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読書は対話。だとしたら、学びは、孤独を癒やす最高の手段かもしれない

2022年春に放送大学に入学して、最初の1年が終わろうとしている。ひとまず言えることは、とりあえずやってみようと入学を決めた1年前の自分、グッジョブ。

想像もしなかったほど、視野が広がり、自分の伸びしろを感じられ、楽しい1年だった。

そして何よりの収穫は、これまで自分がひとりで悶々と考え疑問に思っていたことの多くは既にほかの誰かによって考えられ研究されているのだ、と知ったことだった。

これがなぜ、わたしにとって”何よりの収穫”なのか?

このことについて書く前に、精神科医である斎藤学先生の著書から一節を引用してご紹介したい。

これを読んでわたしは、自分自身の寂しさや孤独やコミュニケーションについて、捉え方が大きく変わった。

寂しいとき成熟した人は何をするでしょうか?まず親しい人のところへ行こうとしたり、呼び出したりしようとします。それが無理なら、親密な人との充実した関係を胸に想い描きます。幸せな自分(の人間関係)をすぐに想い出せることも、大人の条件のひとつなのです。「あの人は何をしているかな?」などと考えて、手紙を書いたりします。もう死んでしまった大昔の人と対話します。昔の人は活字の形で語りかけていますので、読書ということになります。対話しながら読みます。今の世に存在して名を知られていながら、自分とは面識のない人とも読書の形で対話できます。
 要するに孤独なときにも、精神的に成熟した人は「他者と共にある」のです。容易に他者を想起できるのです。

『「自分のために生きていける」ということ 寂しくて、退屈な人たちへ P34』斎藤学著/ 大和書房

「読書は対話である。」というものごとの見方を得たことで、自分の過去の体験がこれまでとは違う風にみえてきた。

最初にわたしの頭に浮かんだのは、鬱々としていて辛くてそれでもなんとか心を保つために膝を抱えて小さくなりながら何度も2冊の本を読んで時をやり過ごしていた20代の頃の自分の姿だった。

当時はまだSNSもなく、ものごとの感じ方、捉え方が少数派の人間にとって、共感し合える相手を見つけることは今に比べて簡単ではなかった。だから、わたしは”ひとりで”本を読んでいた、と”思っていた”。

自分の傍らにいつも本があったことは幸運だったし、自分の苦しさを支える本を探し当てられたことは、わたしのささやかな、でも生きるために欠かせない力だったという自負もある。

それでも、あの頃の自分に辛いイメージしかなかったけれど、上の文章を読んだ後には少し違う景色が見えてきた。

『ペスト』と『永久も半ばを過ぎて』を繰り返し読みながら、カミュや中島らも氏と対話していたのだとしたら、実はあの頃のわたしは、ひとりではなかったのかもしれない。

もっと遡れば、幼い頃からずっと、本に没頭することでわたしはたくさんの人と対話し、そのことに支えられてきた。

”一方的にひとりで本を読んでいた”というよりも”著者と対話していたのだ”という捉え方をすることで(実際にやっていたことが変わる訳でもなく、当時はたしかに辛かったとしても)わたしは随分すくわれた。

最初の話題に戻る。

「これまで自分がひとりで悶々と考え疑問に思っていたことの多くはすでにほかの誰かによって考えられ研究されている」のだとすれば、そして、「書物を介して過去の人や実際に知り合っていない人たちとの対話ができる」と捉えるならば、わたしが疑問に思っていたことを同じように疑問に感じた人たちの存在を知ることすなわち、共感者・理解者を得ることのように、今のわたしには感じられる。

そして、その先人たちそれぞれが出したこたえは、わたし自身の疑問へのこたえになるかもしれないし、その先人との”対話”から得た心強さがさらに自分の思考を深めていく手助けをしてくれるかもしれない。

さらに、そこで自分の中に湧き上がる感情や思考をどこかにアウトプットしていくなら、それは、著者や研究者との対話でもあり、まだ出会っていない誰かとの対話にもなり得るのだろう。

そう考えると、それって、ものすごく嬉しくて希望に溢れたことだ。

これをもっと早くに、10代、20代のうちに気が付けていたら…という悔しいおもいがないと言えば嘘になる。でもそうはできなかった。紆余曲折があった上でのいまのわたしであり、この暮らしの中で大切なものをわたしはいくつも持っている。

そして、その頃に今と同じことを学んだとしても同じ気づきがあったとは限らないとも思う。今だから気づけること、今だから持てる問いもあるのは間違いないことだ。

最初に「何よりの収穫は、これまで自分がひとりで悶々と考え疑問に思っていたことの多くは既にほかの誰かによって考えられ研究されているのだ、と知ったこと」と書いたけれど、正確にはそれを知って更にその先に気がついたこと、

---わたしにとって学びは孤独を癒やす最高の手段であり、他者とのコミュニケーション手段でもある----

そう自覚的に気がつけたことが、この学び直しから得られた一番の収穫かもしれない。

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