【感想】砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない(桜庭一樹)を読んで、自分は小説の何を楽しんでるのかを考える



「ご本、出しときますね」というオードリー若林さんの小説家との対談バラエティ番組の書籍で「悩める二十代の道を照らすオススメの一冊」として紹介されていたので読んでみた。愛と憎しみの二律背反みたいな物語で、このお題に対してこんな本おすすめしたのは、きっと文学ユーモアなんだろうと思った。
本書を読んでの感想と解釈と、なぜそのように自分は解釈したのだろうか?と考えた結果を以下に記した。


本書の物語のタイプは、オイディプス王(観客は運命や結末を知っているが、登場人物は結末を知らない)型の作品だった。なので、本書も何度見ても面白く古くなりにくい作品だろうと思った。結末が分かった上で楽しむ作品だから。

テーマは地方に住んでる若者の何者にもなれてない焦りとストックホルム症候群ではないかと思った。
本書においてストックホルム症候群についての説明を以下に引用する。

「たとえば誘拐された被害者というものは、自由を奪われて、考える られて、そのまま狭い密室で犯人と何日も過ごすんだ・・・・・・
するとね、なぎさ。たとえば宗教団体や自己啓発セミナーや企業の新人研修も同じ システムなのだけれど、奪われた思考のために空っぽになった器に、新しいものが たっぷり隅々まで入ってしまうんだよ。宗教の教義やら新しい自分観やら企業への 忠誠心がね…....」
砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない(p106)

ストックホルム症候群というものは自分から遠い世界の犯罪被害者の話だと思っていた。しかし、この人間の傾向は、企業や自己啓発界隈でも利用されているとの指摘を見て、もっと身近な話かもしれないと思った。受験勉強だってそうだろう。労働しないのは悪だという思い込みもそうだろう。恋愛だってそうだろう。考えてみるとストックホルム症候群っぽい構造は広く存在してるように思う。まあとりあえず入社前にこの文章を読んでおいて良かった。


本書では、引きこもりの兄を世話する中学二年生の「山田なぎさ」、なぎさの同級生で父親から虐待を受けてる「海野藻屑」の二人の少女を中心に物語が展開される。読んでいて考えたのは、なぜ「引きこもり」が生れ、親はそれを世話してしまうのかという問題についてだった。
引きこもりの子供を世話し続けてしまう親がいたら、子供に「補給」を与えるから引きこもるし、供給を断てば子供は自立せざるを得なくて引きこもっていられなくなるという正論を考えてしまうけど、きっとそういう問題じゃないんだろう。親は子供のリードを離したくないんだろう。リードはお金や世話すること。リードを離れて自由になった犬がどこに行くかわからなくて不安なのと同じだろう。それが引きこもりの本質なのかもしれないと読んでて思った。


本書の結論を示す言葉は以下の一文だと思った。

「砂糖でできた弾丸(ロリポップ)では子供は世界と戦えない」
砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない(p188)

砂糖でできた弾丸とは、子供特有のスカしや達観、無常感、冷めた感じ、見て見ぬふり、極端なポリシーとかだろう。
「砂糖でできた弾丸(ロリポップ)では子供は世界と戦えない」という言葉の後に続くのはどんな意味の言葉だろうか?
・だから実弾を求める(戦うパターン)
・だから子供は大人の助けが必要だ(助けてもらうパターン)
・だから歳をとって自然に大人になるまで諦める(諦めパターン)
自分は「だから実弾を求める(大人になるために戦う、リアリストになる)」パターンの解釈をした。幼い妄想や理想論では問題は解決しないから、「確かなもの(実弾)」を一つ一つ手に入れて行くしかない、という読者への励ましのメッセージのような結論だと解釈した。
この解釈を解釈すると、きっと今の自分は応援されたいんだろう、実弾が欲しいんだろうと思った。「だから子供は大人の助けが必要だ」と解釈しないのは、自分が子供から大人への過渡期だからだろう。そして自分自身が「砂糖でできた弾丸」で戦おうと未だし続けていることに無意識に気づいているからだろう。

私は学問としての文学的な解釈には興味ないが、自分がどのように解釈するかによって、現在の自分が考えていること・求めているものを言語化することができるので好きだ。物語を介して自分を見るという感じ

あと、本書を読んでて、精神って木みたいだなと思った。木は「大人のからだの中心に、自分の幼児時代の硬化した死体が埋まりこんでいる」構造になっているそうだ(恐山さんのnoteより)。精神もそうじゃないか?現在の精神の内側に過去の幼児期の精神の死体が内包されているんじゃないか?だからいつまでも大人になることはない。大人になったように見えるのは、子供の頃の精神が親としての自分、会社員としての自分など大人の精神に覆われただけで、いつまでたっても子供の頃の精神のゾンビは内側に存在するし、時折顔を出す。だから何だって話ではあるけど。こんなことを考えていること自体が「砂糖でできた弾丸」で世界と戦おう・向き合おうとしている証明であるかもしれない。


本書を読んでいたらデッドデッドデーモンズデデデデストラクションを思い出した。キャラクターが割と漫画チックで読みやすいので、小説を読むのに抵抗がある人にもおすすめです。

おしまい

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