久々の不調。

 ねこっちです。

 最近は、久々に大きな精神的不調になってしまいました。本記事では、その理由を振り返り、今後そうした不調をどのように防げるかを考えていこうと思います。


きっかけ

 不調のきっかけは、ある物語を書いたことでした。その物語は、私が高1の時に書いたいわゆる「イタい」内容の漫画をアレンジしたもので、アレンジによって自分の中ではよい作品に仕上がったと思っていましたがやはり元ネタがグロテスクだったので修正には無理がありました。

 この物語を書いているときは、我を忘れるほど毎日熱中して楽しかったです。起きる時間も4時ごろになり、判断力や思考力も一時的に向上して、まさに夢のような時間でした。ゲームで例えると、マリオがスーパースターをとって無敵状態になったような感じです。

 しかし、自分の中では自信作だったこの物語を、母に読んでもらったのですが、そのとき全体の構成から細部の描写に至るまで酷評を受けました。確かに、書いているときは楽しかったことこの上なかったのですが、評価を受けるとなると話は別で、元ネタが「イタい系」だったので修正には無理があり、今思えばこの酷評は当然だったと自分でも思います。

 が、物語を書いていてあまりにも熱中していたため、これで燃え尽きてしまい、思考の整理がつかなくなって不調になってしまった、というわけです。

過集中による不調

 今回のように、何かに没頭しすぎて、その反動で我に返った時に不調になってしまうことはよくありました。

 例えば、2023年6月も、物語を書いた直後に不調になったことがありました。この物語も、A4の紙に両面で100ページ弱書いた記憶があるので、それなりの大作でした。しかしこの時も過集中でやりすぎてしまい、これを書いた約2週間後、突然パニックになってしまい、かかりつけの病院まで救急車で運ばれたことがありました。

 私の不調には、このように「我を忘れて熱中」した後、「ふと冷めた時に不調になってしまう」というパターンが多いです。今回の物語も、A4の紙に両面71ページ書いた「大作」(自分で言うのもなんですが)でした。

平穏と刺激のバランスが難しい

 去年の10月、不安定のメカニズムが分かり、それで心の平穏を取り戻した、ということは何度かこのnoteでも述べてきました。心の平穏にいる時は、とても安らかに、淡々と物事をこなせます。

 しかし、私も時々、思いきり楽しみたくなることがあります。つまり、生きることに刺激を求めたくなるのです。今回の物語作りは、そうして始めた節もありました。日頃、淡々と物理の問題を考えているだけでは味わえない、突き刺さるような刺激を求めてしまったのです。

 そこで約2週間、物語作りに熱中してしまったのでした。しかしその時間があまりにも刺激的だったため、母の酷評で我に返った時、一気に落ち込んでしまったのでした。もしかするとこの後大きく落ち込んでしまうかもしれない、という予感は、物語を書いている時からあったものの、それは予想以上の大きさでした。

 心の平穏のおかげで、東工大第4クォーターの成績は高得点でした。その意味で、心を安定に保つ基礎は習得してきたのではないかと思います。しかし今回、物語を書き、その世界に没入してしまったことで、はめを外してしまいました。平穏と刺激のバランスをとることは、難しいと思いました。

最後に:不幸中の幸い

 母からの酷評を受けて、しばらく落ち込んでいましたが、今日はやっとまともに起き上がることができました。このような規模で精神的不調を経験したのは、久々のことでした。

 しかし、これが春休み中のことで本当に良かったです。まだ授業開始には時間があるので、残りの期間は休養に徹して、授業期間に再び平穏になれているように回復したいと思います。

 また、今後も刺激を求めたくなる時があるかもしれません。そういう時は、今回のような長期休暇の真ん中あたりで刺激を求める行動をするのが良い、という教訓を得ました。こうすることで、学業への影響を最小限に防げます。

 今回は、不調とその理由、およびそれを防ぐ教訓を述べてきました。やや暗い内容になってしまいすみません。このことは大事なことなので、備忘録もかねてこの記事に書きました。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

   ねこっち

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