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日露戦争とやや関連するけれど、そこまででもない、旅順の話(1)

これまで、トルストイの日露戦争論文を一連で追いかけてきました。

さて、それにある程度関連しまして。
いささか順番が前後するかもしれないですが、「旅順」という場所について、一項を立てておくのも良いかという気になりました。

実は以前、旅順旅行の話を書こうかと思ったこともあり(結局やめちゃいましたけど)、その再挑戦という意味も込めて。

日本人に旅順というと、「日露戦争、203高地!」みたいな連想ばかりが働くかもしれませんが。
それだけのイメージでこの街の歴史を考えるのは、あまりにも表面的です。

しかし、どうやってこの項を書いたものかなぁと、まだ全然イメージが固まりません。
コンパクトにまとめるというと、思いっきり舌足らずになるほかなさそうだし。
と言って、ガッチリした連載モノを書き上げるだけの気力・体力・構想力があるわけでもありません。

不定期連載的に、まとまりのないことをちょっとずつ書いていって……それでもまとめて読むと、旅順の全体像がイメージできるようになる……みたいな方向を目指せれば、まだしも? それだって、かなり困難な理想ですが。

タイトルに一応(1)と入れましたが、続きがあるかどうかは神のみぞ知るです(^_^;)。

とりあえず、大づかみな話から入ります。
まずはWikipedia 記事を貼っておきましょうか。日本語版「旅順口区」。

それから参考のために中国語版「旅順市」の記事。こちらは主に歴史的な話。

さて、旅順は遼東半島の一番の先端部分に位置する街。旅順と言ったり旅順口と言ったりすることについては、さしあたりあまり気にしなくていいと思います。

旅順のもう少し東(半島の付け根方向に少し寄った側)に大連の街があり、街としてはこちらの方がずっと大きいです。旅順と大連はワンセットのようにして発展してきた部分もあって、実際、一時期はまとめて「旅大市」なんていう名前だったこともあります。

今日の旅順は「大連市旅順口区」。名前的には大連の一部みたいな感じですが、こういうのは行政の都合とかも大きいのでしょう(日本でも、「○○市」が、もっと大きい△△市の「○○区」になることがあるので、そんな感じでしょうか)。

ついでに言うと、大連よりさらにもう少し半島の付け根に近よった方面に金州の街があります(今日では大連市金州区)。歴史的には大連や旅順より古く、日露戦争の関連でもこの地の名前が出てくることがあります。(※)

地図をもう少し広域で見ると、旅順のすぐ向かい(?)の山東半島には威海市(日露戦争当時は「威海衛」)があり、ここには英海軍の基地がありました。さらに山東半島の反対側(南側)、今日の青島あたりにドイツの膠州湾(こうしゅうわん)租借地。
各国の目や権益やらが、あれこれ交差する地域だったことには留意しておく必要があるでしょう。端的に言って、日露の攻防は英軍のすぐ目の前で行われていたのです。
(これもついでに。今日、大連の駅前広場を歩くと、威海・煙台[どちらも山東半島の街]行きの船のチケットを大音量で宣伝していることに、嫌でも気づくことになります。そんな距離感なんですね。)

もっとクローズアップしていくと、半島の腕によって外海から隔離されたようなエリアがあることが分かります。これが、旅順を天然の良港とし、ひいてはこの街の運命に大きな影響を与えることになったわけですが……。

そろそろ真面目な解説に疲れてきましたので、この辺でちょっと車窓風景の動画など。

旅順へは、かつては大連から国鉄の便もあったようですが、今では実質的な廃線のようです(駅舎は観光スポット的に残っています)。
その代わり、大連の地下鉄12号線などで行くことができます。駅が街の中心から離れていてどうも不便だったりしますが。
「地下鉄」と言っても12号線はずっと高架。「ライトレール=轻轨」などとも呼ばれるようです。

上の動画、4分30秒あたりを見ると、各国語の車内アナウンスの中に日本語もあることが分かると思います。「つぎは りょじゅん、りょじゅんです」。
なお、旅順へは大連からバス便もあって、慣れている人ならそちらの方が便利なのかもしれません。

もう一つ。

「大连旅顺203樱花园景区」(音楽が流れますので注意。)

「大連旅順203桜花園」のパノラマ。
そう、かの「203高地」は今では桜花園となっております。
(桜花園といっても、山1つか2つかを含むような、広大なもの。203高地もその「敷地内」。)

画面に映る中央通り的な遊歩道を登っていくと、今日でも日露戦争関連の史跡がある程度残っているのを見ることができます。

この記事のトップ画像もここのページのスクリーンショットとしました。
多分、怒られたりはしないだろうと思い……。


(※)……こんな漢詩があります。「金州城下作」 乃木 希典

この詩は「詩吟」でよく扱われるようで、検索すれば動画もすぐ出ると思います。
ただ、こういうのはよほど気をつけないと、「日本軍の苦難への共感」→「日本の軍事行動の肯定」みたいなセンチメントに、知らず飲み込まれてしまうおそれもあると思うので。ここでの紹介はこの程度に留めておきます。