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住む世界が違っていたら( 特別編 )

記事をお休みしている間、
東京に1泊2日で一人旅をさせてもらいました。
あまり、人にこんな話を
したこともないけれど
自分自身のために
綴ってみたいと思います。


お恥ずかしながら
今回人生で初めて、
一人で新幹線に乗りました。
私の年齢は30歳です。
 
母子家庭で育った私。
部活に励む同級生を横目に、
中学で頑張っていた運動部の部活を諦め
高校一年生の春から
母が学校に申請し、
自分の学費の足しにする為に
スーパーで土日の昼間に
アルバイトをする日々。
16歳の私は、年末になると
アルバイトで余ったお金をポチ袋に入れ
兄弟にお年玉を渡す。
自分の親以外にお年玉を貰えない私たち。
小学生の時はお年玉の額を
聞かれるのが正直辛かった。
反抗期真っ盛りで会話は減ってたけど、
弟達の喜ぶ顔は今でも覚えてる。
 
当時EXILE全盛期。
ハマっている友人達が
学校に内緒でアルバイトをして
今で言う” 推し活 ”をしている話を聞く度に、
自分の住んでいる世界とは次元が違うと
高校生ながらはっきりと
突きつけられた気がした。
 
専門時代
午前中は看護助手として仕事、
午後の授業に間に合うように
電車に揺られながら
学校へ向かう。
眠い目を擦りながら授業を受け、
その後は居酒屋で終電まで働き、
最寄り駅から原付で家に帰る日々。
朝から実習の日は
午前の仕事はなかったけれど、
夜間の居酒屋のバイトは入れ続けた。
交通費、通信費、学費、交際費
ある意味自分の為に頑張れた。
 
就活も、資格試験もあったが
アルバイトも
仕事もセーブせず、
卒業までそのまま働き続けた。
その方が他人羨む時間も、
自分を悲観する時間も、
何も考えず
目の前のことに
集中するだけでよかったから。

一生であまりにも一瞬だった
儚い学生時代だった気がする。
 
スムーズに就職先も決定し、
いざ4月からは新社会人!
と思っていた矢先、
親の再婚・引っ越し。
家を引き払うからと
予定もしていなかった
一人暮らしを迫られ、
今まで諸々払いつつ
自分で頑張って
細々貯めてきたお金は
家具家電、住居の初期費用で消え、
通帳の金額は10万円を切っていた。
 
就職して最初の1ヶ月、
先払いの給料入金がなければ
家賃の引き落としさえ出来なかったな、、苦笑
 
そんなこんなで他の世界と
通信してこなかった私は、
同世代が経験していることと
無縁で育ち、
自分の経験のために
お金を払うこと、
生活の為以外の
自分のやりたいことに
大きな金額を払うという概念なく
過ごしてきました。
” お金で苦労したくない ”
その想いの一心で
お恥ずかしながら、
遊びや息抜きの方法を知ることなく
大人になってしまったのですね。
  
その後私の人生は
旦那さんと出会ってから
好転します。
 
年齢が上で、
一人暮らしも長かった夫。
自分のことを自分で完結し、
貯蓄もしつつ
メリハリのある遊び方をして
情緒も安定している。
趣味や好きな物があり、
一人の時間の使い方も上手。
 
人生の先輩として尊敬できる所に
惹かれた気がします。
( 出会いは最悪だった。爆 )
夫は超適齢期で結婚。
私は22歳。( 23歳になる年 )
早すぎるわけではないけど、
社会人経験としては3年目での結婚出産。
中途半端で、現場の人々は
やっと3年目まで育てたのに育休かよ!ですよね。
元々予定していたよりも
早まった結婚・出産に
自分でもおいおい、、、、と居た堪れない
気持ちになったことを覚えています。
( この話はまた後日詳細に書きたい。 )
当時の職場の先輩方には感謝でいっぱいです。

そのまま猪突猛進に
夜勤も変わらず続け
仕事、家庭、子育てに励み
気付いたら終了していた20代。
 
社会人生活開始時期は、
周りの友人はキャンパスライフ絶頂
結婚、出産時期は、
周りは就活・新社会人。
一般の適齢期からはいつも
少しずれていたけれど、
今思うとそれはそれで良かった。
金銭的にも、心理的にも
周りに合わせられない自分自身を
もっと嫌いになっていたと思うから。
 
子育てを筆頭に
全てに一生懸命になり過ぎて、
" 自分とは違う失われた20代を
過ごさせてしまった "と、
ずっと気にしてくれていた夫。
( むしろ何も失っていないし、
可愛い天使が二人も来てくれた。笑 )
子供の発達面でも懸念があること、
加えて核家族 & 共働きでは
どうにもこうにも立ち行かなくなり、
仕事は一旦休憩して
家庭、育児に私が専念することとなる。
( 発達面に関しては
専門機関にお世話になっております。)
私自身も今までとは違う時間配分が
出来るようになり、
身体と生活が随分と楽になった。
そこで自分の時間を持つように進めてくれ、
少しずつ自分は何に
興味があるのか、
本当の意味で分かり始めました。
(  元々好きだった料理や
環境・暮らしの根本についてだったり、
べただけど、KPOPにもハマり
学生時代に憧れた
" 推し活 "も自分の許容範囲内で
ひっそりと味わっている。 )

ほとんど生まれ育った町から
出たことがない私。
生きていく中で
これほど狭い中に居たのかと
知れば知るほど思う日々。
ここに居たから今の家族になれたし、
後悔はしていない。
でも、知っていて選ぶのと
知らないで選ぶのでは
訳が違う。
 
私よりも勇気がある弟達は、
約8年も先になんの当てもなく
それぞれ都会へ飛び出していきました。
自分の人生の選択をして
立派に働いています。
 
赤ちゃんだった
子供達の見え方が変わり
やっとなんとなく
私もひと段落目を迎え、
夫の後押しのお陰で
”  自分で何か行動してみたい ”
と思えるようになり、
今回実行に至りました。
( いや、一泊二日で大袈裟なんですが、
今までの私からすると大きな一歩なのです。 )
 
一人で電車に乗り、
緊張しながら回った前半。
グーグル先生を肌身離さず確認し、
何番線のどの場所に座るかまで
ご丁寧に案内してくれる先生と共に
案外やればできるじゃん!と
小心者だと思っていた
自分の行動力に関心しつつ。
旅行の後半からは
弟に案内してもらいながら、
颯爽と山手線を乗りこなし
神社や行きたかったお店
おすすめしてくれた場所へ行き、
まるで学生時代を埋めるかのように
やりたいことを詰め込み
歩きに歩いた2日間。

行きと帰り、
新幹線から見た人々、建物は
博物館によくある
ミニチュアの模型みたいだった。
都会の街の中を歩いている人々も、
案外自分の街で見かける人々と
変わらないように見えた。
 
学生時代は周りと住む世界が違っていると
思い込んでいた。( 思い込むようにしていた。)
取り戻すことは出来ないかも知れないけど、
今回の経験で、子供を産んでからでも
30歳を超えてからでも、
自分のペースで周りの世界に
追いついていける気がすると思えた。
家族や兄弟皆に愛されていた
とてもお喋りだけど、
穏やかな100歳を超えた
患者様をお見取りした時、
寂しさと同時に自分の人生は
まだ、三分の一にも満たないんだと
人生が果てしなく感じたことを思い出した。
 
今回の選択肢を
もたらしてくれた夫に
最大の感謝をしながら、
旅の余韻に浸りつつ
変わらずにやってくる
日常に戻ろうと思います。

私自身の特別編終了( 笑 )

最後に明治神宮で引いた大御心で終わりたいと思います。
( 努力なくして成功はありません )
今の自分に響く言葉だった。

今回もお読みいただき、
ありがとうございました ^^
次回は日常の出来事に戻ります。     miwa.

 

 
#日記 #エッセイ #自分 #母 #環境 #外の世界 #旅行 #都会  

 

 



 


 


 

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