見出し画像

ねこっち自己紹介【教育編】


小さい頃から将来の夢は「先生」だった。
途中、食べるのが好きすぎて栄養士に一瞬浮気したこともあったが、寄り道から戻り、見事夢を叶えた。そんな自分が辿ってきた教育遍歴について書いてみたいと思う。ぜひ。

①キラキラ小学校編

総じて優等生。勉強ができただけじゃなくて、休憩時間には毎時間運動場へ行き、友達の前ではふざけ笑わせ、学級委員や班のリーダーなんてお手のもの。親も煩くないし、担任からしたら理想の児童だったと思う。ここが人生のピーク。後から聞いたが、小6の担任は私の母親にどこの幼稚園通わせたか聞いて自分の子どもを同じところに通わせたらしい。

小3で梅田先生に出会う。40代の女性の先生。とにかく優しくていつもにこにこしていてお洒落で後にも先にも1番大好きな先生。当時って今みたいに若い先生なんて殆どいなくて厳しいおばさん先生かイカつい男の先生のほぼ2択。そんな中で聖母のような梅田先生に出会ったこの時、「私も先生になりたいな〜」と初めて思った。

小4から中学受験用に塾へ。
塾でのあれこれはこちらで触れているのだが、人生初の挫折を味わった。エンジェルブルーやメゾピアノを着る女子は何故あんなに気が強いのか。でも良い経験だった。


②ションボリ中学校編

中1、環境が大きく変わり歯車が合わないぎしぎしした毎日を送る。友だちもできたけどいつも心がどこかぽかり。これが積もりに積もり、

中2から欠席が増え、不登校に。行ったり行かなかったり、遅刻したり早退したりを繰り返し結局卒業までまともに行くことはできなかった。

湊かなえ原作の夜行観覧車というドラマを見たことがあるだろうか。杉咲花さんが怪演していた家で喚き暴れるあの女学生を見て、母親は「あんたと似ているわ〜」と言っていた。

当時は普通になれない自分に苦しかったが、
今では、一貫して責めず見守ってくれていた親、手厚い対応をしてくれた学校の先生達、離れていかなかった友だち、部活のみんな。とことん恵まれていたなと思う。有難い。

③カツカツ高校編


通学路。懐かしい。


勉強と部活にとことんウエイト。
朝練昼練週7部活に力を注ぎ、テスト期間には全集中で勉強。部活引退後は受験勉強マシーン。土日は1日14時間机に向かった。風呂では何回も参考書落として濡らした。その時につけていた勉強日記(記録)があるんだけど、熱盛すぎて今でも実家に帰って見る度ハートが燃える。
中々遊んだりはできなかったけど、この受験勉強はいい経験だった。あんなに自分を追い込み抜く機会は二度とないと思う。

3年間塾等には一切頼らず、学校の先生に全ベット。質問に通ったり、土日も自習室開けてもらったり、改めてありがたいですねぇ。(和牛)

④ジックリ大学編

某国立教育大へ4年間。

・ボランティア
公立小学校、フリースクール、女川小学校を含む被災地訪問等、割と色々な場所へボランティアに行ってきた。ちなみにボランティアという名目ではあったが実際はこちらがが経験させて頂いていた感じ。

女川では各教育大から有志が来ていて、朝から晩まで熱い教育論に、被災地のこと、将来の夢に恋バナ♪何でも喋り倒して最高仲間♪♪って感じで、みんな別れる時は絶対また会いましょ!って約束したのに勿論一度も音沙汰無し。サミシィ。

どうなっているか、また行きたいな。


・ゼミ

不登校や虐待についてがメインだった。これも濃かった。実際に養護施設に行ったり、カウンセラーの講師から学んだり、心理の勉強は心底楽しかった。

・教員採用試験
これについては機会があれば詳しく書いてみたい。倍率が2倍しかなかったのに毎日猛勉強していた。正直こんなやらんでも受かったな?と生意気な気持ちもあるが、やっぱり勉強して良かったなと素直に思っている。
臭いが、ここで現像度の高い理想の教師像を描くのは必要だろう。

⑤ゼンリョク先生編

これは365日毎日が教育編だが、特別支援教育については力を入れた。働きながら、二種免許ではあるが単位を取得することができた。

縁あって支援級の担任もさせて頂いた。この1年が1番学ぶことが多かった。「雲を掴むような」毎日、自分の無力さに打ちひしがれる毎日、頭を打ちまくりの貴重な経験だった。


若いとやりがち黒板アート



🐈🐈

総じて私がラッキーだったのは、魅力的な先生に沢山出会えたこと。全員の顔と名前をはっきり覚えている。愛があって、ユーモアもあって、対人間としていつも惹かれ、支えてもらっていたように思う。

そんな恵まれた環境にあったことで、先生になりたいという夢は無事に叶えられた。幸せ者だ。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?