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満ちて欠けて、満ちて朝

夜行バスに乗り込み、自分の席を見つけた瞬間、スマホが震えた。慌てて席に座り画面を確認すると、友達からのメッセージだった。先日送った私の作品が無事、展示会場に到着したらしい。連絡のお礼と、急な仕事で搬入作業や設営を手伝えなかったことのお詫びを伝え、一息つく。安心したら、すぐに眠気がやってきた。

薄い毛布にくるまり、毛布の隙間から満月を見つめる。そういえば昔、満ち欠け風船、なんてものがあった。満ちては欠ける月の姿がプリントされている風船。倹約家の父が珍しく衝動買いしたのだった。せっかくだから、と母が風船用のヘリウムガスを買ってきて、親子三人でせっせと風船を膨らませた。

部屋を暗くすると、天井を埋め尽くす風船の月がぼんやり光って。おまけに窓の外には本物の満月があって。ああ、ありがとうお月様。良い夢を見られそうだ。

「あの、すみません。そこ、私の席だと思います」

女性の硬い声に、最高の眠気が一気に消えた。

「……へ?……えっ!あっ!ごめんなさい……」

急いで財布から出した乗車券の番号と席の番号を見比べると、番号が一つ違う。私は通路側の席だったらしい。立ち上がって席を譲り、へなへなと着席する。

レザージャケットを着た鋭い雰囲気の女性だ。無言が怖い。怒っているのか、なんとも思っていないのか、分からない。もう一度謝ろうか。くどい、と思われるだろうか。毛布を両手で強く握る。

「あのもしかして、油絵、描いてます?」

隣の女性が唐突に尋ねてきて、心臓がはねた。何回も首を縦に振る。

「やっぱり!かすかに油絵具の匂いがするなぁって思って!それで、指に絵具が付いてたから絶対そうだと思って!うわ~、すごい偶然!私も油絵、趣味で描くんです!」

嬉しそうに話し始めた女性は、人懐こそうな笑顔を浮かべている。怒ってない。良かった。

「私もずっと趣味で描いてます。美術系の専門学校に行ったんですけど、結局、芽は出なくて。先月に絵描き仲間から合同展示会をやらないかと誘われて、参加したんです。その展示会が明日開場なんですが、遠いしお金無いので、夜行バスで行こうかと」

「マジですか。私も美術系の学校行ってたんです。仕事が忙しくなって中退しちゃいましたけど。すごいなぁ、展示会かぁ」

「無名の出展者たちでお金を出し合ってやる、小さな手作り展示会なんです。準備は大変だったけど、なんか文化祭みたいで楽しくて。明日終わっちゃうんだなぁって思うと、ちょっと寂しくもあります」

「いいですね。楽しそう。絵描き仲間同士の手作り展示会かぁ」

「たぶん、次回も開催すると思います。どんな感じか気になるのであれば、写真とかパンフレットとか送りますよ。連絡先交換しましょう。ええと、お名前は……」

目を輝かせた女性は、素早くスマホを取り出した。

「ぜひ!お願いしちゃいます!私は武藤沙織むとうさおりです。どうぞよろしく」

「お安い御用ですよ。私は尾藤歩びとうあゆみです。よろしく」

武藤沙織さん、聞き覚えのある名前だが、思い出せない。



絵の話で盛り上がっていたら、気づけば周囲が静かになっていた。まだ消灯の時間まで少しあるが、もう寝ている人が多いのだろう。二人で声をひそめる。

「そういえば、武藤さんはどんなお仕事をされてるんですか?」

「たぶん驚きますよ。額縁職人です」

「額縁の職人さん、ですか?」

「ええ。自分の絵に合う額縁がなかなか見つからなくて。仕方なく自作してたら、友達から同じような額縁を作ってほしいって頼まれて。それから口伝えでお客さんが増えて、気づいたら額縁作りが仕事になってました」

火花が散るように、昔の記憶がよみがえった。武藤詩織さん。美術系の雑誌にインタビュー記事が載っていた。

「え!?武藤さんって、あの、あの武藤さんなんですか!?雑誌のインタビュー記事読みました!それからずっと、気になってて」

「たぶん、その武藤です。うひゃー恥ずかしいなぁ。あのインタビューの時、舞い上がって自分のこと赤裸々に喋っちゃったんで……」

「かっこよかったですよ。潔く、でもこだわる所はこだわる。武藤さんの生き様も作品も、そんな感じがします。どうしても武藤さんに額縁を作ってほしいと思う人の気持ちが、よく分かるんです私」

顔が真っ赤だった武藤さんは、ちょっと涙目になっていた。

「……本当にありがとう尾藤さん。いつか、っていうか絶対、加藤さんの絵に合う額縁、作らせてくださいね」

「ほ、本当に!?」大声が出て、口を押えた。武藤さんがゆっくり頷く。

「わ~……まさか夜行バスで夢が一つ叶うとは思わなかったです。じゃあ私は、武藤さんの額縁に合う絵を描きますね」

「おっ!ナイスですね、それ。きっと面白い」

永遠に続きそうな密談は、消灯によって幕を閉じた。



寝起きでぼんやりとしていたら、武藤さんから温かい何かを手渡された。缶コーヒーだ。

「さっきのトイレ休憩中に、自販機で買ったんです。どうぞ。あ、無糖のもあるけど」

「ありがとう。いつも微糖だから、大丈夫です」缶を開けて飲もうとしたら、武藤さんがにやっと笑った。

「武藤は無糖で、尾藤は微糖かぁ……ふふふ」

「ふっ、本当だ。ふっ、あははっ!」

コーヒーを飲み干して、バスを降りる準備をする。お別れの寂しさをごまかすように、明るく喋る。ついにバスを降りて、二人で背伸びをした時、武藤さんが「あっ!」と声を出した。

「え、忘れ物、しちゃいました?」

「今朝知ったんですけど、あのバスの運転手さん、名前が佐藤だったんですよ。つまり、無糖と微糖を出会わせたのは、砂糖ってことになりません?!」

二人で肩を震わせながら笑う。ああ、満月のような朝だ。武藤さんと再会する時は、月の満ち欠け風船を持っていこう。



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