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【超短編小説】白か黒か


三月、桜の蕾が膨らむ頃、保護猫の譲渡会場で私は迷っていた。
白い子猫にするか、黒い老猫にするか。
ずっとずっと、猫が飼いたかった。

          ⭐︎

小学生の頃、仲良しの友達の家には大きな茶トラのオス猫がいた。遊びに行くと、いつも茶トラはするりと部屋に入ってきて、ベットに飛び乗り丸くなるのだった。私達の話が盛り上がると、眠っているはずの茶トラの耳がときおりピクッと動いた。 
「もうずいぶんおじいちゃんなの。わたしが産まれた時から家にいるんだもん」そう言って友達は茶トラの頭を撫でた。
茶トラが側にいると、それだけで時間の流れが変化するようだった。猫が持つ、ゆったりとした時間。その流れに私達もすっぽりと包まれていた。私の隣にも猫がいてくれたら。何度もそう両親に伝えたが、ペット不可のマンション住まいではどうすることもできなかった。

肌寒さの残る小雨の日、茶トラは天寿を全うした。
骨を埋葬するからと、友達は私を自宅の庭へ呼んでくれた。傘を伝ってしずくが落ちていく。私の傘の下、友達はスコップで穴を掘り、小さな壺を埋めた。
「ずいぶん小さく軽くなっちゃった……」と彼女は下を向いたまま笑った。

          ⭐︎

それから月日は流れ、私も大人になり、デザイン事務所に就職した。残業でパソコンに向かう時、アパートでコーヒーを淹れる時、ふっと茶トラのことを思い出した。逆光できらめく金色の毛、柔らかくクタッとした腹、細められた緑の瞳。一緒にいる時の不思議な時間の流れを。

そして今年イラストレーターとして独立し、引越したのを機に、猫を引き取ることを決めた。そんなわけで、今日保護猫の譲渡会に来ているのだった。

会場に並んだケージを順番にのぞいていく。若い三毛猫、長毛種の猫、顔の丸い猫、どの猫も愛嬌がある。
引き取りたい猫が決まったら、ケージやトイレなどを準備し、自宅で猫を預かるトライアル期間を経て、お互いの相性を確認するとのことだった。
どの猫を選ぶか。それによって私のこれからの生活も大きく変わる予感がした。

最後から二番目のケージをのぞくと、生後半年頃の白い子猫の姿があった。
子猫はケージの奥で身体を小さく丸め、毛を逆立て精一杯威嚇している。そんな姿も文句なしに可愛い。スタッフの女性が近づいてきて「保護したばかりでまだ人慣れしていないんです」と教えてくれた。

隣のケージには老年にさしかかった黒猫がいた。
ゆったりとした体躯、大らかな雰囲気。あの茶トラの姿が浮かんだ。「この子は人間でいうと五十代中頃ぐらい。撫でられるのが大すきなんですよ」 
黒猫は隣のケージにいる白い子猫に体を向け、スンスンと匂いを嗅いでいる。

この二匹が印象に残ったが、結局決めることができず、結論はニ週間後の譲渡会に持ち越すことにした。

マンションに戻り、ベッドに横になりながら、白い子猫を選んだ場合を想像してみた。
人慣れせず「シャーッ、シャーッ」と威嚇する子猫も一緒に生活するうちに心を開いてくれるだろう。あの小さくて柔らかい体を抱いてみたかった。どんな猫に成長するのだろう。それを身近に見られるのは幸せに違いない。
でも、動物と暮らしたことのない自分を、あの警戒心の強そうな子猫は信頼してくれるだろうか。もし、ずっとこの先も心を許してくれなかったら。

黒い老猫を選べばどうだろう。
あの老猫とは最初からうまくやっていける気がした。人間を恐れていないようだし、私のそばで、黒いゆったりとした体を丸めて、ゴロゴロと地響きのような喉の音を聴かせてくれるかもしれない。なによりあの茶トラに対するような安心感があった。
でも、猫の寿命は短い。すでに老年にさしかかっているあの猫と一緒に過ごせる時間はどれぐらい残されているだろうか。早い段階で看取る覚悟をしなければいけないかもしれない。 

二週間後、譲渡会の日がやってきた。
どちらにするか決めきれないまま、会場のドアを開ける。あの二匹の猫達の姿を探し、足早にひとつひとつのケージを見て回った。

ふと、最後のケージの前で足を止めた。
そこには黒い老猫に寄り添う、白い子猫の姿があった。二匹が丸くなり身を寄せ合う姿は、アンコ増し増しの白玉団子のようだった。

「この間はお話しそびれてしまいましたが、この子達は一緒に保護されたんですよ。いつも寒空の下、身を寄せ合っていたようです。オス同士なので珍しいことですが、馬があったのかもしれませんね」とスタッフの女性が教えてくれた。

「二匹とも引き取らせて下さい!」

そんな言葉を口にしている自分がいた。
ちょっと待ってよ自分……。これから予防接種にもお金がかかるし、毎日の餌にトイレ、抜け毛も二倍。冷静になれ……。でも、でも、でも……。

スタッフの女性も驚いた様子だったが、「もしそうしていただけるのなら、この子達にとっても安心でしょう。まずは焦らずトライアルしていきましょう」と言ってくれた。

不安がないわけではない。命を預かる以上、軽々しくは決められない。この子達が私を気に入ってくれるかどうかも分からない。

それでも、私の生活が大きく変わる。そんな春の予感がしていた。


※ ima_docoさんのイラストを使用させていただきました。





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