ニュートラルであり続けるということ ~幅允孝さんのトークイベントを聴いて~ _2010.11.22.
2010年11月19日に、タテマチ大学で幅允孝さんの授業を聴いてきました。
幅さんは、選書集団(という呼び名がウィキペディアで冠せられていましたが、正直この呼び名どうかと思う)・有限会社BACH(バッハ)の代表であり、本を流通させたり、本自体をつくったりされています。
現在(2010年当時)書店員として働いてもいて、本に関わる仕事に興味のあった私は、前々からこの授業の情報をチェックしていて、楽しみさああああにしていました。
ハイセンスな独自の本のチョイスのしかたをご教授願えるのかと思いきや、意外にも、これでもかというぐらいクライアントに歩み寄った今までのお仕事を紹介されていて、さすが、プロっていうのはこういうお仕事をする人のことを言うのだなぁ、と思いました。
本が置かれるそれぞれの場所に存在する磁場をおもんぱかり、その場所に最も似つかわしい本を。というスタンス。
ブックディレクターというよりは、いわば人を含めた空間のプロデューサーというか、コーディネーターというか。
そんな印象を受けました。
人の好奇心というものを幅さんなりに新たに定義づけていて、
「好奇心とは、閉塞した既視感を突破する唯一の方法」であり、
その「好奇心」を誘発するためには、「セレクト(選別)」より「エディット(編集)」である、
「見たことはあるけどよく知らないもの」の素晴らしさを再発見してもらう視点へと誘導することである、とのこと。
どんな本でもおもしろいところはどこかにあるという考え方、
本を読んで得た情報をどう生活に生かすかが大事であり、読んだ本の量ではなく、本から得た人の経験を自分の経験に還元することができている人のほうが優れた本読であるという見方、
情報をワカサギ釣り的に氷に何か所も穴をあけて逐一ピンポイントから無数に散る断片としてとらえるのではなく、その釣りをしている氷の下では水はひとつにつながっていて、未知と既知が水の波紋のようにひとつの水面上でぶつかるイメージ。
こういったお話を聴いていて、自分の中で新しい世界が広がりました。
幅さんのお話を聴いていると、完全に本を提供する側というわけでもなく、本の読み手としても深く考えていらっしゃる方だな、とてもニュートラルな方だ、と思いました。
だから、普通の書店にはできないような、人に寄り添った本の提供ができるのだなぁ、と。
「ぶっちゃけ、本よりも人が好きなんです。人と話をするのが楽しい」とおっしゃっていたのがよくわかる。
じゃないと、クライアント側の方たちに事前調査としてインタビューしまくるということはできないと思う、いくら仕事とはいえ。
何にも寄りかかってないから、いつだってどこだって行ける。
「器がでかい」とか「大人」とか「成熟している」とかではなく、そんあゆったりと物事を受け入れる姿勢のことではなく、
もっと、無垢で、シンプルで、スタートの合図が鳴ったら今にも360°どこにでも飛び出せそうなくらい、はちきれそうに自由で。
ニュートラルっていうのは、そんな状態のことを言うんじゃないか。
好奇心を絶やさずにいるからこそ、ニュートラルであり続けられるし、
受け身ばっかりじゃ本当のニュートラルな存在にはなれないんじゃないか。
そんな能動的なニュートラルな状態を保つのって、実はすごく難しいことで、
いくつ歳を取っても、社会的な権力とか世間体におもねらないで、本当の意味でニュートラルであり続けることができたら、なんて素敵なんだろう、
と思いました。
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