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わたしが障害者になってから

 わたしが障害者になってから丸2年以上が過ぎた。いや、もっと前から障害者だったのかもしれない。発覚が遅れただけ。そう思ったりすることもある。

 わたしが障害者になって変わったことはたくさんある。生活や人生、友人関係や仕事、趣味や考えること、たくさん。傷つくこともたくさんあった。被害妄想かもしれないけれど。

 それなりに元気な人生ではあったと思う。それなりに恋もして、それなりにセックスもして、それなりに人を傷つけて、それなりに傷ついて。撤回。傷つけてきたことはたくさん。傷ついたこともたくさん。セックスもたくさん。

 わたしの性依存が障害によるものだったのだとしたらそれはそれで腑に落ちるものもある。異常だった時期もある。何人もの男性と関係を持った。なんとも思っていなかった。行為中、相手を傷つけたことも山ほどあったと思う。思い返すだけで赤面して、心拍数が上がって、出来うるならば首をくくりたくなるようなこともたくさん。それでも当時は、それなりにやりくりできてしまったのだ。

 つくづく、生きてきてしまったと思う。

 この人生はどこまで続くのだろう。今は治療の甲斐もあってか、比較的平穏な暮らしを営むことができている。それでも過去は変えることができない。関係を断ち切られてしまった人もいる。もう、戻ることはできない。

 もう、どうにもならないことも、ある。

 わたしの障害は統合失調感情障害というもので、薬もたくさん処方される。向精神薬に抵抗はあった。それでも、閉鎖病棟に入れられた時、半強制的に投与された。それからずっと(自己判断で絶っていた時期もあるけれど)飲み続けている。身体と心に変化があるのかはわからない。効いているのかいないのか、よくわかっていない。それでも飲み続ける。周りが心配するから。飲む理由はそれだけ。

 ちなみにわたしは2ヶ月の入院生活で20キロ太った。向精神薬というのはそれほどに強い薬なのだと思うエピソードではある。元が痩せ過ぎだから少しくらい太ってよかったんじゃないかと看護師さんは言ったけれど、そういう問題でもないような気もする。でもこれも言ったところでどうにもならないことのひとつ。

 家族や友人との衝突もあった。わたしの激しい躁は周囲の人を傷つけた。物事を破壊して回った。激しさは悲しいことだ。激しい愛ほど情熱的で悲しいものはない。わたしはそう思った。

 こんなわたしのことを愛してくれた人はいるだろうか。いないんじゃないかな。みんなわたしとの性行為に夢中で、わたしのことなんて興味がなかったんじゃないかと思うこともある。女性というのは得てしてそういう存在なんじゃないかと思ってしまう時もある。自虐的で悲しいけれど。それくらい、わたしは愛情に飢えていた。

 幼少期のトラウマにその因果を探っていた時期もある。でもよくわからなくなってしまったのでうっちゃってしまった。本当はもっと深掘りしてもよかったのかもしれない。それでもその体力がわたしにはなかった。今もない。

 愛が欲しい。そのためにも誰かを愛したい。心の底から誰かを愛したい。愛を感じたい。性器と性器の繋がりだけじゃない愛を。包み込むような愛。物語の中で、音楽の中で、絵画の中で、幾度となく語られてきた愛。それをわたしも知りたい。

 子供が欲しいと思うこともある。それでも障害のあるわたしには無理だろうと諦める気持ちも大きい。わたしはわたしのことで精一杯で、それ以上の生命の責任は持てないように思う。

 それでも子供への愛とはなんだろうと思う。なぜ人は子供を愛するのだろう。なぜ? わたしにはわからない。

 無条件の愛。そんなものがあるのなら、死ぬまでに知ってみたい。わたしの全存在をかけて守りたいものを見つけたい。それまではわたしの旅は続く。そしてそれからも。

 わたしが障害者になってから丸2年以上が過ぎた。けれどわたしは立ち止まったまま。それでもそのままでいいよと言ってくれた人がいた。わたしはその人を愛せるかもしれないと思った。どうなるかはわからないけれど。愛しい人だなと思ったのは確かだ。その気持ちに嘘はない。その人の子供なら授かりたいと思った。そんな気持ちが、この宇宙にはある。

 救いはある。きっと。そう思いながら今日を生きる。障害を抱えながら今日を生きる。明日と感ずる方角へ、手を伸ばす。意味があるのかはわからない。それでも、それでも。わたしにできるすべてで、明日へと。今を。今、この時を。

(2024.4.15)

[BGM:カネコアヤノ - 車窓より]

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