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「私の生活改善運動」を読んで

安達茉莉子さんの「私の生活改善運動」を読みました。
なんとなくこの街は違う、この部屋は違う、この食生活は違う…といろいろ違和感を覚えながらも過ごしていた著者が、好きな街に引っ越し、部屋を整え、生活を少しずつ改善していく過程を綴ったエッセイ。

心に響く…というか刺さる…箇所がたくさんありました。
刺さるっていうのは、若干「痛い」ってことです。
何が痛いかっていうと…憧れるけど、できない、という気持ちになって心がチクチクするってことです。

例えば、こんな場面。
素敵な器を揃えて、そうしたら食事が楽しくなって、料理も楽しくなって、好きな人たちを呼んで部屋で食事をして、幸せ。これまでは料理・食事に関して時短ばっかり考えていた著者が、「食は、与えることなのだ。自分に、生きた時間を。」と気づく。
そのくだりを読んでいると、「いいなあ、素敵だなあ…。器、大事だよね。うちも実家で余った食器をもらってきたのばっかりで、自分で選んだ食器なんてほとんどないなあ…。料理も、子供がいかに食べてくれるか、そして時短でできるか、しか考えてないなあ。器を変えたら、何か変わるのかな?」って思うけど、次の瞬間には、「でも、食洗器で洗えないとなあ…。毎回手洗いなんて、自分と夫の負荷を増やすだけだもんなあ…」と、現実的過ぎることを考えている自分がいて、そんな自分にうんざりする。

あとは、ファッションのくだり。
サイズがあって、買える価格である、ということを服選びの最重要点としていた著者が、変わっていく。「違和感のある服を捨てる。そして、着ていて幸せな気持ちになる服を着る。」
これを読んで、自分のクローゼットを思い浮かべる。せっかく最近パーソナルカラー診断も受けたし、自分が着ていて幸せな気持ちになる服を着たい!
でも…。「現実問題、素敵なブティックで買った素敵な服なんて、いつ着るの?私の行く場所、職場かイオンのスーパーか公園だけじゃない?常に子供が一緒だから、汚れても洗えて、動きやすい服装じゃないと困るし。」
こんな調子です。

本の中のそこかしこにアンテナが立っているんだけど、それをモグラたたきのように次々つぶしていく私がいる。
でも…。
アンテナが立ったのは事実。心の底では、こういう生活をしたいって、思ってるってこと。
安達さんも、決して上から目線で語っているわけではなく、淡々と、むしろ自分の弱い部分・怠惰な部分も晒しながら、それでも小さなことから生活を改善していくことの効果を語ってくださっている。
「日常のなかでとても些細に見える、気にかかっていることを変えることで、大きな変化、満足感につながったりする。流れを堰き止めていた小さな石をひとつ外すだけで、勢いよく水が流れ、やがて水路全体が澄んで、田に水が満ちるように。」

ああ、いい文章。
くさらずに、私も始めてみよう。
まずは…玄関の正月飾りを片付けました(遅っ!)。
ちょっとずつ、ちょっとずつ。


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