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つないでほしい〜ラーゲリより愛を込めて〜

とても不思議な流れで、この映画を観た。

「ラーゲリより愛を込めて」

第二次世界大戦後、ロシアのラーゲリ(収容所)に収容されていた捕虜の方の実話を元にした映画。

わたしの話になってしまうのだけれど、この3年弱を振り返ってみて、泣くことが少なかった気がする。

ちょっと泣くぐらいはあったかもしれない、でもどこかで、泣くことを自分に許可していなかったようにも思う。

どうして泣くことを自分に許可していなかったんだろう。

一度泣いてしまったら、そう、ダムが決壊するみたいに、涙が止まらなくなってしまうような予感があったのかもしれない。

わたしは、強くありたいと思っていたし、ダムが決壊しないように、不用意に涙を誘うものには、無意識のうちに、できるだけ近づかないようにしてきた。

世間的に見たら、ここ数年のわたしとこどもたち4人は、困った状況にあったと思うけれど、わたしはいつも生来の負けず嫌いと強がりでここまでやってこれた。

もちろん、ここまでちゃんと生きてこれたのは、それを助けてくれたり、支えてくれたりした人たちがいたから。

そうは言っても、やっぱり、弱音を吐くというのは、私の中では、あまり
「かっこよくない」し、「美しくない」と思っていたから。

「かっこよくない」姿や「美しくない」姿をさらすのは嫌だと思っていたし、それが強さだと思っていた。

話を元に戻すと、ある晩、わたしはSNSで流れてきた、映画の映像が気になって、その映画を探しているうちに、Mrs.Green Appleというバンドの歌を初めて聞いた。

「ナハトムジーク」という歌だった。

ふだん、いろんなことをひたすら考えるのが好きなわたしにとって、その歌のことばは、もう考えることをやめて、ただ感情をあじわえ、といわれるようでもあった。

愛されたいのにいつも通り 
間違いばかりの今日をまず愛そうか

ナハトムジーク

ちょっと前にもこんなことがあった。

去年の冬至の日のこと。

急に「切手のないおくりもの」という歌が自分の頭の中に響いた。
歌ともに、たくさんの涙がやってきた。

あなたから、わたしへこの歌を届けよう。

切手のないおくりもの

そのとき、わたしは、なぜ自分が泣いているのか、理由もわからず泣いていた。

カラダが疲れすぎていて、カラダが涙を流しているのかもしれないと思った。

そこから、いろいろ過去にあったことで、自分がいろんなことを大切にしてこなかったという、反省が自分の中にわきおこってきた。

そして、一番自分が自分のことを大切にしてこなかったという、思いがやってきて、自分に申し訳ないという気持ちが心にあふれた。

それから、今年に入っても、やっぱり夜毎に涙が止まらなくなることがあって、この前、三日間くらい雨がやまなかったとき、私も同じように、涙が止まらなかった。

悲しいから泣くというより、なぜかわからないけれど、涙が止まらなかった。

涙が止まらなくて、今日は、雪もふぶいて、でも、その雪はさらさらでなく、水が混じった、空気中の水分が多いからか、湿った雪だった。

わたしは、もう近頃になると、ダムがもう決壊しそうな限界を感じて、自分から泣きたい、涙を流したいとすら思っていた。

だから、大好きだったけれど、ずっと見ていなかったドラマや映画を観たくなった。

それで、くだんのMrs.Green Appleが歌っている「Soranji」という歌が主題歌の映画「ラーゲルより愛を込めて」が気になった。

でも、戦争ものって、絶対泣くから、できたら観たくないなぁと、最初は思っていた。

そしたら、高校生だけれど、ずっと学校行っていない長女が、この映画をちょっと前に1人でうちで観たと教えてくれた。

わたしは、ちょっと驚いた。彼女がそんな戦争の映画をいつの間にか観ていたことに。

彼女は、中学校に入ってから、頭が痛いからと時々訴えるようになり、学校に行けなくなった。

そして、中学校の先生がうちまで迎えに来たり、当時の夫には、頭が痛いなんて仮病だから、学校に行かせろと言われた。

でもわたしは、間に挟まれて、病院で検査をしてもらったり行ったけれど、原因はわかったような、よくわからなかったようなそんな感じだった。

そして、次の春、わたしたち夫婦は、決定的に決裂して、わたしは、子どもたちと一緒に家を出た。その瞬間に至るまでの積み重なりが極まってしまったのだと思う。

それからは…

住み慣れた土地を離れ、たった一人の知り合い以外、全然知りあいのいない土地へやってきた。

常にお金の心配と、自分一人で4人の子供たちを見ながら、別居した夫とは、話し合いもできず、2年弱ぐらいかかって、調停、審判で離婚をした。わたしは、この3年弱、自分の人生のなかで、こんなに書類的手続きを重ねた時期はない。

でも大変な中、ありえないくらいに、いろんな人のいろんな助けがあって、お金に困ったことは結局一度もなかったし、もうこれ払ったら、どうしようというところになっても、自力でなくても、必ずお金は入ってきたし、いつでも誰かや何かの助けがあらわれた。

今日だってそうだ。

今日は、高校生の長女が、入学したもののほとんど行けていなかった定時の高校から、通信制の高校に変わりたいというので、編入の面接を受けに行った。

帰りに、いつもほかの3人の弟たちと一緒だとなかなかゆっくりおいしいものも食べられないから、カフェに入って、ご飯を娘と二人で食べた。

いつもなら入らないようなそのカフェの食事は、とてもいいお値段で、、
わたし所持金足りる?と不安になり、トイレへ行って財布確認。ギリ足りる?ATM探すが見つからない。結局娘に1000円借りた笑

でもやっぱりそれだけの分、すごくおいしかった。

本当に欲しくない食べ物で、いくらおなかを満たそうとしても、いくら食べてもおなかが満たされないように

お金がかかるからという理由で、自分がそれほど行きたくない学校に入っても、やっぱり行けなくて、いや、どうかな、娘の気持ちはわからないから、わたしの想像にしかすぎないけど。

お金がかかっても、自分が本当に心から好きなことをやらないと、どんどん自分の中で、何かが曇っていってしまうような気がして。

子どもだけでなく、私自身もだ。

こどもがいるから、シングルだからという理由で、本当にやりたいことをあきらめて、自分が本当に心から好きなことに対して、ちゃんとその好きなことを果たしてあげないで、ほかのことでうめようとしても、その果たされない思いは、報われないまま自分の中で、たまってしまう。

きっとその穴は、他の何かをいくらつめてもさ埋まらないだろう。

好きなこと、やりたいことは、たぶんこんな風にカフェに行く、とかほんの小さなことからでも、かなえてあげた方がいいかもしれない。

自分が心からやりたいことを、ちょっとずつかなえていくと、自分の本当にかなえたいことにつながっていくような気がするから。

カフェに行って、自分の好きなことをちゃんと叶えてあげると、涙が思わず出て、家への帰り道も涙があふれて、あぁ、やっぱり泣きたいんだなわたしは、と思って、たぶん観るなら今だと思って、「ラーゲルから愛を込めて」を観た。

この映画を観て、あぁ、わたしはちゃんと守られているんだなと思った。

希望を失いかけても、どんな壮絶な状況にあっても、

人間らしいこころと、希望を忘れないで生きること

という強いメッセージをわたしは感じた。

戦争という過酷な状況を乗り越えて、ご先祖さまたちがつないできてくれた自分のいのち。

このいのちを使って、しあわせに、そして希望をもってちゃんと生きて欲しい。

そんなメッセージが私に届けられた。

どうやら、いろんなものに見守られているらしい。

自分で何とかしなくても、そんな風にちゃんとメッセージはやってきて、いつも誰かが思ってくれている。すぐ忘れてしまうけれど、そうやって思い出す。

なのに、不器用なわたしは、よくわからない自分の妄想で頭をいつもいっぱいにしてしまう。

泣いていいよ、カラダの中にいっぱいたまった感情を、カラダの外へ押し出すために。

カラダは本当によくできている、今日まで、わたしは本当に大きな病気をすることなく、ここまで守られてきた。

今まで生きてきて得たたくさんの知識と、経験と、いろんな人からもらった愛を、どうしようかと考えたとき...

わたしは、残りの人生の中で、いつも希望を持ち続けながら、どんな時も人は、人間として愛をもって生きられる

自分のこどもたちに背中を見せられるように生きよう思った。

愛は 人を変えようとせず、
いつも信じて ゆっくり見守ってくれる
時間の中に ある。

わたしがここ数年で感じていること。自分がみんなからもらった愛がありえないくらい大きすぎて、どうしたらいいかわからないけれど、それをまた違う人たちに、届けていくのが、たぶんわたしのお役目なのかもしれない。

恩は返さず、恩は他の誰かに送って巡らす。

自分が何かを頑張ろうとする中にというより、流れに任せる、そんな中にちゃんとあるから、それを心の底から信じていこうと思う。

頭で考えたことはだれにも奪われない。

「ラーゲルより愛を込めて」の中で印象にのこったことば。

ことばは、人をはげまし、気づきをくれたり、やさしさや、ありがとうや、だいじな気持ちをつたえてくれるもの。

ことばをだいじにていねいに使うこと、そんなことばの使い手をめざして、私は書いていこうと思う。

まず、
自分を知るために、
自分を癒すために、
自分を大好きでいるために。

映画を観て、一気に何かに書かされるようにして書いたものをちょっと書き直したものなのだけれど、最後まで読み通してくださったあなたにありがとうを伝えたいです。

ありがとうございます。

これを読んで、あなたの中でなにかがうまれたかもしれない。

あっ、ことばに出したくなかったら大丈夫。

もし良かったら、この「希望を生きようとすること」を読んで、あなたの中から出てきた話をいつかあなたがいいなと思ったときに聞かせて下さい。

追記。2024.2.1
ちょっとわたしの思い、重いわ笑
もう修行モードは要らない。

鎧を、甲羅を脱ぎ捨てよう!
もっと軽やかに、かんたんにしあわせになっていい。

しあわせでありつづけること。

下がったり、上がったりしながらも

2024年、しあわせでありつづける



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