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無駄を愛して

あるドラマをきっかけにミヒャエルエンデのモモという児童文学の本を読んでみた。今まで知らなかった。多分子どもの時読んでいても今と違う感想を持つに違いない。

作中で“灰色の男”という集団がのんびり暮らす街の人たちやモモの友人まで「時間=お金」というような価値観をすり込んで洗脳していく。

そして洗脳された彼らは、あらゆる無駄を削り、効率のみを求めていく。
レストランの店主は安い酒だけで長居する常連を追い出したり、
左官屋は工夫を捨てて画一した無駄のないビルを建てるようになった。
大人は忙しく子どもを顧みる時間もなくなり、子どもは学校や施設に預けられて教育というもので遊ぶ時間もなくなる。
みんな時間があるのにロボットのように心がなくなっていき心はせかせかと怒りっぽくていつもイライラしている人たちばかりになった。モモだけが灰色の男たちの洗脳にかかることなくどうのこうのするというはなしだ。(超雑解釈)

なんのために効率化しているのか。何を争うのか。

モモを読んでいるとモモの友人のジジというのに私はすごく感情移入する。

ジジは嘘つきだがその口のうまさと嘘力でいろんな素敵な作り話をしてモモやたくさんの人を楽しませた。灰色の男に彼もまた洗脳され、ジジは有名な作家になる。でもどんどんどんどん作らされ好きなことをしているはずなのに、売れっ子なのに死にたいほどになる。でもその立場を諦められず心もズタズタになっていく


私は最初は絵が好きで物を作ることが好きだったのにいつしかそれが仕事になった。

しかしただ楽しんだり、無駄なものを作って笑ったりそういうのは仕事においては効率化の敵。無駄でしかない。

そういうものを避けていつしか売れるものを無駄なく早く作るようになっていた。

自営業において価格は同じなのに時間がかかることは時給を下げることにつながる!などと無駄を省き続けた。

その結果、作ることは一向に楽しくないものになった。

大切な何かが抜け落ちた作業のようなものをして心も満たされず、時間だけ早く済む。

これが趣味は仕事にするなという意味なのかとも思った。

休日に一番したくないことは「作ること」になってしまったのだった。

一体なんのための効率化だったのか?
一体何と競争しているのか?

モモの中でもそうだが効率化して働けば働くほど人は時間というものに縛られていく。
休日も無駄なく予定を詰め込んで。

そして子供や家族を養うためだと言いながら、子供と遊ぶ時間も気力もない大人たち。

効率化してたくさん時間はあるはずなのに時間がないというパラドックス。そうやってお金だけどんどんたまっていくが本当に豊かなものを失っていく。

モモの中で洗脳された人たちが捨てたもの。

どんな貧しい仕事でもプライドを持って働いている気持ちや自分の信念。
儲からないが大切な常連との触れ合い。
ただ人を楽しませたいという気持ち。
自分で工夫するという気持ち
子供と過ごす時間。。。。

それがある故に儲けは少ないが彼らの心は豊かで、心豊かな時間は生きている、価値ある(と実感できる)時間だった。

心のないまま働いている効率的な時間は死んだ時間で、その人にとってはな無いに等しい時間になる。その人に人生にとって無駄な時間の使い方になっている。無駄を省いて無駄な時間にしてしまうとはなんとも皮肉だ。

実際、労働は拘束された時間ともとらえられる。自由を奪われていると捉えるのならそれはその人にとってはないに等しい時間。もしその時間が有意義で生きた時間であるのならそれはその人にとって存在する時間になる。

時間はその人が有意義に生きてこそ存在する。意味を持った時間になる。

“時間”は人間が本来宇宙の無限にある流れを時計やカレンダーで区切った目安だ。

でも感じ方は色々で早くすぎたり、長かったりする。時計で表される時間は目安で実際はその時間が絶対なのかはわからない。イキイキしたひとつの時間は心に残り毎日嫌々やっていることは心に残りもしなかったりする。

有意義な無駄を切り捨てると、その時間は退屈で、心の死んだ時間になる。
有意義な無駄を捨てない時間は非効率だが、その人の人生においてたしかに存在する生きた時間になる。

勝手な解釈だがそんなことを感じたのだった。

無駄を省いて時間はあるはずなのに心には余裕のある時間がない。
無駄に時間がかかるが、たっぷり心に余裕がある。

なんかよくわからなくなってきた。

もしかしたら、効率化、儲けというものに気を取られて、実際の心の働きを無視して切り捨てていた。

切り捨てていた無駄は時間ではなく、心が望む要求だったのかもしれない。

“無駄”や“無意味”、“遠回り”と効率化するとき取り去るものの中に、心を楽しませるたくさんの無駄ではないものがあるのかもしれない。

その人が豊かな一生を送れれば良い

いかに生きた時間を一生の間に作ることができるのか。

裕福ではなかろうと、安い商品を長い時間かけて作ろうと、

あー今日も退屈だった。と思う日より、

時間はかかって儲けはないけどいいものができたと思える日を。

競争と効率をまず横に置いて、心がワクワクする無駄なことをたくさん。

多分心がイキイキと働けるのなら、
効率もあとから上がるだろうし、知らないうちに競争はしなくともいいあたりを走っているのではないだろうか。

効率や競争は“目的”ではなくたぶん“結果”なのだろう。

そんな働き方が私にはあっているのだろう。儲かればなおいいのだが。。

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