みたいなところで出会ったから勝手に神様なんだと思っていたけれど…。

「本当に神様なら俺にも予言くれたっていいのに」

例えば、明日の十七時に駅前の宝くじ屋で宝くじを三枚買ったら一億当たるとか、仕事帰りに家の近くのBARに行けば理想の彼女と巡り合える、とか。
そこまで考えてため息が出た。俺、未来さんみたいに「○○になりたい」みたいな夢、持ってねぇや。そりゃあ、ありあも予言なんかしないわ。
じゃあなんで、俺は夢でありあに会えるんだろう。答えの出ない疑問が俺の眠気を吹き飛ばしてしまう。明日は姉ちゃんにだらしないって怒られると思いつつ、瞼が重くなるまでネットサーフィンに勤しんだ。

翌日の仕事終わり、いつもの展示会場。
姉ちゃんは俺より早く来ていて、なんともう未来さんを捕まえて談笑していた。うわ、気まず…! と無意識に俺の足が帰ろうとする前に姉ちゃんに気付かれてしまう。

「やっほ! やっと来た!」
「俺は仕事帰りなんだよ」
「あのさ、新情報! ありあって名前、未来ちゃんが夢の中で付けた名前なんだってさ」
「えっ!?」
「えっと…鉄島さんの夢のお話、お姉さんから聞きました。すごい驚いてます…」

姉ちゃんの事は姉として嫌いでは無い。嫌いでは無いけど、口が恐ろしく軽いところは嫌いかもしれない。

「私がいくら神話の神様調べても出てこない訳だわ…あー! スッキリした!」
「勝手にスッキリするなよ、俺はモヤモヤしてんだ」
「未来ちゃんがありあを夢で見てた頃と、今の直に共通点があると思ってたんだけどね…旅行に行ってきた後、くらいしか」
「え、横須賀の猿島?」
「いいえ、私は長崎の軍艦島でした。会社辞めて時間が出来たから思い切って…」
「全然違うじゃん」
「そうなんだよねぇ…」

俺が旅行した神奈川県横須賀市の猿島。東京から比較的気楽に行ける無人島。戦時中の設備や建物が自然に喰われつつも残っている所から、異世界に迷い込んだ気分を味わえるとして人気な観光地。俺が行ったのは一ヶ月くらい前。
対して長崎県の軍艦島なんて日本人ならだいたいの人間が知っている無人島じゃないか。実際に行ってきた猿島と、テレビで見た事ある軍艦島を脳内で照らし合わせても共通点が見つからない。

「あ、どっちも元有人島で、現在無人島ですね」

未来さんが言った。確かに、と思った。

「無人島に住む神様って神話にいるの?」
「聞いたことないなぁ…」
「じゃ、じゃあ、軍艦島と猿島に祀られている神様が同じ、とか…? 軍艦島に神社があるのを遠くから見ました!」

各自スマホでそれぞれの島の事を調べ出す。
真相を暴けそうな高揚感が俺達を襲ったが、一分もしないうちに三人共肩の力が抜け落ちた。

「猿島は神社すら無いわ…確かに見た記憶無い」
「軍艦島の神社は男の神様っぽいね」
「何もかすりもしそうにない…」

結局、ありあの正体探しは振り出しに戻る。
昨夜の夢の内容を思い出した。

「そういや、昨夜の夢だとありあは家の中で飯食ってたな」
「えっ、夢に出てきたんですか!?」
「なぜ先に言わない!?」
「言うタイミング無かっただろ! 昭和感溢れる家だったよ、ここがありあの家かって聞いたら、違う、どこも空っぽって言ってた」

そこまで言い終わって、蛍の光が放送で流れる。随分と話し込んでしまったと解散する流れになった時、姉ちゃんが「もう個展も終わりに近づいているから」と、俺と姉ちゃんと未来さんで連絡先を交換しあってグループチャットを作ることになった。ありあの事がどうしても気になるんだと。
そうは言ってもこの先スッキリする糸口が見えないんだけど…。まぁ、飽きるまで付き合っても別にいいか。

帰り道、駅に向かう途中で姉ちゃんは俺を肘で小突いてきた。

「可愛い子見つけてんじゃん」
「そういうんじゃねぇって」
「ええ!? つまんない!」

俺が最初、未来さんの事を姉ちゃんにちゃんと話さなかった理由がコレだ。高校生の頃から俺が女子と関わるといつもニヤニヤして冷やかしてくる。二十歳の時に彼女が出来たって報告した日にはホールケーキを買ってきて、二年後に別れたと言えば日本酒を買って「今夜は一杯やるか!」なんて誘われた事を思い出す。そんなに弟の恋愛事情が楽しいもんだろうか。俺は姉ちゃんが彼氏出来たとか別れたとか言っても全然興味すら向かなかったのに。

「あ、そうだ。せっかく三人連絡取れるようになったし、共通点っぽいのも見つかったから今度元有人島に行くってどう?」
「はぁ!?」
「それで今度は私が夢でありあと会えたらやっぱり無人島がキーワードってことになるじゃん」
「そんなの確かめるために!? 俺、仕事あるんだけど!!」
「有給溜まってんでしょ。土日も利用していい感じに連休になさい」
「めちゃくちゃ…!」
「よーし! イケメンと結婚する予言もらっちゃうぞー!」

結局駅のホームで電車が来るまでに俺が姉ちゃんに言いくるめられて、未来さんの都合もいい時にしようということで落ち着いた。結局弟は姉に勝てないってどっかの芸能人がインタビューで言ってたけど、どこの家もそうなのかな。
姉ちゃんが先に電車を降りて一人になる。スマホには未来さんから俺らに向けて『今日もありがとうございました』とメッセージが入っていた。

2.夢幻

八丈島の真隣にある元有人島、八丈小島に行くと決まったのは未来さんの個展最終日の夜だった。
個展中、未来さんの絵を「夢で似た女の子に会ったことがある」と言って購入する人が何人かいたらしく、その人達に「夢に女の子が出てくる前、無人島観光しませんでしたか?」と未来さんが聞けば全員がイエスだった(しかも、後から調べたら購入者は全員元有人島の名前を出していた)とかで、未来さんもありあへの興味が強まって姉ちゃんの旅行案に乗ったからだ。

なぜ八丈小島かと聞けば、「東京からサクッと行けそう」というなんともチープな理由だった。(多分、バカンス気分も味わいたいという理由も入っていそうだ。)七月最初の土日に有給を二日くっつけて、俺達三人の不思議な旅が始まった。

羽田空港から飛行機で約一時間程で八丈島には着いてしまう。どこまでも続く青の中にぽつんと浮かぶ島。
梅雨時期にも関わらず俺らの宿泊中の天気予報は全て晴天。ありあの加護かな、なんて話も出た。

ちなみに俺はこの旅行日を迎えるまでの一ヶ月の間にありあと夢で再会したのは一度だけ。その時も草とコンクリートが印象的な場所だった。楽しそうに遊んでいた彼女に、七月に八丈小島に行くと言うと目を見開いて固まっていたのが最後に見た姿だ。

初めての離島旅行。気温は都心よりやや高いが、半袖でちょうどいい気候。空気が都会とは比べ物にならないくらいおいしい。
予約していたレンタカーが空港で待ち構えているサービスの良さに驚きつつ、昼過ぎの到着なのもあって初日は車で八丈島をぐるっと一周した。時折海や気になったお店を見ようとちょくちょく足を止めたので二時間半程掛かけてのざっくりとした島観察。陸から海を見下ろした際にウミガメが泳いでいたのを見つけたことが特に印象に残った。

ホテルは空港に近い丘の上にあり、とにかく面積が広い。セレブが泳いでいそうな巨大なプールが庭にあった。手入れが隅々まで行き届いた高級感溢れる建物。一泊いくらか気になったが、ここは姉ちゃんが全額支払うということになっている。おとなしく甘えておこう。もちろん、一人一部屋借りだ。

チェックイン後、荷物を置いてホテル近くで見つけた趣のある居酒屋で夕飯を食べる。(一軒でも多くの飲食店を訪れたいとのことで素泊まりプランだそうだ。)慣れないメンバーと旅行という状況からか、全員この時点でそれなりに疲労が出てきていて、ノンアルコールで乾杯することに。刺身はもちろん、島とんがらし味噌を使った和え物等ここでしか食べられなさそうな料理を注文し、舌鼓を打ちながら明日の予定を確認する。

「八丈小島にはツアーを申し込んでいるから。明日十時にはホテルロビーに集合ね」
「へぇ、ツアー」
「個人で行くルートが無いのよ。整備されてない無人島だし、定期便がある訳じゃない」
「八丈小島のどこを見たいとか、あるんですか?」
「え、ない」
「ない!?」
「なんか神社とかあったらお参りしとこ~、みたいな?」
「へぇ、神社あるの?」
「…なさそう」

スマホをいじって姉ちゃんが肩を落とす。いや、神話ライターなんだから事前に旅行先の神社情報くらい入れとけ。

「まぁ、元有人島に行って、私も夢でありあに会えるか検証する旅だし。もしかしたら未来ちゃんもまたありあに会えるかもだしねぇ」
「そうですね。もしまた会えたらお礼がしたいなぁ。あの子の予言があったからイラストレーターとして仕事できてるし…」
「私も予言ほしい!!イケメンと結婚するでしょう!とか言われたい!」
「ありあは絶対そんなこと言わねぇ」

そんな感じで飯を食い、ホテルに戻って解散した。一人になった途端、溜め込んでいた疲労がどっと押し寄せる。シャワーをそこそこにベッドに転がった。やっぱり慣れない旅で緊張していたみたいだ。

そのまま寝てしまったのか、気がつくともう深夜だった。スマホで時間を確認すると三時半。カーテンを閉めるのを忘れていた為にベランダに続く大きな窓からハッキリと星空が見える。夜風を浴びたくて重だるい体を起こしてベランダに出た。生ぬるい潮風が全身を包みこむように吹いた。
空はどこまでも黒く、それを彩るように星が散りばめられるように瞬いている。本当にここは東京なのだろうかと疑うくらいにそれは綺麗で、プラネタリウムに来たような気持ちになった。プラネタリウムの方が本来の夜空を真似ているのに、頭悪い表現方法しか出てこない。むず痒い。

「こんばんは」
「うっわっ!?」

急に聞こえた女性の声に俺は情けない悲鳴を上げた。隣の部屋の未来さんがベランダから出てきて声を掛けたらしい。いつの間に。
くすくす笑う彼女に、「驚かせないでください」と拗ね気味で言う。
昼間と変わって髪を下ろし、メガネを外した彼女はこれまた雰囲気が変わり、いい意味で別人みたいだった。

「星、綺麗! 肉眼でこんなに見えるもんなんですね!」
「え、ああ、そうですね」
「私、イラストレーターやってて良かったなって今が一番思うかも」
「え?」
「だって、イラストレーターとして活動して、個展やってたら友達が増えて、こうして旅行に行けてるようになるって誰が思います?」
「まぁ、確かに」

脳裏に普段の自分の生活が浮かぶ。俺はただのサラリーマンで、上司に言われたことに文句付けながらこなして、休日は寝てるかゲームしてるだけ。
多分、夢でありあに会わなければ、今頃も家で一人だっただろう。

「フリーランスって、自由でいいねってOLやってる友達から言われるんです」
「ああ、なんか憧れるの分かる。出勤は無いし、休みたい時に休めて、キラキラしてる感じ?」

あの、一際輝く星みたいに。

「実際は不安との隣り合わせです。自分で仕事を取ってこないとお金にならないし、交渉先に心無いこと言われて値引きを求められたり、私よりイラストが上手い人は山のようにいる。経理だって自分でやらないといけない」
「まぁ…上手い下手は俺は何とも言えないけど想像は出来る」
「私はたまたま地元にイラストを認められた。運が良かっただけ。地元を一歩出ればたちまち売れない作家になる…たまに私はOLの友達の方が羨ましいって思っちゃう時がある。仕事に困らなくて、税金や年金の管理も自分でしなくていいって良いなって」
「でも、ありあには言われたんでしょ? 未来の絵は世界に出るって。夢があるって素敵だと思うけど」

海があるだろう方を見た。クレヨンで塗りつぶしたような黒い場所。夢のない俺はあの黒い海だと無意識に示すように。

「私、ありあにもう一回会って聞きたいの。本当にそうなるかどうか」
「え、なんか人任せでヤダ」

思わず本音が出た。未来さんが目を丸くする。

「ヤダって」
「ありあともし会えたとして、やっぱり未来は今のままで終わりますーって言ったらどうすんの? そこで諦められるの?」

下を向いて黙る未来さん。あ、俺、こういうこと言うから女から嫌われるのを忘れてた。昔の恋愛を思い出し、背筋が凍り、息を飲む。ここで未来さんの機嫌が悪くなって明日の旅に影響が出るんじゃないかと最悪の事態を想像した。

「…もし、今のありあがそう言っても、私は認めないかな。うん、世界に作品を広げます」

顔を上げた彼女はにへっと歯を見せて笑った。どうやらこの娘は強い精神をお持ちのようだ。良かった。力が抜けた。

「いいじゃん。俺なんて大学時代に就活うまくいかなくて、半ばやけになってた時に引っかかった会社に今もいるからさ。別にやりがいもないし」
「鉄島さんは何かやりたいことあるんですか?」

そう聞かれて、俺は首を傾げた。
何を仕事にしたいかって、そんなの大学時代序盤で置いてきたっきりだ。いつの間にか夢を挫折して、世間に流されるままずっとなんとなく。生きるため、金があればいいかな程度の、のらりくらり生活。

「分かんねぇけど、未来さんや姉ちゃんみたいにフリーとか起業とかは向かないかなって思う」
「何もやりたいことは仕事にしなきゃいけないとか、起業しなきゃいけない、ではないですよ」
「んー…なんっだろうなぁ」

会話が途切れた。なんとも言えない空気感に耐えられず、もう寝ようと切り出して俺達はそれぞれの部屋に戻る。ぐしゃぐしゃになった薄っぺらい掛け布団にくるまった。

「やりたいことねぇ」

もし俺にそんな夢があったら。
ありあは未来さんの時みたく俺に予言を授けてくれたんだろうか。
瞼が重たい。そのまま目を閉じれば睡魔に襲われて意識を失った。

八丈小島からはツアー側が用意したジェットバスに乗って行く。不思議なことに参加者は俺達三人だけだった。酔い止めの薬を飲んで、ぐおんぐおん唸るエンジン音をBGMに思った以上に揺れる船に若干戸惑いながら海を渡る。船に乗っておよそ三十分後、島に近づいたと案内されて甲板に出てみれば切り立った崖が巨人のように俺達の前に現れた。大自然を前に人間がいかにちっぽけな存在か突き付けられたような気がした。

「ほんとに釣りはしなくていいんですか?」

上陸するとツアー担当の白石兄さん(船に乗る前に自分でそう名乗った。多分四十代前半位の、日に焼けた海の男といった風貌である。) が再度確認しに来た。だいたい八丈小島に行く人は釣り目的の人が多いらしく、俺達みたいにただ散策する観光客は珍しいんだとか。

「ええ、大丈夫です」
「では、出航は一時間後に。今、現在地がここ。小学校や民家跡地とこの辺の海岸沿い、六月過ぎてるから大丈夫だとは思うけど、一応この辺もアホウドリがまだ生息している可能性があるので行かないでくださいね」
「はーい」
「この近くから離れないと思います、大丈夫です」
「何かあったら出航前に教えた番号に連絡ください」

白石さんの手で広げられた地図には立ち入り禁止区域があちこち書かれている。
改めて無人島に来たという実感が湧いた。
説明を終え、船に戻る白石兄さんを尻目に、島全体を見渡す。八丈島も綺麗な場所だけど、ここはまた雰囲気が違う気がする。なんというか…人の手が入っていない自然の脅威がどこかしらにあるような…なんと表現していいか分からない己の語彙力の乏しさが悔しい。

この自然豊かな美しい島に似合わない塩辛い空気を吸う。まさか三ヶ月の間に無人島旅行に二回も行く派目になるなんて今年入った時には思わなかった。猿島も、SNSでバズっていたから適当に仲のいい男友達と行った。あそこは建物や海軍が使っていた砲台が残っていて、冒険心擽られる所だった。八丈小島よりもっと人の気配が残っていたなと思い出していると、姉ちゃんが俺の袖を引っ張った。

「んで、ここに来たはいいけど、ここで何したらありあに会えるの?」
「え、知らない」
「知らないって!? え、じゃあ直は猿島で何したの? 未来ちゃんは?なんか特別なことしたんじゃないの!?」

俺と未来さんは思わず顔を見合わせる。
特別なこと? 何かしたっけ?

「ええー…別に猿島はぐるっと一周して写真撮ったくらいだなぁ」
「私も…軍艦島もここみたいに行くところ限られてたので特別なこととかは…」
「じゃあ何すればいいの」
「いや、そういうのってここ来る前に決めるもんじゃないのそれ」
「えぇー…神社もないし、記事に出来そうにもないしぃい」

頭抱えてしゃがみ込む姉ちゃんと、それを見てオロオロする未来さん。なんかカオスなことになってしまった。めんどくせぇ。

「そんな重い気分引きずってたらせっかくの旅行が台無しだろ? ほら、そこ、海入れるぞ」

指差した方向には白い砂浜と、静かに波打つ海。PCのデスクトップから飛び出してきたようなコバルトブルーに引き寄せられるかのように俺は歩き出した。手持ち無沙汰の二人もそれに続く。

水着は持ち合わせてないから、サンダルで足だけ入るスタイルで海遊び。日差しが強く暑くても水はキンと冷たい。さっきまでの行き詰まった空気はどこへやら、普段出来ない水遊びに三人で夢中になった。

「こんなに水綺麗だし、魚も見えるならシュノーケル企画すれば良かったー!」
「また来なきゃですね!」
「お、未来ちゃんアクティブ!」

海水に浸かった自分の足を見る。ゆらゆら揺れる水面と、ゴツゴツした岩肌。この雰囲気、なんだか…

「未来さんの絵の中に迷い込んだみたいだ」
「えっ」
「わ! 直、その表現良い! そうだよ未来ちゃん水彩画でこの風景描きなよ!」

姉ちゃんが未来さんの肩を掴んだ、その時だった。
辺り一面、真っ白になったのは。

※※

「あ」
「え」
「うそ」

俺達三人の前に、焦げ茶色の長い髪、白いワンピース、小さな背の女の子が立っている。
間違いなくありあだ。目が合う、にっこりとありあは笑う。俺は名前を呼んだ。

「ありあ」
「あ、あの子がありあ?」
「美羽さんも見えてるんですね!?」
「う、うん」
「久しぶり、ありあ。未来だよ、覚えてる?」

未来さんがありあに駆け寄る。もちろん、と言わんばかりにありあは未来さんを受け入れた。

「未来は、私を描いてくれた、知ってる」
「え、あの個展のこと?」
「お陰で私は沢山の人に会えた、いつも空っぽの所にいるから嬉しかった」

未来さんの肩が震えて、座り込む。後ろ姿からでも泣いているのが分かった。ありあが小さい手で未来さんの背中をさすりながら俺達の方を見た。

「なお」
「あ、はいっ!?」
「会いに来てくれてありがとう、なおとあの島で会えたからこうしてまた会えた」
「あの島って、猿島?」
「わかんない。空っぽ、いっぱいあるから」

ありあの言う空っぽ、とはやっぱり元有人島の事だろうか。ありあは人が居なくなった島を転々と渡り歩いている神様とか妖精みたいな存在なんだと思う。
ちなみに猿島でありあに会った覚えは俺には無い。きっと俺からは見えなかっただけであの時近くに居たのかもしれない。未来さんが軍艦島に行った時も、きっと。

「なおは新しいお友達も連れてきてくれたんだね」
「あ、えっと、美羽です、直の姉ですっ」
「あなたにもこの先ご籠があるでしょう」
「うぇっ!? あ、ありがとうございます…」

あんだけ「ありあにあって自分も助言がほしい!」と言っていたのに、ありあを前にして人一倍緊張をしていた。普段人ならざる神秘的な者を追いかけて記事にしている職業柄が影響しているのか。
ピシッと背筋を伸ばし、きをつけの姿勢の姉ちゃんを見たのは小学校の卒業式で卒業証書を渡された時以来かもしれない。その姿勢がヘンテコで、面白くて、逆に俺の気が緩んだ。

「姉ちゃんやったな、ありあから予言もらえて」
「あっ、あんたは黙ってなさい!!」
「なお、未来」  
「ん、何、ありあ」 
「うぅ…はい」
「ありがとう、色んな人の夢に入ったことはあるけれど、こうして会いに来てくれたのはあなた達が初めて」
「あ、どうも…」
「…うん」
「あなた達に、沢山の幸福があらんことを」

周りが強い光に覆われて、目を瞑る。
次に感じたのは背中がやけにジャリジャリした感触がすることと、足先が冷たいこと、口の中がしょっぱいこと。

目を開けるとそこは、俺たちが遊んでいた海岸の砂浜。そこで俺達は仲良く川の字になって寝っ転がっていた。青い空と白い雲、遠くでアホウドリらしき鳥の声が聞こえる。

「あれ…うわっ、最悪! 砂まみれ!」

姉ちゃんは飛び起きて、必死に服の中に入った砂を落とそうとぴょんぴょん跳ねたり服を払ったり。反対に未来さんはのそっと起きて、体育座りのまま海を眺めていた。若干目が赤い。

「ありあに、また会えた」
「あっ、私も! 私も会えたっ!」
「俺も」

やっぱり三人で同じ夢を見ていたんだと確認しあって、有り得ない出来事を経験したと馬鹿みたいにはしゃぐ。他にツアー客がいなくて良かった、もし他に居たら変な奴らとして冷たい目線を浴びたに違いない。

こんなに誰かとワイワイしたのって、いつぶりかな。多分、就活という重苦しいワードを考えなくて良かった頃だ。

学生初期の頃はバイト代を注ぎ込んでスペックの高いパソコンとか、動画機材等買ってアレコレ弄っていた。適当に撮った動画を編集したり、コマンドとか、計算式組んで自分だけのデジタル世界を作れるゲームをインストールして昼夜勉強に励んで自分だけのワールドを作ったり。そういう楽しさを共有できる友達も居たし、人生で一番仲のいい人間関係作れてたと思う。
その技術を金にしようとかは思ったのは最初だけで、すぐに諦めた。だってその界隈にはもう有名所がわんさかいて、俺がその世界に身を投げ入れても埋もれ死ぬだけだって。自分の技術に限界があることも趣味を突き詰めれば当然分かっちゃって。仮に仕事にしたとして、何かしら嫌な部分を見つけて嫌いにもなりたくなかった。
そう。ただ、楽しければ良かったんだ。就活と共に離れてしまったきりの、趣味。

水平線を見る。そこは空と混じりあってどこまでも青かった。ありあはいつも一人でこういう景色を眺めてんのかな。俺の知らない世界を。

ふと腕時計を見るともう出航の時間になっていて、慌てて二人に声をかけて白石兄さんの所へ走り出した。白石兄さんは足をびしょびしょに濡らし、砂まみれの俺達を見て楽しそうで良かったと豪快に笑ってくれた。遠ざかる八丈小島に名残惜しさを感じながら帰路へ向かう途中、帰っているのにこれから世界へ飛び出しに行くような、そんな気分にもなった。
きっと、ありあはあの海岸で俺達を見送ってくれただろう。手を振るありあの姿が想像出来た。

八丈島に戻れば昼飯の時間は過ぎていて、遊び疲れて腹を空かせた俺達は港からすぐ近くのカフェに駆け込んだ。目を付けたのは手入れの行き届いた木造の小洒落た小さな店。本来ならコーヒーとケーキを楽しんで写真を撮るんだろうけど、ランチメニューのサンドイッチやハンバーグを注文。黙々と食べ進めた。

「あのさ、俺、思ったんだけど…」
「なに?」
「俺は別にやりたくない仕事やってるし、才能ないのは分かってんだけど、いつの間にか辞めてた趣味を復活させたいなって」
「え、なんですかそれって」
「え、いや、パソコンゲームでコマンド組んだりとかそういうのなんだけど…そうだな…ゲーム作ってみたい…かな…」

声が段々小さくなる。人に自分の目標を言うってこんなに恥ずかしいのか。
でも、俺が心の整理をする前に二人から反応が返ってくる。

「え、いいじゃん! やりなよ! なんなら私ストーリー作る?」
「そしたら私がイラスト描きます!」 
「えっ!? いや、いいよ趣味だし! 二人に文と絵を頼んだら俺破産しちゃうよ!」 
「ありあの導き割ってことで、ここは無償でやらせて下さい」
「うんうん」

未来さんはキッパリと言い切る。姉ちゃんが腕を組んで頷く。

「ええ!?」
「ありあが言ってたでしょ? 沢山の幸福があらんことをって」
「その予言を現実にするなら今の時点でお金とか言ってらんないじゃん」
「でも、ほとんど作り方とか忘れてるし、いつ完成するか」
「ありあが主人公ってどう!?」
「良いー! ありあと一緒に無人島をぐるっと周るのんびりゲームですね!」
「絶対未来ちゃんのイラストが似合うやつじゃん! 水彩のふんわりした感じでさ!」
「嬉しい!」

俺を置いて二人の夢がどんどん膨らむ。アクションとかドッキリホラーとか無いジャンルならまぁ、そこまで複雑にならないでいいかな。出来そう。
最後の一欠片のハンバーグを口に放り込んだ。どこにでもありそうな味なのに、いつもより美味しかった。

「あ、もし、そのゲームがヒットして収入源になったらその時にお金請求していい?」
「やっぱり俺破産ルートじゃん!」
「大丈夫、大丈夫ー!」

本当にありあの言っていた通りの「沢山の幸福」は俺にあるのだろうか。変な心配をしている傍で、二人はメニューを広げて食後のデザートを選び始めた。やっぱり、お洒落カフェでのお洒落な過ごし方をするのは外せないらしい。
…俺もケーキ頼もうかな。

※※※

「あっという間だなぁ…」

二泊三日の八丈島旅が終わりを迎えようとしている。空港の中の売店でお土産を見ながら俺は呟いた。

「最終便が五時だから余計に短く感じるんじゃない? 次はシュノーケルもしたいなぁ!結局 ホテルのプールも借りる余裕なかったし! 水着持って来れば良かったぁ!」
「姉ちゃん泳ぐ余裕あるんか…俺地味に今回のコースでもクタクタなんだけど。そういえば姉ちゃん、ありあからイケメンと結婚するって予言貰えなかったな」
「次よ、次来た時に。まだ初対面だったし」

姉ちゃんはまた八丈島に遊びに行く気でいるようだ。元気だなぁと思いながら「八丈島限定チョコレート」とか「八丈銘菓 牛乳饅頭」などここでしか買えなそうな食べ物をカゴに入れる。ちらりと姉ちゃんのカゴの中を見ると俺とほぼ同じラインナップが並んでいて、血の繋がりを感じた。

「あ、私もう買い物終わりました」
「お、未来ちゃん早い!」

別の売店でお土産を買っていた未来さんが合流する。何を買ったか聞いてみると、白と赤の絹糸で織られたケースのコンパクトミラーを紙袋から出して見せてくれた。

「黄八丈、っていうここならではの織物のお土産です」
「へぇー!なんか上品、エモい」
「旅先で出会う工芸品って、見てるとインスピレーションが沸いてくる気がしますから」
「表現者は見るところが違うな…」

そんな感じで土産を買い、飛行機に乗り、羽田空港に戻って解散という流れで俺達のありあに会う旅は終わりを迎えた。
それからいくら夜を迎えても、夢にありあが出てくることは無かった。未来さんも姉ちゃんも八丈小島で会ったきりだという。
少し寂しい気もしたが、あの八丈小島の件で綺麗に終わって良かったという気持ちもあった。

3.夢魂

それからの俺達はそれぞれの日常に戻った。
一つ変化が起きたとすれば、俺が八丈島のカフェで宣言した通り趣味でゲームを始めたこと。眠っていた機材を引っ張り出し、姉ちゃんがパパッとストーリーを作り、未来さんが絵を描いて、俺がプログラムを組み立てた。
昔取った杵柄か、パッと見難しそうなゲーム作りも意外と俺の頭は少し勉強しただけですぐに理解をしてくれた。
作っているとだんだん熱が入ってしまい、ここはこういう絵が欲しい、ああいう絵を差し込みたい、等とあれもこれもと未来さんに絵を発注してしまった。(八丈小島に行った経験からか、するする描けるんです! と、未来さんの筆は早かった。)ゲームが一通り出来て再度何枚描いてもらったのかと数えたら一気に冷や汗が出てしまったくらいだ。彼女は無償でいいと言ったがそれは流石に悪いので幾らか包んだ。暫くは俺の周りの人は誰も結婚式を挙げるなとも願った。

八丈島旅行から数ヶ月後、無料リリースされたゲームは「息抜きにちょうどいい」としてそれなりにプレイしてくれる人達がいた。何人か動画投稿サイトで実況もしてくれて、仕事終わりの電車の中でエゴサをして動画を観る日が続いた。作品の内容にいちいち反応してくれる実況者達は新鮮で面白かった。

未来さんはそのゲームをきっかけに自身を知ってくれた企業や、インフルエンサーから仕事の依頼が来るようになったと俺達三人のグループチャットで報告してくるようになった。
姉ちゃんも、ゲームシナリオを作った実績があるとして、とある雑誌の短編小説コーナーに載せて貰える事になったと自慢してきた。実際に小説が載っている雑誌をコンビニで買って、読んでみたら弟の俺が恥ずかしくなるような甘い恋愛もので若干読むのを後悔したのはここだけの話。

二人は着実に世界を広げて活躍していってる。

俺はというと、別にゲーム企業からオファーを受けたり引き抜きされるといった飛躍するような案件は何も来ていない。ゲーム一本世に出したからといって特別お金が入ってくる様子もないし、今も変わらず東京アクアモールが入ったマンモスビル七階のフロアで何となく仕事をこなしているし、運命的な出会いをして大恋愛中の彼女もいない。

それでも、ずっと放置していた趣味を再開させたこと、二人の活躍を応援していること、自分も何かを生み出せたこと。小さくも確実に自分の世界が広がっていってる感覚は肌で感じた。それが俺には心地よくて、それだけで幸福だと思う。別に有名になってお金をがっぽがっぽ稼げなくても、好きなことが出来る今が好き。

この日も何となく仕事を終えて、家に帰るとスマホが震えた。未来さんからだ。

『今度、アクアモールでゲームに使ったイラストの個展やらないかってお誘いが来てます。直さん、美羽さん、どうですか?』

「えっ」

俺達が作ったゲームが個展になる!?
思わぬ案件に息を飲んだ。

『もしやるなら、お二人からも個展用メッセージを頂きたいのですが』
『やるやる!やるに決まってるでしょ!』
『わー!良かった!詳細出しますね!』

俺が返信を打つ前からどんどん話が進んでいく。誰がゲーム作ったらこんな事になると予想したか。目が回った。
ひとまず深呼吸でもしようとベランダに出る。桜がそろそろ咲く頃だと人々がわくわくするこの季節。まだ風は肌寒い。
俺が一息ついている間にもメッセージは増えていく。

『もしやるとしたらいつなの?』
『五月半ば頃になるかと』
「あ、もう一年経つんだ」

未来さんが初めて個展をしていた日々を思い出す。あの頃はこんな事になるなんて夢にも思わなかった。もし、ありあと夢で会っていたとしても、あの個展が無かったら。あるいは俺が個展に興味を示さなかったら。
今頃俺は何も考えずただ仕事をして、たまに飲みに行ってボーッと過ごしてたんだろう。きっとありあにも何回も夢で会うことも無かったと思う。

日が落ちて、空はすっかり暗い。よく目を凝らせば星が弱々しく光っていた。八丈島で見たあの満点の星空が恋しいけれど、今見ている東京の夜空は今の俺にピッタリな気がする。

「さて、返信するかー」

個展に参加する、と。
メッセージもちゃんと書く、と。
個展が開催されたら沢山の人が俺の言葉を読むんだろうか。会社の奴らにも知れ渡って「鉄島すげぇな!」とか言われちゃったりして。 想像するだけで一気に有名人になった気分になって胸が高まる。もう一度星に目を向けた。

会えてないけれど、今もどこか空っぽの場所でありあは俺達を見ている。きっと、空っぽのようで、目に見えない宝物が沢山詰まった場所で。

そうだ、個展が終わったらまたどこかの元有人島に三人で行こう。今度は俺が発案企画で。えっと、シュノーケルが出来る綺麗な海がある所が第一候補だな。思い切って四国とか行ってもいいかもしれない。勘だけど調べたら良さげなの出てくるだろ。あー、でも二人に切り出してから何処に行くか決めた方が波風立たないかなぁ。
また、三人でありあに会えたらいいな。
夢がどんどん広がっていく。楽しみとこれから増える思い出に期待が膨らむ。
この旅行企画を二人に話すのはまだまだ先の話。


文字数 2万57文字

今後の活動に使わせて頂きます。