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No.163ー究極の愛は厳しく、痛みを伴う

こんにちは、アキです。

私は趣味で
ポエム投稿サイトで詩を書いているのですが

そこで
自分の恋愛についてポエムを書いている方がいて

ただ
やっていることが
不倫なんですよね。

お互い家庭がある身で
お互い好きだから
こっそりラインでやり取りして
そこで愛を語り合っている。

だんだんそれが
エスカレートしてきて
「これはダメだな」と思い

コメント欄にて
「恋に盲目になっていませんか?」
「自分たちのことしか見えていないのではないですか?」
「家族に対して思うことはありませんか?」
「関係を続けることで、家族を裏切ることになる。苦しめることになる。そういう気持ちが持てないなら、その恋は応援できません」
「本当に、自分達だけが幸せなら良いのですか?」と
指摘
しました。

その方とは何度かコメント欄でやり取りし
良い関係を築いていたのですが
嫌われる覚悟で書きました。

そうしなければ
彼女は周りを傷つけ不幸にするし
巡り巡って自分も不幸にする
と思ったからです。

私がこのような行動に至ったのも
ある意味では「愛」なのかな?と思いました。

そこで気付いたのが

「究極の愛は、厳しく、痛みを伴うものであり
自分や相手が傷つくのを覚悟して
意味のある痛みを与えるものだ」
ということです。

それは
親が子どもを叱るのと同じですよね。

子どもの不適切な行動を叱るのは
相手に嫌われるとしても
叱られる意味を知り
気付いて欲しいから
叱る。

不適切な行動を看過し
好きなようにさせることは

ただ子どもにとって都合の良い親でいるだけであり
表面的な愛でしかない。

究極の愛は
甘ったるくないし
表面的な浅いものではない。

もっと深みがあり
意味のある痛みを伴う
厳しいものである

私は感じました。

返信は返ってきていませんが
自分を振り返るきっかけにして欲しいです。

嫌われて
今後一切やり取りを絶たれたとしても
私は後悔しません。

彼女に嫌われても
意味のある痛みを与えること。
私に出来ることはそれくらいです。

それにしても
そのポエムに高評価を押している人達が何人かいて
正直、その方々の無責任さに腹が立ちます。

だって
それによって
彼女が「自分のしていることは良いことなんだ」と
思い違いを起こすことだってありますから。

今回のことを通して
改めて
「愛とは何か?」を考えさせられました。

という私の雑記です。

最後までお読み下さりありがとうございます。


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