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どす黒い底なしの感情に溺れる自分を助けてあげたい話


ある時から、強いコンプレックスに苛まれる時間が増えて、劣等感という底なし沼に溺れながら、高い高い空に手を伸ばして這い上がろうとしているような感覚が、今日まで続いている。

恐らく大学に入学してからだろう。

大学生になってから、過ごした環境、出会った友達、得た経験、私にとっては全てが刺激的で、180度価値観が変わった。

刺激を得たその瞬間は、こんな世界があったんだ、こんな生き方があったんだ、と何もかもが輝いて見えて、尊敬する友達達や環境に置いていかれないよう、井の中の蛙だった自分を必死に取り繕うよう努力して。

でも、そんな刺激的な感覚も落ち着き、今度は、18歳までに生まれた、どうやっても取り戻せないギャップに苦しむようになってしまった。

価値観が180度変わったという事は、つまり過去の価値観とは正反対の自分になったということで、それまでの自分が歩んできた過去全てを全否定する日々が始まった。

それまでの人生だって、自分なりに日々を頑張ってきたはずなのに。

私は流されやすい人間だったので、余計、自分のペースを保つことが出来ず、過去は過去、未来は未来、人は人、と受け入れることが出来ないでいる。


劣等感の終焉を迎えられない今、ふと考えるのである。

劣等感は、どこかの段階において、自分自身で自分の事を大切にしてあげる、認めてあげる、という課題をクリアできないと、永遠にこの苦しさからは解放されないままなのではないか。

どす黒い底なしの劣等感から、自分で自分を引き摺り出してあげられないと、死ぬまでこの苦しみからは解放されないのではないか、と。

この沼から出るために藻掻いてるときってとてもとても苦しくてつらい。

理想の自分を追い求める事を諦められない自分と、現実の自分への認知が、感情の中に共存し、ぶつかり合ってしまい日々葛藤している。


このどす黒い沼から、自分を引き摺りだしてあげられるということが、また1歩、大人の階段を登るということなのかもしれない。


いつか、手を伸ばしても高くて高くて届かなかった空が、近く感じる日がくるのかもしれない。


そんな日を迎える事が出来た暁には、この世界にある美しさが、また一段と輝いてみえることを願う。


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