「コミュニティノートは実名にすべき」蓮舫の意見は言論弾圧の第一歩
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先日、参議院議員の蓮舫氏がTwitterのコミュニティノートに対してこんなことを述べていた。
蓮舫氏といえば、立憲民主党に属し、女性やLGBTなど、マイノリティの権利について声を上げる政治家である。
それにも拘わらず、このコミュニティノートに対する意見は横柄なマジョリティ、もっといえば醜い権力者の意見そのものである。
匿名を否定する恐ろしさ
匿名は人々にとって、とりわけ弱者・マイノリティにとって重要な"権利"である。
横暴なマジョリティの暴論ツイートに、マイノリティが反論ないし訂正する様を想像してみて欲しい。
男性政治家が女性やLGBTに関する酷く差別的なデマを書く。
それに対し、同性愛者の女性がエビデンスを記しデマを指摘するのだ。
すると男性政治家はこう叫ぶ。
「こんな事を書いたのはいったい誰だ!名乗り出なさい!」
差別的な男性政治家に対して、著名人でも何でもない同性愛者の女性が名乗り出る事ができるだろうか…?
こうして書けば、「名前を明かせ!」と述べる事が酷く恐ろしいことに気付くだろう。
蓮舫氏はマイノリティの権利を声高に訴えているにも拘わらず、匿名の重要性が理解できないのだ。なんと恐ろしいのだろうか。
※同じ感想の方がいた。
匿名は弱者の盾である
"匿名"とは弱者を守る"盾"である。
匿名であれば、発言者が何者かバレる事はない。
独身女性であるとバレなければ、女性が発言中に「お前が結婚しろ!」「産めないのか?」と差別的な野次を受ける事もないのだ。
蓮舫氏自身、街頭演説でこう述べている。
こうした苦労も、匿名ならば無縁である。
この点は、Twitterの創業者であるジャック・ドーシー氏も言及している。
※スードニムは、偽名や仮名、ペンネーム等のこと。
匿名とは発言者を守る強力な"盾"なのだ。
それゆえに弱者程そのメリットを享受できる。
裏を返せば、匿名を批判する者は、弱者の権利やマイノリティの置かれている立場を理解していない愚者なのである。
実名の要求は弱者に対する弾圧である
「実名を出せ」というのは、何らかの理由で実名を公開するリスクやデメリットが大きい人(≒マイノリティ)の言論の機会を損ねる意見だ。
つまり、一般人ならいざ知らず、政治家が匿名を否定するのは、間接的な表現規制であり、言論の自由に対する弾圧である。
すなわち、蓮舫氏による今回のツイートは、単なる意見ではない。
参議院議員である氏が、中国共産党やナチス、はたまたビッグ・ブラザーといった、"弾圧者"へと一歩前進したことを意味しているのである。
「Twitterのコミュニティノート1つにそんな大げさな…」と思うかもしれないが、"たかがコミュニティノート、されどコミュニティノート"なのである。
手遅れになってからでは遅いのだ。「彼らがコミュニティノートに実名を求めた時、私は声をあげなかった。」という事だ。
筆者の感想
蓮舫氏であれば、力ある政治家やメディアに対し、市井の弱者やマイノリティが実名で声を上げる危険性や負担を理解していると思っていたが、裏切られた気分だ(まぁ元からそんなに期待してないけど)。
英国の歴史家であるジョン・アクトン氏の言葉に「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する。」というものがあるが、蓮舫氏も政治家として権力を振るううちに、弱者やマイノリティの置かれている状況を忘れてしまったのかもしれない。
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