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18歳でホームステイに行った時の経験③

これまでの記事。

■日本→アメリカ着とその夜まで


■ホームステイ第1週目とハプニング


今回の記事は、第2週目以降の思い出を書きます。

1.食事

ランチメニューがいつも足りないから、買い物に行った時に
スナックの詰め合わせを買った。
もちろん、サラダは良い顔をしなかった。
友達が食べてるスナックが異常なくらい、美味しそうに見えるんだって。

そして夕飯が少ないのは、サラダが減量中だったからだ。
なんだって?!
2回目の買い出しでやっと念願かなって!!
ピザ購入!!!!
ピザが夕飯ですよー喜び!!
お店でピザ抱えて小躍りしそうに(いや、やったかも?)
サラダ曰く、子どもたちが小さい頃、毎日のようにピザを食べていたから
もう食べたくないと。

いやいや…そんな理由だったんか。

たくさん種類のある中から、選んだピザ。
嬉しくてすぐに食べたら、とても熱かった。
初めて口の中をヤケドした。
この後、2〜3日はめちゃくちゃゆっくり食べたし熱いものを食べず。
食べられなかった。

そして、ランチは自分で作るようになった。
とにかくレタスとニンジンが美味しくて、野菜をいっぱい食べた。
スナック代わりに、学校から帰ったらニンジン食べてた気がする。
ニンジン食べながら、猫を抱っこしつつシンプソンズとスポンジボブ。
猫のトンキニーズが本当に人懐っこくて。
サンドイッチ作ってると前から肩に飛び乗ってきたことがあった。
後ろから飛び乗られた時は、びっくりし過ぎて声出た。
だけど、それが嬉しいわけですよ。
1度乾燥機の中にいた時は、ビックリし過ぎたのと笑い過ぎた。
ちゃんと扉しまってたから、いつからいたんだ?!って思った。

ランチの用意、最後は必ずスプーンを入れた。
普通のスプーンを入れて、帰宅したら毎回食器洗いに入れる。

今思い返すと、健康的な食事生活をさせてもらえたことに本当に感謝。
ジュースもほとんどなくて、水ばかり飲んでいた。
これは、昔も今も変わらない。

2.服や感情との葛藤

いつもジーンズを履いている自分に、
暑いだろうからって服を買いに行くようにサラダが言ってきた。
カラッとした北米の夏は、高温多湿に慣れている者にとって
それほど暑くない。
むしろ夕方や、モールはクーラーが効いていて寒いくらい。
だけどまぁ、せっかくじゃないか。
洋服を見に行った。
試着室であれこれ試して困ったこと。
絶妙にサイズが合わない。
丈がもっと欲しいと思えば、お腹周りがゆる過ぎたり。
もう買わなくて良いじゃないか!!
(元々洋服買いに行くの好きじゃない&試着疲れる)

結局、短パン1枚買ったけどそれをアメリカでは1度も履かなかった。
理由は特にない。

第1週目の週末に「(サラダ実家に)置いてかれたー?!」もあったが、
サラダは交友関係が広かった。
特に最初の週末に一緒に旅行に行った相手が遊びに来る時には、
肉が盛大に焼かれた夜もあった。
いっぱい食べるでしょ?!って。
冷蔵庫の肉がいつ出るんだろう?と、心待ちにしてたから知ってたさ。
嬉しいけれど素直に喜べなかったのは、
自分に用意されたものじゃないから。
嫉妬なのか?それさえ分からないけど、モヤっとしたまま。
だけど、ドカーン!!と食べれるのは嬉しかった。
それだけでニヤニヤした。

別の友達が遊びにきた時には、
サラダと友人が一緒に映画をリビングで観ていた。
あまり自分は話さない…というか、何を話せば良いか分からなくて
その日学校であったことを話す程度だったけど、
相手が話している内容は理解出来ていた。
これはサラダも分かっているようだった。
で、その夜は「(映画の内容が)あなたにはまだ早いから。」って
部屋に戻るように言われた。

いや、18歳。
もう色々経験しちゃってる。
悪い言葉も知ってる。
それでも悪影響だとかなんとかで、部屋で宿題。
間接照明、しかも枕元のランプだけでは本がよく見えない。

リビングからは笑い声が聞こえていた。
ワインを飲みながら、とても楽しそうに話していたから、
その夜は静かにシャワーを浴びて寝た。

寝坊したこともあった。

ある朝は、学校に行くのにいつもと違うコースを
走るんだなって思ってたら、
学校に寄るのを忘れて会社にそのまま向かう時もあった。
2人共「遅刻したら、その時はその時だな。」って開き直った。
駐車場から走ったけど。

猫が手術した日もあった。
かわいそうで、悲しくなってしまった。

3.言語の葛藤

学校での授業は、正直簡単すぎてガッカリした。
1番の良い意味でのショックはホームパーティーに呼ばれた時。

だが、その前に。
「いつまで寝てるんだ?!」って感じの声で起こされた週末の朝。
ドアを開けるとサラダの友人。

いつも急に、あれこれ起きるのも慣れた。

「今日はおしゃれな服を着て行きましょう。」と。
持ってないけど?
早く言ってくれよ(早く言われても、持ってないものは持ってない)
そう言って、まぁこれなら良いかなって服を選んでもらって行った先は
スタジアム。

なんでや。
もう1度。
なんでや。

サラダの友人が「良い席だぜ」って言ってただけに、
確かにすんごい良い席!!
初めてのアメフト観戦なので、めちゃくちゃ楽しみにしていた。

開会式で、周りの人がいっせいに立って国歌斉唱。
(胸に手を当ててる人もいた)
アメリカ国家の歌詞を知らない。
愛国心もない。
国歌斉唱の開会式での経験は、確かに自分がアウトサイダーだと
改めて確信する不思議な経験だった。
誇り高く歌っている様子は、当時の自分にはカッコよく見えた。

試合も盛り上がって、自分も夢中になった。
もはや、何でおしゃれな服探させられたのか忘れた。
※滞在期間は、マリナーズの野球観戦もした。すぐ隣のスタジアム。
イチローを肉眼でハッキリ見た。
アジア人が目立つ、不思議な感覚だった。

盛り上がりも良いところ、ソワソワし出すサラダ。
急にサラダの友達から「よし、行くか。」

は?嘘だろ。

まだ試合途中だし、今スッゲー盛り上がってんぞ。
まったく事情を聞かされないまま、早足で駐車場へ。

もっと試合見ていたかったから、地の底まで落ち込んだ。
今度はどこ行くんだかな…車内でがっかり。

それが、ホームパーティーである。
サラダの友人家族と、彼らの友達。
学生(?)くらいの人もいたし、
招待先の家の子はまだ未就学児(仮名Aとする)。

さらに豪勢な食事!!
だが、ここからが勝負というか食欲まったくなくなったのである。

Aは、すぐに食事を終えると離れて映画を見始めた。

Aのキレイなブロンドを見てから、招待先夫婦の外見へと話がうつった。
旦那さんの髪色は、ダークブラウン。
奥さんは、美しいほど真っ黒。
Aは白いくらいのプラチナブロンドで、不思議だって話だ。
確かに興味深い。

曰く旦那さんは昔、ブロンドだったそうだ。
そこから目の色の話などに話が展開していく。

「君はどうなの?」
完全にテレビを見ているような感覚で、
会話を聞いていた自分に周囲の目線が集まる。
日本は?アジアは?
言われていることは分かるのに、まったく答えられない。
自分の意見が言えなければ、いないも同然だ。
答えられない、外国語が飛び交う感じがどういう感覚なのか、
目の前の彼らはきっと知らない。
嫌なこと言っちゃったかな?
いや、そうじゃないんだ。

みんな大体、黒い髪の毛と目だよ。
そんな感じの話をしたと思う。
普通過ぎるし、一瞬で終わる。
当時、自分の頭の中には、もう少し何か意見があったはず。
だけど英語が出てこなかった。
それまでは得意だと思っていたのに。

食事が終わったら、手作りのカクテルを楽しんでた。
お酒が飲めない。
Aは寝ると言って、自室に行き。
リビングでは、同じ学校に通ってる幼なじみが話してる。
多分、1番孤独を感じた時だったかもしれない。
気を利かせてくれて、家の案内をしてもらった。

確か、この家だったはず。
地下があって、話にも入れないしテレビを見てた。
興味ないニュースを。
「せっかく来たのに地下でテレビ見てて良いの?参加すれば良いのに。」
「いつもテレビ見てるし、多分テレビ好きなんだよ。」
階段上から会話が聞こえた。

この夜「アメリカ行ったら死んでも良いや。」って思いが、
自分の中から消えた。
自分の意見をしっかり言えるようになって、戻って来ようと決めたんだ。
テレビを見ながら、その日見たアメフトの試合結果も確認した。
大差あって勝っていたのに、結果では「負け」となっていた。
負けず嫌いの自分には、イライラが募る夜となった。

色々ショックだった。
確か、この地下には2回行くことになった。
地下が好きなわけじゃない。
テレビも別に好きじゃない。
だけど、孤立してしまう方が楽だったんだ。

4.帰国前とまとめ

当時のHDが壊れてデータが飛んだので、はるか昔の記憶を辿るには
何も手がかりなし。
あるのは頭の中の記憶だけ。
そんな感じで今回の記事を書いてきました。

第2週目かな?
引率の先生から、サラダはどうかなど質問された。
ホームステイ先になったことがないという話だった。

帰国日前に話してたら、
自分より前に日本人の子を受け入れたことがあると写真を見せてくれた。
何で、この人いつも何も伝えないんだ?って思ったけど、
帰国前だったので「そうなんだ。」とだけ伝えた。

写真を持っていないのかときかれ、
これまたなぜ自分が証明写真など持っていたのか覚えていないが、
持っていたのでサラダに渡した。
無愛想な自分の顔の写真。
サラダは、それを冷蔵庫のドアに貼った。

リビングで約1ヶ月を振り返りながら、ゆっくり話した。
どうしてもっと早く、こういう時間を作らなかったんだろうかと思った。

いつだったか、CDショップで何枚か買ったうちの1つが
気に入らなかったことがあった。
帰りの車内で聴いていたサラダは、それを気に入ったのであげた。
それを思い出して、サラダが箱に入ったCDをリビングの床に広げて
好きなのを持って行って良いと言ってくれた。
サラダの好きな音楽も。

帰国する前夜は、それまでで1番話したと思う。
やっぱり会話数は少なかったけど、良い時間だった。

ちゃんと会話出来ないままだったけど、次の年は学校を通さず
プライベートで10日ほど泊まりに行った。
2回目は、きょうだいと2人で。
それはまた今度、書きます。

18歳でホームステイに行った時の経験①〜③
旅行はいつだって楽しい。
心へし折られて、得るものの大きさよ。
今回の記事で様々、思い出せて最高です。

皆さん、今日も良い時をお過ごしください。








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夏の思い出

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