見出し画像

【小説】連綿と続けNo.2

侑芽は一抹の不安を覚えながら
車窓から流れる景色を見つめていた。

そこには日本の原風景とも言うべき風景が広がっている。

砺波平野は庄川と小矢部川に挟まれた扇状地で、
そこかしこに水路がひかれ田畑を潤している。

その水田に点在するのが農家の屋敷で、
屋敷を囲む木々の事を"カイニョ“または"カイナ”と言う。

スギやアスナロ、
ケヤキといった大木や柿の木やカエデ、
ツバキなども植えられている。

これは強風や吹雪、
夏の強い日差しから家を守る屋敷林だ。

そんな話を富樫がわかりやすく説明している。

そして最初に連れてこられたのは
井波いなみ地区にある瑞泉寺ずいせんじだった。
市内きっての古刹である。

富樫)まずはここの和尚さんにご挨拶せんにゃ始まらんがや!ええ人やさかい緊張せんでね!

山門の前で富樫は2人にそう声をかけた。
大きな山門は総欅造りで、
黒光りした色や造りからして壮大な歴史を感じさせる。

堂内に通されると、
そこかしこに見事な彫刻が施されている。
訪れた者はその芸術性の高い細工に目を奪われてしまう。
そこへ和尚がやって来た。

和尚)これはこれは!お若いお嬢さん方がこんな所に何か御用け?

和尚は初対面の2人を緊張させぬよう
柔らかい物腰で出迎えてくれた。

富樫)ご無沙汰しとります!和尚もごそくさいのようで!

そう言いながら
手土産の水羊羹を手渡す富樫。
和尚の好物は水羊羹で、
訪れる度に持ってきているらしい。

和尚)こらきのどくな!有り難く頂くちゃ〜

侑芽と高岡は早速ご挨拶をし、
寺の中を和尚の解説つきで案内をされる。

和尚)この寺は今から630年前に建てられた真宗大谷派 井波別院 瑞泉寺、言うて…

まるで教師のような口ぶりで
和尚が詳しく寺の説明をしてくれる。

本堂から渡り廊下を経て続く太子堂など、
境内を巡っているうちに
井波が「木彫刻もくちょうこくの街」であることがわかる。

創建以来、度々戦火などで焼失してきたが、
その度に京都などから
腕の良い大工達がこの街に入り、
再建がされてきた。

その高い技術が脈々と受け継がれ、
現在もこの街に木彫刻職人達が
工房を構えて住み続けている。

そんな案内が終わり、
礼を伝え3人が寺を出ようとした時、
和尚からこんな言葉をかけられた。

和尚)お2人とも、一歩ずつ着実に歩まれよ。ほしたら必ず道は開けます

侑芽・高岡)はい!

寺を出ると石畳みの参道に出た。
この時、スーっと強い風が通り抜け、
春の匂いがした。

それは芽吹きの季節特有の青臭い香りとも違う。
雨上がりのそれとも違う。
新築でしか嗅ぐことのない木の匂いだった。
そんな香りが鼻をくすぐり、
一瞬時が止まったように感じた。

なんだろう……この懐かしい匂い……

初めて来たはずの井波で、
なぜか懐かしさを感じる侑芽。
だがそれが何なのか思い出せない。

高岡)懐かしいってどういうこと?来たことあったの?

侑芽)いえ……初めてです。

高岡)はぁ?意味わかんない

侑芽)ですよね……

富樫)ええ匂いでしょ、この街!ここ通るとね、いっつも木のええ香りがどこからともなく漂ってくるのちゃ

侑芽)やっぱり木の香りでしたか。新築っぽい香りがしたので

富樫)新築やったらええんやけどねぇ、ここらじゃ滅多に建たんわいね。そやけど古い建物が残っとるいうんも、ええもんやちゃ

3人が歩いているのは瑞泉寺参道の
八日町通ようかまちどおりである。
この通りには木彫刻職人の工房や
格子戸の美しい町家が軒を連ねている。

どこの家や店にも
鳳凰や龍などが彫られた
木彫刻看板や表札が掲げられている。

時折り木を叩き削る木槌きづちの音が聞こえてきたが、
その音が段々近づき大きくなった。

トントントン……カンカンカン……

音のする方向を確認すると、
通りに面した工房で、
1人の職人が黙々と木を削り何かを作っている。

そこはショーウィンドウのようになっており、
通りからその様子を伺うことができた。

侑芽は足を止め、
なぜかその作業に見入ってしまう。
すると富樫が急かした。

富樫)ちょっと一ノ瀬さん!何やっとんが!次行くよ?

侑芽)あっ、すいません!

侑芽は先を行く2人を慌てて追いかけた。
この時、一心不乱に作業をしていた職人は、
この街で十二代続く木彫刻職人の
皆藤航かいどうわたるだ。

彼は神経を尖らせながら作業に集中している。
だが外から視線を感じて一瞬顔を上げた。

しかしそこには既に誰もいない。
そして苛立った様子で呟いた。

航)また観光客け。俺の邪魔すんなちゃ

観光地でもある瑞泉寺の門前という立地上、
観光客が当たり前のように覗いてきたり、
時には窓越しに大声で話しかけてくる事もある。

航は以前からそんな事に抵抗を感じていた。

八日街通り界隈には、
こうした工房が何軒も残っているが
どこもそうした事は日常茶飯事であった。

どの工房も住まいと作業場が繋がっており、
それはこの家も例外ではなく、
航の両親が暮らしている。

あぐらをかいて座りっぱなしの航に
母親である歌子うたこが茶を持ってきた。

歌子)ねえ!今、富樫くん通らんかった?

航)知らん

歌子)いや、あれはたぶん富樫くんやったなぁ。若い女の子2人も連れとったが!お客さんの案内でもしとるがかなぁ?

航)そんながはどうでもええ!集中したいさかい、話しかけんでくれ!

航に怒られた歌子は舌を出し、
「かんにん!」と言って出て行った。

陽気な母と
温厚だが仕事には厳しい父に育てられた航は、
仕事一筋で生きている。

その生真面目さが長所でもあり、
時に人を傷つける言動をしてしまうところもあった。

歌子はそんな息子の行く末を密かに案じていた。


余談ですが寺院のご住職の呼び名は宗派によって異なります。
ご住職、御前様、方丈さん、和尚…etc。
実際、瑞泉寺のご住職は正式には輪番りんばんと呼ぶそうですが(現地で伺った)
浄土真宗系の寺院では「ご院主いんじゅ様」や「ご院主いんじゅさん」。または「ご院家いんげさん」とも呼ばれるそうです。
とはいえ浄土真宗と言っても大谷派や本願寺派など10派に分かれていたりで、
そのあたりの事は掘り下げません。
詳しい方からするとご不満でしょうが、
私の物語の中では「和尚」とさせていただきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?