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やはりやかましい……『青のパンドラ』

『青のパンドラ』の2回目が、<flowers>に掲載されたが、相変わらず誰も彼もが騒々しい。
まず、幼子が亡くなって、悲しみのあまり大老(キング)ポーに当たり散らすブランカーー

「ごたくばかりしゃべくって何もできない 役立たず!」
役立たずって……人に向かってその言葉はないし、ましてや老人に向かってそれはないんじゃないの(しかも、初対面でしょ)?

そして、人の家の犬を仲間のアーサーの犬だと言い張って、無理やり強奪しようとするエドガー。

「その犬はフォルテだ シーザーじゃない! 
(中略)
 あんたんちのシーザーなんてここにはいない! フォルテだ!」

なんか、白を黒と言いくるめて、なんでも押し切ってしまうどっかのおばちゃんのようなんだが。

まあ、元からエドガーはそんな奴かも。
偏執的で、自分勝手で、かつてはメリーベルが命だったはずが、
メリーベルのいなくなった今となってはアランが命なので、アランを偏愛していて、
そのアランをよみがえらせようとする彼の強い思いが今回のシリーズの動力になっているらしいが、
だからと言って、
昔は、エドガーは人のことを決して「あんた」なんて呼ばなかった。
「あなた」とか「きみ」だった、殺すかもしれない相手に対してさえ
(『ポーの村』のグレンスミスとエドガーの対話を参照)。
冷たい瞳で気品があったんだけど、時代が下るにつれてどんどん品がなくなってゆく。

現実の世相と同じでしかたのないことなのかな。

ところで、こういった萩尾望都が意外と多用するヒステリックシーンは
(もちろん、現在ではまったく意外ではないが)、
以前は私も割りと好きだった。
『バルバラ異界』で明美がわーっと泣き出して、わけのわからないことを口走るシーンも、
『王妃マルゴ』で母が亡くなったことを知ってあられもなく泣き叫ぶメアリ・スチュアートも、
またやってる(登場人物にやらせてる)と思いながらも、
それほど不快ではなく、むしろ妙に生々しいところが、
萩尾望都の新しい魅力に感じられて、おもしろく読んでいられた。

それが読むに耐えなくなってきたというのは、
こちらの感受性が変わったというよりも、やはり単なる描き方のバランスの問題のような気がする。

今回も、エドガーはバリーを追ってカーテンに取りすがり、
発狂したのかと思うほどの錯乱っぷり。
「落ち着いてくれ 頼む」と困り果てたアーサーに言われるが、
前回は、バンパネラ仲間のファルカが興奮し過ぎてブランカにそう言われ、
今回はそのブランカが、逆さまに興奮して泣き叫んで、ファルカに「落ち着いて」とたしなめられている。
毎回、誰か興奮する役の人と、なだめる役の人が入れ替わり立ち替わり現れて、
永遠にきいきいぎゃあぎゃあ言いながら話が進んでいきそうだ。

少なくともこれまでのところからして、『青のパンドラ』はそうやってこの先も進んでいくと思われる。

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