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【小説】陸に上がる獣

 今朝はいつも鳴いている鳥の鳴き声が聞こえないな。
 起きてすぐ、フライパンを熱しながらそう思った。
 いつもより二時間も早く起きたのだから、それも当然か。
 そう思う頃にはトーストが焼きあがる音がささやかに響く。
 目が冴え始めたあたりで、手元のカップから珈琲の香りが立ち上り、僕を包んでいく。
 起きてから30分程度は使っただろうか。貴重な朝の時間をそれだけ削ったにしては、案外普通の朝食が出来上がった。
 トーストと、目玉焼き。適当なサラダと珈琲。それが僕の、この家での最後の晩餐になる。
 もっとも晩餐ではなく、朝食なのだが。そんなことを考えながら木製のトレイの上に料理を乗せてキッチンからリビングを目指す。いつもの僕の定位置に座ろうとテーブルを回り込むと、自室から引っ張ってきたギターが目に入る。黒いケースの中に入りながらもなお存在感を放つ僕の親友は、これでいいのかと僕に優しい目線を向けているようだった。
 これでいいのさ、と僕は心の声で返事する。こうする他なかったのだ。
 いつものように、トーストを齧りながらスマホで天気予報を見る。今日の世田谷区は晴れらしい。絶好の出立日和に心が随分と軽くなる。この、檻のような生家で安らかになれる日が来るとは。人生何があるかわからないものだ。
「アルバムを出しませんか」
 そう、何があるかわからないのだ。この北沢の言葉だって、言ってしまえば偶然の産物でしかなかったのだから。
 北沢──大手音楽会社のプロデューサーだ。数ヶ月前、僕がいつものライブハウスで演奏した帰りに話しかけてきた男で、結果として彼の行為が私の人生を変えてしまった。
 結論から言えば、僕は音楽活動で「当てて」しまい、手元に突如見たこともない額の大金が転がり込んできたのである。生まれてからこれまでで見たことのない金額は、僕に羽を与えたようだった。
 無論僕とて、金が入ったからすぐ自立しようと考える愚者ではない。
 ドリップしたての苦味の迸る珈琲を啜ると、また苦い記憶も蘇るもので。私の場合はそれが母についてのものだった。
 私の母は愛情に溢れた人である。実に愛情に溢れた人だったので、彼女は私が何をするにつけても「心配」してきた。その「心配」ゆえに周囲から尖った目線を向けられるようになり、僕は独りになっていった。母は自身の胎内のみならず生まれてきてからの私すらも、かの愛情の海に溺れさせたのである。
 我が身を守るものであったその海は、成長するにつれてただ私から自由を奪っていく。陸を征くはずの身体は水掻きなど持たないから、ただ浮かんでいることしかできない。いっそのこと水掻きでも生やしてしまえば楽だったのかもしれないが、僕にはできなかった。気持ち悪さが日々四肢を蝕んでいった。
 母の領域から逃れられる唯一の場所は、私の自室であった。
 両親共働きだったので、学校から早く帰った私は自室で自由を満喫することができた。音楽や小説や絵画、そういった芸術はいつだって溺れる私にとっての藁であってくれた。部屋に籠り、ギターの練習をする。ギターは中学生の時、誕生日に買ってもらったものだ。芸術を愛する父に対して、楽器を練習している暇があったら勉強しろと喧しく言うのが母であり、そのため僕は楽器をこっそりと弾いた。帰ってきて、窓から差し込む光が色濃くなって、やがて黒に堕ちると親が帰ってくる時間になる。それで私の独奏会は終了だ。
 土日は学校がないから、知っている人のいない遠くへ行った。海沿いの人が少ないような土地へ行って、曲の一節を小さく口ずさむ。親には、図書館に勉強しにいくと言っていたっけ。もちろんそんなことはなく、一日中ギターと向き合って、帰りに途中下車しながらいろんな店を見て回った。
 高校のある日、ふと作曲をしてみようと思った。小さい頃から貯めていたお年玉で、私は簡単な機材を揃えた。いつもは高くて手が伸ばせない機材たちが、あちらから手を伸ばしてくれているようで、まさに地獄の沙汰も金次第なのかもしれないなと思ったものだった。この時の出費が、私の人生を大きく前進させたのだ。
 学校から帰り、ギターを弾き、親が帰ってきた後は作曲の勉強をした。
 技術が向上し、理論も理解し始めた頃。確か高校二年の夏。
 長い休みを持て余した私は、ライブハウスへと向かった。人前に立つ恐怖というもの以上に、私の培ったものを確かめたい一心で、未知の世界へと踏み込んだのだ。もちろん母には内緒だった。
 初めてのライブは、歌詞を間違えるわ、演奏に集中しすぎて音程がずれるわ、散々な出来であった。でも、どうもありがとうございましたと、終焉を告げる句を口にした途端、かの深い深い海から足が抜け出す感覚があったのだ。手掛かり得たりとしたり顔になったのはその帰り道、コンビニで買ったアイスを齧っている最中のこと。感覚を絶やさぬように、一日中部屋に篭って練習、作曲をしていると残りの夏は早足に過ぎ去っていった。
 昔のことを長々と思い出していると、手元の携帯に通知が入る。
 先ほど投稿した、新曲を告知するツイートに反響があったようだ。携帯を新しくした時にTwitterの設定を行うのを忘れていたようで、地響きのようにいいねが鳴り止まない。通知を切り、深呼吸。
 インターネットの世界に挑んだのは高二の秋頃。発見の夏を超えて怖いもの無しになっていた僕は、その勢いに乗っかるようにして動画サイトに自分のアカウントを作成した。最初は売れ線の曲を弾いてみたりして、徐々に自分のやりたいことに挑戦した。冬が始まる頃に、好きな曲のアレンジを投稿し始めると、インターネットの毒に蝕まれていった。あれがいい、これがだめ、あの人のパクリ、あっちの方がうまいといった典型的なアンチに加えて人格や個性を否定する声が槍雨のように突き刺さる。一方で、毎日何かしらの動画を上げていたためか、現実では得ることのできなかった理解者にも恵まれていった。正直、人と関わることを避けていたせいで否定されることすら久々で、どこか新鮮ですらあった。理解者を得られた経験というのはそれに増して甘美であり、僕の自己肯定感を。
 そうして僕の秋は終わり、冬を迎えていく。
 そして、冬の僕を蝕むのは現実の孤独であった。
 没頭、夢中。そんな夢心地が寒風一陣吹き飛ばされて、心が死んでいく感覚。
 受験期が近づくにつれて、母の声も大きくなる。予備校に行けだとか、そんなことを言っていた気がする。家での時間を奪われたくなくて学校にいる時間死ぬ気で勉強していた僕は、生まれて初めて母親に反抗した。だけれど、母の強権行使の末に、僕の収監が決まったんだっけ。よく覚えていないけれど、悔しさと絶望で今にも叫びたいような気分になったのだけは覚えている。受験期はそんなわけで動画の更新も止まるし、練習も土日にしかまとまった時間を取って行えなかった。
 と、考えながらトーストの切れ端を口に放り込み、最後の食事を終える。
 洗面所に向かい、朝一番の冷たい水を手で掬う。
 そのまま顔を洗い、濡れた面で鏡を見ると随分と血色のいい男がいる。
 去年の夏はこんな健康的な顔ではなかったな、とまた思い返す。
 夏。件の発見の夏とやらのたった一年後だと言うのに、随分と灰色の季節であった。
 一応、地道に活動を続けていったことで、多少のファンもついていた頃だった。春に失ったものを取り戻すように、ライブハウスに高頻度で通って、無理をして笑いながら歌っていた。演奏の技術も一応向上しているとは思えたものの、どこか足りない。
 そんなライブの後に、話しかけられた。
「最近、なんかありました?」
「最近……って?」
 人に話しかけられること自体久々だったので、相手が何者かを問う頭すらなかった。
「なんか春頃、来てませんでしたよね? 最近久々にライブ出てるの見たんでせっかくだし声かけてみようかなーって。ほら、俺去年の秋くらいから結構ここのライブ出させてもらってるんで」
 話を聞けば、彼の言う通り秋ぐらいの時期から、僕と同じような時間帯に演奏しに来ているようだった。名を、西門と言う。
 やっぱバンドよりも弾き語りっすよね〜。ほら、アコギの方がかっこいいじゃないですか!
 売れ線はエレキばっかですけど俺は負けませんよと、そう言う彼は楽しげだった。
 僕はバンドをやらないというよりも、人付き合いが出来ないから消去法でソロなのだけれど、と言う機会は逃してしまった。活力に満ちた彼を見ているとどうでも良くなっていたのだ。
 さらに聞くところによると、彼も高校三年らしかった。同い年かよ、じゃあタメ語でいいじゃんと、笑い合った。久々のニュートラルな人付き合いは楽しかった。
 西門と交流するうちに、僕も内面を吐露するようになっていった。それほどまでに、西門は信用に足る男だったのだ。
 彼とは受験期を共に乗り越えたと言っても過言ではない。彼も、僕も、大学受験に興味はなかったので、適当に誤魔化して、お互いをお互いのアリバイ作りに利用しあっていた。僕らをつなぐものは音楽しかなかったが、徐々に繋がりは太くなっていった。
 二月ごろ、受験が終わった。
 この頃、例の北沢という男に話しかけられ、西門にも立ち会ってもらったのだった。
 西門は、僻みもせず素直に祝福してくれた。
 音楽で食っていこうとは考えてないよ。好きだから、続けるんだ。
 本当に食うに困ったら、マネージャーとしてでも雇ってくれよと言って茶化してくれた。
 携帯には西門からのメッセージが灯っている。今では音楽に限らず、お互いの大学の話や恋の話で盛り上がる、僕が欲しくてたまらなかった友達のような関係性である。
 というか、まさに親友というやつだ。西門は。
 自室に入ると、一見して家出前とは思えないほどの生活感が残っていた。
 母は、もちろん私の出立のことを知らない。
 この家でそのことを知っているのは父だけだ。
 家を出る準備が進んでいくにつれ、父の存在が私の中で大きくなっていった。
 父。それは母と私の関係に踏み込める存在であったのにも関わらず、中立を保った男である。
 正直、ここ数年で父とゆっくり話したことはなかった。そんな状態で、内容が内容だというのに、いきなり一対一で話すのは厳しいから西門に立ち会って欲しかったのだ。
 我が親友たる西門は、二つ返事で了解してくれた。
 三月二日の午後八時、父を下北沢の居酒屋に呼び出した。それも、LINEで。
 個室の扉を開けた父は、西門の存在に驚きつつも、どこか緊張した様子で席についた。
 居酒屋とは言いつつも、真面目な話の席だ。三人して、一旦ソフトドリンクを頼む。
 僕は、自分のこれまでを話した。
 隠れてしていた活動、そこで出会った仲間。そして、音楽会社からの提案の話。
 なによりも、僕が僕であるために、母と離れたいこと。
 父は最初は驚きつつも、厳粛な顔で僕の話を聞いていた。
 西門もところどころで情報を補完してくれる。客観的な僕の姿から、彼自身が思っていることまで。
 そうしていると、頼んでいた飲み物が届く。
 緊張と発声でカラカラの喉を液体が潤していった。
「まずは西門くん。息子と仲良くしてくれてありがとう」
 気を抜いた一瞬。ふと、父がそう言った。
 いえ、と西門。すると次に、父は僕に向かい合う。
「まず、お母さんがお前を大切に思っているのはわかってやってほしい」
「わかってるよ」
 わかっている。痛いくらいに。血が出るほどに。
「そうか。……正直な話、母さんの愛情がお前を苦しめていたことはわかってたんだ」
 父の表情は苦かった。僕は、嘘をつかない姿を素直に尊敬した。
 なんせ十数年来の問題だ。シラを切ろうと思えばできなくもない場面で、あえて自分の罪に向き合おうとする姿勢が、まず一つ嬉しかった。
「わかっていたけれど、それも愛情だからと自分に言い訳してここまでお前を苦しめてしまった。……本当に、すまない」
 大丈夫だよ、と言う他なかった。
 謝ってほしい訳ではないのだ。ただ、助けてほしいと伝えた。
 父は、肉親として、一緒に住みたい思いはあるようだった。それでも、あくまで僕の思いを汲んでくれるといった。
 母さんはなんとかするから、お前はこれから好きなように生きなさい。それで、たまには一緒に飯でも食べにいこう。お前がどれだけ稼いだとしても、父さんが奢ってやるから。
 父はそう言った。西門が今の僕の人気を伝えると、わかりやすく狼狽えるのが少し可笑しかった。
 沢山努力した息子が花開こうとしてるのを止めるわけがないだろう。お前を誇りに思うと、そう言ってくれた。
 僕は、寂しさ以外で久しぶりに泣いた。
 父ももらい泣きし始めて、収拾がつかなくなる。
「よし、今日は俺の奢りだ! なんでも好きなものを食え!」
 調子に乗って、父はそんなことまで言っていたっけ。
 あの日の記憶は、今でも僕の宝物である。
 そんな父は、まだ寝室で寝ている。
 先日、母に隠れて早く帰ってきた父と話をして、それっきりだ。
 どこかいつも以上に疲れた様子の父は、背中を押してくれた。
 別れは済ませてある。故に後ろ髪を引くものはない、はずだ。
 玄関で靴を履くと、両親の寝室から小さな音がする。
 最後に、母を考えた。
 母は、過保護で、私を孤独にした張本人である。
 だが、悪だっただろうか。
 母の与えた愛情は、真に毒だったのだろうか。
 丹精込めて作ってくれた、作り置きの食事も何もかも、毒だったのだろうか。
 しかし、もう振り返ることはしないと決めたのだ。
 扉を、後ろ手で閉め、足早に家から離れる。
 これでよいのだ。
 さらば、私の足枷よ。愛情の毒海から、いま羽ばたかん。
 そう思えど、視界がどこかぼやけるのである。
 昔見た、僕が生まれた時の写真を思い出してしまったのだ。あの優しい目を、私は呪っても呪っても忘れることなどできない。
 あれも、また愛であったのだ。今ならば、そう思えた。

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 光の海が、目の前に広がる。
 歩き歩いて、その熱情の中心へ。
 響く歓声のなか、増大された私の声が走る。
 視界には、新しきものと懐かしきもの。
 感謝を歌う。今までと、これからの。
 視界が捉えるかつての楔。
 私は始めてこう思う。
 ああ私は、幸せだ。



(お題:海、ぼやける、最後の晩餐)

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