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学歴と「美」が結びつくカップルは・・・歪んだ家族になりやすいのでは!?名門校・・・出てればそれで良いのかな!?

 凄い勢いで、拙noteのアクセスが増えている。

 私の書いたものを読んでくれている奇特(©️ジャンプ放送局)な方の中には、ICUで、20年以上前に、とてもつまらないミュージカルや演劇など(関係者、So sorry!)の主役などを一生懸命イキイキと演じていた男性たちを、ダサいとか背が低いとか歌が下手だったなどと言っていることに、とても失礼だとお思いの方もおられよう。Oh, well….Sorry!

 卒業して20年も経っているのに、ICUキャンパスに無数にいた、女性は可愛いのに男性は全然魅力的じゃない、不均衡なカップルをディスるより、もっと人生には、大切なことがあるとお思いの方もおられよう。

しかし私は声を大にして言いたい。

 女性は、幼少期から、「いい気になるな、自分のことを可愛いと思っているのかコイツは!?この程度で!?」というようなメッセージを、直接的にも、間接的にも、メディアからも、とにかくずっと浴びてくるのである。学生時代だけではない。社会に出てからも無数にある。顔立ちだけの問題ではない。顔が可愛ければ「可愛いだけ」と思われたり(私も思ってしまったりする)頑張って意見を言ったりすれば「扱いづらい」と思われて嫌われたりするし、重用されれば、「上司からのエコひいき」と言われたり。上司が高学歴で、学歴による登用があまりにもリアルだったりすると「学歴のおかげだが仕事ができない」と思われたり。一瞬働いて、すぐに幸せな家庭に嫁いだとか、一部の超絶ホワイト企業や専門職の機関などに勤めて、嫌な思いなど全然ないよ!というような方は、また話は違うのだろうが、どの方向に転んでも、みんなどこかで、何かしら、女性であるために傷つけられているのではないかと思う。

 可愛ければ、幸せかというと、気持ちの悪い男性から恋愛感情を一方的に持たれたり、既婚者からアプローチを受けたり(私の周囲の高校や大学の友人の女性の不倫経験率は、なんと、90パーセントである!!!※ねすぎの周囲の女性調べ)女性から嫉妬されたり。全盛期の広末涼子のように、微笑んでデッキブラシを持ち上げたりしながら、キャンドルジュンと出会わずにまっすぐブラシを抱えて生きていけるような人もごく僅かにいるかも知れないが、人生の何処かで大抵とても嫌な思いをしている。
 
 それは男性があらゆる物事を決める側にいて、彼らの「好み」や「好き嫌い」で、時には持ち上げられ、幻想を抱かれ、嫌悪の対象になったり、好かれたかと思えば急に嫌われたりするから、自由に生きられないのである。

 そういった出来事から完全に無縁の女性というのは、人生において、ほぼ、いないのではないか?とすら、思う。

 しかし、男性の場合はそう言った厳しい評価を受けることは、まず、ないのである。特に、中高一貫名門高卒→高偏差値大学→有名企業に内定、というようなルートを辿ったりすると、少なくとも22歳くらいまで割と鼻高々のまま生きており、そのステータスを目当てにした猛禽女子(※99%以上の確率で大学は別の大学の女性である!もっと女子力が高い!高学歴な彼らを、「持ち上げない」「対等な」女性とは、大企業に入社した男性は結婚しないノダ!)に目をつけられ、結婚し、えらく高いマンションのローンを組み、激務をこなし、お小遣い制で、ある時期から、奥様がとても怖くなり、場合によっては仮面夫婦で、プライドが高い上に会話のほとんどが自慢話だから、友達もいなくなり、同窓会やOB向けの会合や年下の人が多い場などのみだけでウェイウェイ言わせ、髪が減り、時には太り、激務ゆえに早死にし、そして燃やされ、墓に入る(例外はある)。

そのプライドは、墓に入るまで、恐らくずっと高いままだ。

それになんの問題があるのだろう?とお思いの方も多いことだろう。

しかし、プライドの異様に高い男性と結婚した、美しい女性は、大抵、非常に傷つけられている。彼らは、家事はやってくれない。子育てに関わる暇もない。毎日残業ばかりで、家にも帰ってこない。場合によっては不倫もしている。彼らは、生涯にわたりモテるからだ。
(幸せな家庭ももちろんあるので全員とは言わない。例外はある!)

その環境に傷つけられたかつて美しかった女性たちは、その空虚さを埋めるため、子育てに異様な情熱を燃やす。

そして母の狂気と父親の不在によって、生涯に渡り、苦しめられる子供が生まれるのだ。

それは私だった。

今でこそ好好爺になりきった父だが、高学歴な父は、女子大卒の母をいつも見下していた。自らを美しいと誇る、高学歴な父と結婚した母は、対等に扱ってもらえない苦しみから、外見的な魅力がない女性として生まれた私のことをひたすらにディスり、美しい兄に異様な愛情を向けた。

そして兄も私も、生涯に渡り癒えにくい傷を負い、兄は勉強が得意だが美しくなく可愛げのない妹である私(のような女性)を憎み、私は、顔だけが美しいが中身が空っぽな、イキった兄及び兄に似た男性、女性を生涯に渡り憎むこととなった。

私は、人間関係の構築にいつも問題を抱え、職場でも、サークルでも、立場が厳しい状態になった。身近な人を傷つけてしまった。

家族はバラバラになった。

私は兄の連絡先を知らない。

どうしてこんなことになってしまったんだろう、と今は思う。兄と一緒に映画を見ていた小学生の頃は、楽しかった。少年ジャンプを一緒に読んでいたこともあった。「グーニーズ」が、兄のお気に入りの映画だった。兄を崇拝していた。兄に認めてもらいたかった。美しい兄に憧れを抱いていた。そんな時期が、私にもあったのだ。

兄が、本来の学力のレベルよりも高い、地元で一番頭のいいとされる学校を親のエゴから無理やり受験させられ、その受験に失敗し、望まない私立の男子校に入ってしまってから、兄はものすごく強烈に意地悪になり、ルッキズムの思考もますます強くなり、そして私に対しても悪魔のような目を向けるようになった。そのことはずっと気づいていなかったが、第一人者のカウンリングを受ける中で、ようやく気づけたのだった。

両親が、兄に、学力に合う高校を受けることを認めていたら、あそこまで意地悪になっていなかったのではないか、と思う。

出身校だけで自らを誇り、全くかっこよくないのにミュージカルの主役をできる中高一貫有名男子校出身の彼らを私は心の底から、羨ましく思った。のびのびと自分の好きなことをできる、社会の残酷な眼差しから、無縁の男性たちに衝撃を受けた。

本人たちが楽しいのであれば、それは幸せなのではないか?

彼らを笑う私は、誰かに無数に笑われたことを今も鮮明に覚えている。だから彼らを笑いたくなる。身の程を知れと。ダサいのに主役などやるなと。私自身が笑われてきたと思っているから、彼らを、笑いたくなってしまうのだ。

社会とのずれに気づかず、プライドが高いままに、生きて行く人たちのことを今は笑えない。彼は彼らなりに幸せだからそれでいいのだ、とも、私は思えない。

日本は個人主義の国ではないからだ。

「思い上がるな」と常に言われるのだ。歪んだ家族に育てられ、歪んだ組織で働く、つまらないメディアの情報を無垢に信じて、傷つけられた無数の人々に、ずっと思い上がるなと言われ続ける。ダメ出しをされ続ける。

自分が楽しければいい、歌が好きなら歌えばいいじゃない!?と言えるほど、日本の社会は優しくない。むしろ、とてつもなく、意地悪なのだった。

だからあの、大学生の時期は、自分にとっても、とても大切だったのだと思う。運動が得意じゃなくても、背が低くても、ダサくても、「主役」ができた彼らは幸せだ。そんな世界は、ICUにしか、なかったのだから。

ダサい私のことを肯定してくれて、小馬鹿にしないでくれる、周りが優しい人ばかりで、意地悪なおっさんたちに支配されていなかった場所は、人生の中で、たった数年しかなかったのだ。

だから、あの時代を、今でも忘れられないのだった。そういう時代があったことに、今は感謝している。
ICUの中で、演劇やミュージカルに青春を捧げていた人たち、ありがとう。時々、ものすごくつまらない作品もあって、目が点になったけど(関係者、Sooooo Sorry!!!)、中にはとても面白いものもありました。

あの頃、演劇やミュージカルに出ている男性のことを、寮でひたすらけなしていた時代は、本当に幸せでした。みんな、ありがとう。

以上です。

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