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1985-1990 赤瀬川原平のまなざしから

お世話になっているりぼん舎から赤瀬川源平さんの写真集がでた。昨年から出ることは聞いていて楽しみにしていたので購入した。

「トマソン」

久しぶりに聞いたこの言葉。思い出すのに少し時間がかかったが、懐かしい。この言葉が溢れていた頃の自分は、変な物=トマソンだと幼い頭で考え、雑誌に載る変な風景や物、変な名前の看板などを見て心躍らせていた。何かを見つけて、「あれはトマソンだ」と知った顔で友達に自慢げに言っていたが、「デュシャンからトマソン」なんて、アートに対する新たな取り組みであったことは梅雨も知らず、雑誌に地元のものが載るとバスに乗ってワザワザ出かけたし、見つけた時は1人興奮して友達に自慢したものだ。時を経て、あの頃の様なワクワク感と行動力は残っているのかな。でも、あの頃の赤瀬川の言葉に俺たちの足を動かされた。彼の言葉にはそれだけの力があった。
 言葉の力は凄い。写真にも力はあるが、写真の語りとは違う語り口で、直接的に人の心に訴える力はかなりのものだ。
 言葉を操り、写真で表現してきた赤瀬川の未発表の写真と彼自身の言葉で構成されているのが、この写真集だ。

 写真集のページをめくり写真を見ているだけで笑みがこぼれる。幼い自分が興奮したような写真がある。それだけで楽しい。フェンスを覗き込む赤いシャツのお兄ちゃんは、一緒に覗き込見たくなるような背徳感を微かに感じる。地面から少しだけ頭を出したガードレールの破片の存在感と無意味感。平衡感覚を揺るがす壁。失敗したテレビ画面(昔のブラウン管TV)のようなマンホール?にっぽん丸の顔、その隣の唇。グラマラスなボディのマンホール。ガラスの破片が突き刺さっているコンクリート(こんなのは近所にもあったな)。エヴァを連想させる、世界樹のような落書き。最初のエヴァが1996年だからそれより早く世界樹に気づいて、人類補完計画を想起していたかもしれない。赤瀬川の人類補完計画はどんな計画になるのかな。絶望とコンプレックスの中から希望を見出すのではなく、人の営みのユーモアの中から希望を見出すのかな。そして、壊れ棄てられた自転車とトイレ。
今でも目に入るとシャッターを切ってしまう。そんな面白い写真が並んでいる。特に外に出されている小便器なんか、俺は平気だけど、今の人は使うのかね。かなり周囲を気にしながらしないと、それこそ見張りを立てて、人が来ない隙にサッとしないと。その時に予想外に人が来ると、かなり狼狽する。でも、止められないから何もないような顔をして続けないといけない、ジャンプに失敗した猫が何もなかったですよ。自分は何もしてないし、失敗もしていないよと態度で誤魔化すように。内心はかなりドキドキだけどね。
 この写真たちが言葉と絡むことによって何が生まれるのか。世界樹の写真と、芸術という言葉が耐用年数ギリギリになっている主旨の言葉が並ぶ事で色々な事が想起される。人が作る事がアートなのに、落書きさらた文字にはアートに対する意図はなく書かれているにも関わらず結果はアートになる。偶然になったのであろうが、その構図などは無意識に展開されたものであろうが、それは人間の無意識界から溢れてきたものなのか、それとも書いた本人の経験から無意識に出てきたものなのか、それが偶然の機会に表出することでアートになる。アートというのは偶然の産物なのか、それは人の意図は入ってこないものなのかなど。思考があちこちに飛んでいく。人は冗談を忘れると宗教に走るという言葉も印象的。
 彼の言葉自体もそれぞれが面白い。写真集の巻末に言葉の一覧があり、それを読むだけでも楽しい。前衛が作法になったらだめという言葉は、芸術やアートでは常に起こる問題であり、彼がそれに真摯に向かい合い、そこを乗り越えようともがいたのだろうかと想像が膨らむ。
 彼の言葉を噛み締めて、もう一度写真を見ていくと、画面から滲み出てくる味に深みが増してくる。隠し味の塩のようだ。そのまま食してもいいが、素材に混ぜることで素材となる写真の味に深みを増してくれる。彼の言葉、味わい深い。
 言葉と写真の相互作用、彼の好んだアートの在り方なのかな

 写真から伝わる彼の視点。最後の方にある「起きる」の文字が気になる。シャッターを切る時に彼は何を感じたのだろうか。あれは彼の字なのか、よくわからない。写真集の編集は彼ではないが、この写真をセレクトしたのも赤瀬川を知っているからだろうし、セレクトした目の確かさ。
 最後の言葉に、人間てだいたいこんなもんだとわかってくるとというくだりがある。言葉自体はどこか諦めや突き放したような意味にとられてもおかしくないが、写真を見たことでそういったものは感じられない。トマソンも人の行為を笑うのではなく、そこから滲み出る人の営みに対してのリスペクトや優しい微笑みが浮かんでくる。人は前に進む、新たな可能性を秘めている、それに気づくために、目を覚ませ、起きろ。それが彼なのかな。
 最後の赤瀬川さんが、俺に言っている。
 身の回りには面白いもの、瞬間がまだまだあるぞ。

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