ヒプノセラピー的なものに行ってみた話

卵巣嚢腫が発見されてから、女性性を癒せそうなものを色々試した。その中で、一度だけ、ヒプノセラピー的な施術も受けてみたことがある。

それは厳密にはヒプノセラピーではないのかもしれず、そのセラピストの人の色々な技法を融合させたオリジナルメニューということになっていた。

本物(?)のヒプノセラピーを受けたことはないのだけど、多分私にはヒプノセラピーは合っていないのかもと思った。なぜなら、セラピストの誘導する声に合わせて一応無理やりに頭の中で何かしらのビジョンをひねり出すというのがけっこう苦痛で、なんだかセラピストの人の予定調和にこっちが頑張って合わせているような気持ちになってしまったからだ。

それでもだんだんに深く入っていくような気分になってきて、自分が前世で戦争で死んだ人だった的な、前世系では割とありきたりっぽいストーリーが展開されていった。

結局、そのセラピーが卵巣に及ぼした影響についてはあまり、というかほとんどわからなかったのだけど、一点だけとても面白い体験をしたことだけは強く印象に残っている。

それは、前世での死の瞬間をありありと体感したことだった。

銃で撃たれたことが直接の死因となったのだけど、全然痛みはなくて、撃たれたその瞬間に、自分の魂的な何かが、ハートチャクラのど真ん中から飛び出して、くるくると回転しながら、上へ上へと上昇していったのだ。

それはなんというか、めちゃくちゃ開放感があって、神聖で、ハッピーな感覚だった。この世の幸福感とは質が全然違って、すごく高波動な感じだった。

もともと、私は死そのものはあまり怖くなく、死へのプロセスが苦痛なのは嫌だなと思っている口だったのだけど、この体験は自分の中に漠然とあった死というものへの認識を再確認するようなものであったと思う。

数日後、男性性の権威的なものと対峙し、カタルシスが訪れる経験があり、きっとこのセラピーの浄化によるものだろうとは分かったが、卵巣や私の男性関係に明らかな変化はみられなかった。

女性性というピンポイントの効果としてはイマイチだったけど、この死の体験は私にとって、人生の全体的な部分に対しては、少しは影響を与えたように思う。

あれ以来、いつかまたそこに帰るその日まで、ここで目一杯やってみよう、いずれにせよ来る時が来たら、祝福と共にあの解放が訪れるのだから・・・というような妙な安心感を伴うスタンスが、自分の片隅に根付いたような気がしているのだ。

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