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食欲不振以上、摂食障害未満。

みなさんは食べるのは好きですか?
食べたら気持ち悪くなったり、ふと食べられなくなったりしませんか?

あなたがもし、「食べる」という行為に対して何不自由なくできるとしたら、実はそれは、とても幸せなことです。

先にお伝えしておくと、私は摂食障害ではありません。でも、食べられなかった。極度の小食と言えば一番わかりやすいかもしれません。病気未満だから病院にも行けない。でも決して健康的ではない…。どうしたら改善されるのか分からないまま悩みながら7年弱が経ちました。

今回は、”食べることのできない”ことを、同じように悩んでいる人へ向けて。私のこれまでの症状と、その原因、少しだけですが改善のヒントをご紹介します。

【ストレスで食べない、それだけだった】
ストレスを感じるとき、つい甘いものやお肉などを食べ過ぎてしまいませんか?そして帰り道に後悔し、体重計にのって後悔。太ってさらにストレス…。これは無駄だなと感じたのをきっかけに、ただ、ストレスで反応としての「食欲増進」を「食欲減退」という体質に変化させたのが始まりだったかもしれません。

【仕事での自己評価の悪化】
新しく配属された部署で「お前は一番できない」と毎日全員の前でさらされる日々が始まりました。その時期に、私は誰よりも劣っていてダメな人間なんだと刷りこまれた気がします。毎日泣いて泣いて泣いて、泣きすぎて会社に戻れないくらい、つらかった記憶しかありません。
その後、社内でどんなに表彰をされても、結果が出ても、今度は結果を落としてはいけない、という脅迫観念に襲われ続けました。「私は誰よりも劣っていてできない人間なのだ」という刷り込みは呪いのように、一度下がった自己評価は下がったまま。どんどん食は細っていきました。結果を出さない自分は価値がない…。食べない日々が続きます。価値がないんだから食べてはいけない。食べる時間があるなら働かなければいけない。点滴をしながら働きます。食べない、はたらく、やせる、はたらく、食べない…。

そして、数年経ったある日、動けなくなりました。

【一食は子供用のお茶碗1/3のご飯】
動けない身体はもう言うことを聞かず。休職に入ることに。休職中は、さらに食べられませんでした。
みんなが当たり前にできる「働く」ということができないなんて、なんてだめな人間なんだろう。毎日毎日、なぜできないんだ、と自分を責め続けました。そんな中で食べる…子供用のお茶碗1/3のご飯を。おかずも箸をつけず。それで満腹。食べている。だから私はおかしくない。ただ、人より少ししか食べられないだけ。

【人前で食べれない】
時期を同じくして、人前で食べられなくなりました。なぜなら大量に残すからです。外食の一人前は私の1日の食事より多かった…。
食べられない自分が恥ずかしいし、食べ物にも申し訳ないし、食べるのにすごく時間がかかる。すぐお腹がいっぱいになるので、そこからは大食い選手権並みの自分とのサドンデス。
一緒にいる人にも悪いし気まずいし、吐きそうになりながら食べる。辛い。それを何回も繰り返し、もう誰かとご飯を食べるのはやめよう、こんな苦行はない、と感じるようになりました。

【原因は「自分を許せなかった」こと】
私は結果が出せなくても、違う部分で人としての価値を認めてほしかったのだと思います。結果を出して褒められることは、結果を出さなければダメ人間だという烙印を押されることと等しい。(と感じる私のような人もいる。)
ダメな自分をダメだと開き直る、こんな自分でもいいのだ、と「自分を許す」というのはとても難しいことです。
自分が許せなかった。価値がないと、食事を与える価値がないと。食べないこと、それはまるで自傷行為に近いのかもしれません。食べられないくらいツライの、許せないの、誰か、痩せた身体が叫ぶ心の声に気づいて、と。

【人との出会いで回復へ】
人がかけた呪いは人でしか解けないのかもしれません。
「あなたはそのままでいい、食べれなくても大丈夫」と、否定せずにいてくれる人と出会えたことで、食に対して前向きになっていきました。こんな私でも、まるごと認めて、受け止めてくれる人がいた、と知って初めて「健康になりたい」と思いました。

だから、今、食べることができる。

美味しいものを、一人前食べられる幸せ。この七年失っていた幸せを、今、まさに噛み締めています。

もし、同じように食べられない人がいたら伝えたい。

そのままのあなたでいい。完璧な人なんていない。今、思っている欠点は、実はあなたの強みにもなる。だからそのままでいい。

でも、こう言ってくれる人と新たに出会わなければ症状が回復しないのかというと、そうではないんじゃないかと。自分で気づけていないだけで、本当はそのままの自分を好きでいてくれる家族や友人はすでに近くにいるのかもしれません。そして、自分自身が自分の一番の応援者であればいいのかもしれません。だから、何度も自分でも唱える、「そのままでいいのだ」。

そしてもし、まだしばらく食べられなければそれでいいです。
ふと気づいたんです。「好きなものを好きなときに好きなだけ食べる。」これって幸せなことだと。だから、朝食とか昼食とか夜食とか気にしないで、食べたいときに食べるところから始めてみてください。すごく贅沢です。

だから、いいんです、食べられるものを食べたら。少ししか食べられないからこそ、大好きなものでおなかを満たせばいいんです。

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最近出会った映画は私にこの誰にも言えない悩みを書く勇気をくれました。

belle and sebastian のスチュアート・マードックが監督した、god help the girl という映画。描いたのは拒食症ヒロイン。主人公イブは自分のことを歌にします。”気づいたら食べなくなった。”と。そして、お医者さんに“自分自身を許してあげるのよ”と言われた、と。

彼女がつくり、歌う詩は、食べられない私が迷い込んだ世界ととてもリンクしていて。"なんでわかる人がいるんだろう"と涙があふれました。優しいメロディにのせて、淡々と事実だけが脚色されずに歌われます。

とてもいい映画だったので、もしよければ見てください。
私は映画の関係者でもなんでもないですが(笑)

写真:カズキヒロ

ヘタレな自分や自分みたいな誰かをそっと応援する日記みたいなものです。