TRANSKOBE で お邪魔して

『作品』
話はあっちとび、こっちとびしますが読んでください。
TRANSKOBEを終えて翌日、京都の錦湯。そのさらに翌日フェリーで大分に戻りました。
毎日決まった時間に起きるということだけでも僕の人生にはあまりないことだったので、この二ヵ月はけっこういい経験になりました。
あと誰かと協力するとか、みんなで一つのものを作るとか、組織の一部分として動くとか、そういうことが本当にない人生なもんですから、しんどいとかではなかったけど違う感覚だったし、何かに帰属するということがある意味で楽しかったり、安心感があったりというのも味わうことが出来たと思います。

でも芸人という立ち位置があるからわがまま言わせてもらったところもあったので、本当に社会で働いたりするのは大変だろうと思いました。今までいろんな場所で行政関係の方に迷惑をかけてたんだろうなということを今になって実感しました。
行政マン、レディの皆さんは本当にスーパーマンみたいに見えるときがあります。僕が全くできないことを、まったく使いこなせない言語を使い、実現してしまうからです。感情とか言い方とかじゃなく。

それ以外のお仕事の方もそうです。食べ物を作ったり、建物を建てたり、人やモノを運んだり。
それを考えると自分はなーーーーーーんにも出来ないし、
役に立ったか、立たないか、すらの結果もよくわかりません。

だけど、シュナイダーさんややなぎさんの作品は
神戸のまちの中にすでにあるものを使って作られたもの
ですけど「作品」としてそこにあって、それゆえに
観た人がそれぞれ何かを感じ取って帰ることが出来た。

「盛り上げる」とか「ご機嫌をとる」とか漠然としたものではなく、「作品」を作る。多くの人がそれぞれの立場で精一杯うごいて作品を神戸の町の中に立ち上げた。
町の人や鑑賞者もそれをうけとめた。
それが出来ただけでも本当に今アートプロジェクトは凄いことをやってのけたんじゃないかと思う。ぜんぜん譲らなかったのがよかった。

自分は周りの皆さんにたくさん助けられたが実質の事をなーーーーーんにも出来なかった。
そのことによってなんか自分の立場がはっきりわかった気がして、おもしろかった。あと、なまじ何か役立つことをしようとすんのもよくない気がした。

明日よかったら大分の方は夜七時に別府の喫茶ムムムにきてください。そんな話も少しはしたいと思います。

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