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問題だらけのクレイジーなブラック企業で1年半頑張ったけど、「アホ過ぎて」限界を迎えてしまった話

短期間に何人もの人が辞めてしまう職場には、会社側(環境や既存の社員)に問題がある

僕が実際に務めた、あるサービス系の会社で経験した実話。本記事は企業への誹謗中傷が目的ではなく、あくまで経験談の言語化である。  そのため、社名や業界等を、伏せたまま論考を展開したいと思う。

友人に「何か、このままじゃダメだと思う理由がない限り、転職なんてしないでしょ?」と言われた。確かにそうだ。振り返ってみたいと思う。

・会議が長く、しかも頻度が高い
・定例会議.....急ぎの議題がないときでも定例だからという理由で開催
・社風が昭和。(内実が伴わない嘘八百の)スローガンや企業理念の唱和
・部門朝礼の後、全社朝礼もある
・人事評価に問題がある
・社員のこれまでの経験や適性を無視した人事異動を強制する
・目的がよく分からない部署の統廃合や単なる名称の変更がある
・紙を使った業務など、生産性が悪い業務フローが改善されない
・無能な管理職が降格されない
・無能な管理職のせいで、変化にブレーキがかかる
・驚くほど管理職のExcelスキルが低い
・仕事をしない40代社員とボロ雑巾のように働かされる20代社員
・管理職のマネジメントスキルが総じて低い
・管理職研修が、そもそも無い
・社員1人あたりの仕事量を減らす努力をしない「経営者」
・家族経営の社長、副社長が、会社にぶら下がっている状態
・経営者に重大な事項を報告しない、部門長が隠蔽してしまう体質
・無理な成長拡大路線
・慢性的な人手不足、高い離職率が改善されずに放置されている
・営業利益が1%未満で、利益がほとんど無い
・残業がデフォルトで、長時間労働が当たり前になっている
・休職する人が多い。休職した人がほとんど戻ってこない
・社員やスタッフの安全より売上 とにかく売上至上主義
・割りに合わない給料の安さ、ボーナスの低さ
・給与ミスが異常に多い
・必要な備品がない。(遅過ぎて頻繁に止まるパソコンが貸与される)
・1,2ヶ月もすると、中途入社の新入社員に諦めや疲労困憊のムードが漂う
・職場の衛生管理や危機管理に問題がある

ExcelやSpreadsheetが出来ない人を管理職に登用しちゃダメだ。

英語を話せるようになる前に、まずExcelやSpreadsheetを使いこなせるようになろうと思った。中間管理職がツールを上手く使いこなせない人だと、データから見えてくるインサイトを組織運営に活かせないし一向に改善に結び付かない。

・表にIDがない(VLOOKUP関数が使えない)
・セルの結合でフィルターが掛けられなかったり、関数やGASが使えない
・一つのシートに表が複数ある、無駄に列が多く、横スクロールが必要
・ショートカットキーを覚えようとしない。ほとんどマウス操作
・ちょっとした関数が使えず、全てコピペのデータで作られている
・数字とテキストが混在したデータを作成する

自動化や効率化は、適切に評価されない

長時間働くことが良いとされている職場では、基本的に生産性や効率性を見直そうとする動きが働きにくい。早く帰る人は昇進昇格対象から外れてしまう。それが実態に1番近かったかもしれない。

例えば、工数管理を、きちんとするようになった結果、自分の生産性の悪さや、作業の効率の悪さが炙り出されたら、どうだろう?それは、自分の首を自分で絞める事になる。やるわけが無い。

生産性の低い人が、管理職に登用されるのは、離職率の高さを改善して来なかったから

多分、この会社がアホらしいと思って辞めた人は後を絶たない。では、離職者が多い理由は何なのか?原因を突き止めずに放置してきてしまった結果なのだと思う。

どんどん人が辞めていく職場では、熱源が失われるようなボトルネックがどこかに存在する。ここを、一つ一つ潰していかないと、残された社員の中から管理職を選ばざるを得なくなる。ただし、残った社員に必ずしも管理職として適性があるとは限らない。

上司の理解を得られないと、改革は難しい。

改革の熱源を意図的に他の人に伝染させたり、上司自身が改革に興味がない。あるいは、今の環境に安住したいと考えているような場合、その組織は緩やかに死んでいくと思う。個人のスキルは、あくまで片方の車輪にしか過ぎず、両輪(上司の理解)が揃って、真価を発揮出来ると感じた。

管理職に限らず人を育てるという発想がない

この会社には、管理職研修がなかった。カレンダーで、誰が何の会議に参加しているかは可視化されていて閲覧する事が出来た。しかし、管理職研修という単語を見かけた事は一度もなかった。

管理職なのに、役職がない人と同じ仕事、プレーヤーとしての仕事しかしていなかったりする事が多い。ITスキルなどが総じて低いので、役職がない人の方が生産性が高かったりする事も多かった。

会議が長く、多過ぎるが故に、雑な仕事が増え、良質なアウトプットが無い。

「この組織、死んでるな.....」と感じたのは会議の多さと長さ。それゆえ、自社の常識を疑う機会が減り、井の中の蛙状態に陥ってしまう。そして、会議で忙しいからと、マネジメントに割く時間が減り、雑な仕事が増える。

副業で取り組んでいる業務のミーティングは基本、必要な人だけが出席し、基本は30分以内。しかも、雑談を含めて30分以内で終わる。

ミーティングのファシリテーション、進行を切り盛りしたりする能力、あるいはアジェンダを事前に用意したり、関係各所に話をあらかじめ通しておく段取り力は、必要不可欠ではないかと思った。

変わらない組織は、ぬるま湯のような心地良さがあるのも事実。

変わらない組織というのは、改革をしたいと考えている人にとっては、歯痒い、苛立たしい以外のないものでもないが、変わらなくても良いのは楽である。戦う事を諦める方が周囲に角が立たず、余計なエネルギーを使わなくて済む....ただ、それで何とかなってしまう組織というのは、あまり未来が明るくないと思う。在籍しても、それ以上スキルや経験が得られない、そんな会社である可能性も高いように思う。そういった会社が淘汰される日は、そう遠くない事は想像に難しくない。

環境依存的なスキルしか身につかない。

自社が属している業界が特殊な場合、あるいは、マーケットの市場規模が大きくない場合、身につくスキルや経験も環境に依存するようなケースがあるかもしれないなと思う。それは平たく言うと、社内では有益な技能やスキルかもしれないが、社外に出ると、1ミクロンも役立たない知識や経験のことだ。気が付いたら自分は井の中の蛙で、浦島太郎でしたということになりかねない。

自分が環境依存的なスキルを身に着けただけで満足していないかを定期的に振り返る必要があると思う。そのために、一番良い方法は、会社の外に出て、スキルを学ぶ事だと思う。外に出てみる事は、自社を客観的に見るきっかけになると思う。ノンプロ研は、その意味でも良い機会になっている。

会議に参加しているだけで、何も生まない課長や部長

課長は、会議には欠かさず出ているが、人員増、予算増を上に掛け合う事も出来ない。そして仕事だけが増えたと報告する。もはや、役職者として、どんな意義のある仕事をしているのか?全く理解出来なかった。無能な管理職が降格されない。例えば無能な部長であっても、部長のタイトルが維持される。

情報共有の仕組みに問題がある

A「〜の手続きは、先日の〇〇会議で、このように行ってください。と決まりました。」

B「そんなの、聞いてません。何ですか.....それ?」

というやりとりが頻繁に発生する。つまり、自分が会議に参加しない限り、情報を受け取り損ねるという機会損失が発生する。そのため、どんどん参加する会議が多くなるという悪循環が生まれる。

wikiや社内掲示板があるには、あるのだが機能していないのだ。もしくは使いこなせていない。そして、それが当たり前になると、情報共有のあり方を見直したりする力が働きにくくなるように思う。

そして物理的な会議の時間が長いと、初めの方に話された内容は忘れられ、部下に共有されないといった事が、組織の当たり前になってしまう。肝心の会議には、アジェンダや議事録があるのかどうかもハッキリしない。実際、会議のための会議になっているケースが少なからずあるんじゃないかと思う。質の低い会議が組織を蝕んでいる。

それでも、打ち合わせをやたらとしたがる人たちがいる。その人たちには、面白いほど共通の特徴がある。「働いたつもり」になりたい人たちだ。つまり、普段、仕事の成果が出せない人たちだ。打ち合わせをセッティングしたり、意味のない相槌を繰り返したり、そうして疲労して、「働いたつもり」になりたがっている。

人事評価がコロコロ変わり、一貫性がない。

人事評価がコロコロ変わるのは、海賊王を目指していたルフィが、「俺、明日から山賊になるわ」と宣言したり、火影になる事を目指していたナルトが、「火影とかどうでもいいわ」と言い放つに等しい。

定まった評価軸が無いから、適切に評価できず、無能な管理職が温存されてしまう。そういう悪循環があるように思う。

また、比較検討せず、流行りで何でも取り入れ、向こう見ずに走り出すという企業文化もあったように思う。

付け焼き刃で、ハリボテだらけで、見るも無残な人事評価が公表される。OKRが流行っていると言えば、期の途中で、MBOから、OKRが採用される。しかし、深く理解しないまま、まとめサイトをコピペして転用する。そして、そのまま、それが各部門長にそのまま展開され、意味を成さない目標管理設定や不適切な人事評価が横行する。

OKRに関しては、Googleが素晴らしいページを用意してくれていると知った。ぜひ管理職のポジションにいる人に一読してもらいたい。

職場の衛生管理や危機管理に、大きな問題がある。

1番の決定打になったのは、職場の衛生管理や危機管理に問題がある事だった。例えば、結核菌を保有しているスタッフを、そのままサービスに行かせていた。結核は、治療法がない時代は不治の病で、今でも指定感染症の一種で、保健所に軟禁されるぐらいの病気だ。体調不良による欠勤で片付けていい病気でもない。

新型コロナの感染者が出た時の対応。

他の会社は、弊社従業員が新型コロナウイルスに感染している事が判明しましたみたいな声明を出している。

都合の悪い事には蓋をして、ダンマリを決め込む。社内でコロナが出たと判明してからも、フロアの消毒は行われなかった。朝礼での企業理念の唱和なども、密な状況で、そのまま続けられた。

正直、ドン引きしてしまった.....。こういう違和感が山のように積もっていった。配属当初は、やる気に満ちていても、毒のようにHPを1%ずつ削っていく。塵積で、蝕まれたHPは元に戻らず、最後辞めるときには、もうこの会社なんてどうでもいいや。そんな気分になっていた。1日も早く辞めたい、そう思うようになっていた。

逃げの転職?そんな事はないと思う。

一度、人生のどん底まで落ちて、鬱状態を経験し、このままだと、本当に鬱になってしまうという本能的な勘があった。退職してから1冊の本を読んだ。

嫌だなーと思う感覚、口を次いで出る愚痴は、本当は自分はどうしたいかを知るチャンスだと知った。この会社に残りたいとは、もう微塵も思わなかった。そして、内心、自分にが合わないと思っている会社を、きっぱり辞めると言えたのは良かったと思う。

そして、それが逃げの転職と後ろ指を指されようとも、別に恥じる必要がない事も、この本にこう書いてあった。

本来なら「理不尽な状況を変える」「理不尽な状況から抜け出す」というのが、もっとも健康的な解決方法なのだが、.....(中略).....大きなエネルギーが必要だ。状況を変えるには、他社への働きかけが不可欠であり、「住み慣れた環境を捨て、新たな環境に飛び込む」ことに多くの人は不安や恐怖心を抱くからだ。

すると、脳は驚くべきことに、つらい状態に対する認識を変えようとする。つらい状態を、「つらくない」「この程度はまだ耐えられる」と考えるようになるのだ。

その方が環境に働きかけたり、環境から飛び出したりするよりもラクだと判断するためだ。

異常な環境が常態化した会社では、ある意味、慣れるというか、感覚を麻痺させないとやっていけないと感じていた。本来なら「理不尽な状況を変える」「理不尽な状況から抜け出す」というのが、もっとも健康的な解決方法とあるように、転職をマイナスに捉えず、自分の判断を英断だと考えようと思った。

過去にこういう会社に勤めた愚痴は、記憶を外在化し、切り離し新しい気持ちで転職先の仕事に取り組もうと考えている。

Memories will take you back but dreams will take you forward
tiesto

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