キスを避けた侑芽。
航は呆然とした。

侑芽）少し……考えさせてください

航）考えるて……何を？

侑芽）これからのこと。仕事も……航さんとの事も……

航）俺との事て何を？まさか、別れるて言うんか？昔のこと……そんな気になるんか？

侑芽は黙ったまま何も答えない。

航）俺は嫌や。こんな時にこんな事で。侑芽がしんどい時に1人にはできんちゃ

強引に抱き寄せる航。
ずっと人に無関心だった男が、
必死になって1人の女性のために思いを伝えている。

侑芽）私、航さんのことすごく好きになっちゃって。こんな気持ちになったのは初めてなんです

溢れ出す涙を手で拭いながら、
自分の思いを伝える侑芽。

航）それは俺も一緒ちゃ。ほんならなおさら……

侑芽）だから余計につらいんです。航さんが他の人と……そういうことしたと思うと、嫌なんです

航）やさかい遠い昔のことやちゃ！今は侑芽しかおらん。わかってくれま

抱き合って思いをぶつけ合う。
互いに涙を流している。

本当に好きだからこそ
すれ違ってしまうことがある。

好きすぎるとかえって
上手くいかなくなることがある。
一度狂った歯車はなかなか元に戻せない。

航）愛してる……結婚せんか？

抱き合ったまま、
航が侑芽にプロポーズしてしまう。

航）仕事は辞めてええ。俺が稼ぐさかい。ほんで一緒に暮らそう？そしたらもう、誰にも邪魔されん

侑芽の頭を撫でながら、
優しい声で言い聞かせている。
本当はもう少し先に伝えようと思っていたから、
指輪も用意していないし、
素敵なシチュエーションでもない。

だが今言わねば侑芽が離れてしまう。
そう思った航は、
結婚という解決策を叩き出した。

侑芽は航の胸にしがみついたまま、
何も返事をしない。
まだ泣いているのか僅かに震えている。

航）侑芽？

体を離して侑芽の顔を覗くと、
悲しそうな顔で航を見る。

侑芽）私もそうしたいです。でもまだ、何も成し遂げてないから……

航）……

侑芽）大学まで出してもらって、まだ何もできてない。だからまだ……結婚はできません

航）今すぐでなくてええさかい……

侑芽）ごめんなさい

両親が必死に働いて大学に出してくれた。
その事を申し訳なく思っていた。
だから大学で学んだ事を活かして、
いつか恩返ししたいとも思っていた。
その為に必死に勉強して公務員試験に臨んだ。

航）そらそうやな。急かしてしもうて、かんにん。けどそう思うて付き合うとるんはほんまや

一方、航は
十二代続く蓬莱屋の跡取りである。
歳も30を過ぎて、
そろそろ代替わりの事も考えなくてはならない。
だからこのまま侑芽と一緒になりたい、
そして家業に集中したいと思っていた。

侑芽）航さんのお仕事やおうちの事を思うと、私とは別れて別の人と……早く結婚した方がいいと思うんです

航）なんでそんなこと言うんや！そんなん無理やぞ。アホなこと言うな

侑芽）でもこのまま私と付き合っていたら、いつになるかわかりません。航さんの為にもご両親のためにも……

そこで言葉に詰まってしまう。

航）なんや？まさかほんまに別れる言うがけ？そんなん認めんちゃ。侑芽がもう結婚してもええて思うまで、ずっと待っとるだけや。ほんでいつか、俺と一緒になってくれたらええんや

航は侑芽の腕を引っ張って引き寄せる。
だが侑芽は真剣に考えていた。

侑芽）本当にごめんなさい。別れてください……

航はショックを受けながらも、
今は何を言っても無駄だと諦めた。

航）結婚できんがはわかった。けど別れる言うんは聞かんかった事にする

６月も終わりに近づいた
雨の日の出来事だった。

失意の中、自宅に戻った航は、
侑芽の誕生日に渡そうと、
指輪ケースに入れていたウッドリングを眺めていた。

そしてメッセージを送る。

『別れるんやのうて、恋人のままでええさかい、これからもそばにいさせてほしい。それが無理なら友達でもええ。とにかく俺はずっと侑芽のそばにおる。侑芽はどう思うかわからんけど、本気でそう思うとる。愛してる。ずっとこの気持ちは変わらん』

長い文面で思いを伝えた航は、
祈るように指輪ケースを握りしめ目を閉じた。

侑芽はそれを見ながら
後悔していた。

航と別れたくない。
これ以上、彼を苦しめたくないと。
膝を抱えてむせび泣いた。

『私も同じ気持ちです。ずっとそばにいたい。愛しています。でも少しだけ1人で考えさせてください』

侑芽からの返信に航は了承した。
２人が会わぬまま数日が経ち、７月に入った。
この週末にマルシェが開催される。

参加は出来ないものの、
急な引き継ぎをして、
てんやわんやの高岡のサポートをしている侑芽。

そんな時、富樫が大慌てで駆け寄ってくる。

富樫）大変やちゃ！参加者さんらが半数くらいキャンセルしてきたのちゃ！

侑芽）え！？