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母親になっても 母性は溢れ出ぬ!〜母親に なっても別に強くならない!?元の特徴 強まるけれど〜

 さて、あまり女性誌などで書かれることのないであろうことばかり書いている拙note、よく言われる「母は強し」「母は偉大」というような謎の伝説に対して、自分が母親になってみて感じたことを書きたい。

 母親になると、母性が溢れ出て、これまで母親っぽくなかった人も、穏やかになったり、母親らしくなる、というイメージのようなものは、まことしやかにささやかれている。母親になれば、飲んだくれていた人も物理的にお酒が飲めなくなるので、お酒を飲まなくなったりする。子供を産む前の生活習慣も改められ、リセットされ、全てがガラリと変わる、というようなことも言われる。確かにそういう人もいる。妊娠して出産したら、悪いものが全て体から出て、体質が劇的に変わったとか、タフになった、というようなことを言っている人もいた。

 確かに、母親、になった直後、脳内には明らかにこれまでと違う脳内物質のようなものが出ている感覚があった。実際に覚えているのが、J-POPの曲などをドラッグストアなどで聞いた際、「君のために…」「君が…」というような歌詞が出てくると、全てが息子のことに思える、という状況が確かにあった。

 どうかしている。

 テレビ番組で、若い男性が出てくると、あらゆるイケメン俳優などにも母親がいるのだ、ということに意識が及ぶようになった。この俳優も、芸人さんも、皆、誰かの息子なのだ。陣痛に苦しみながら(絶対無痛分娩がいいと思うよ!高いし日本では一般的じゃないけど!)産んだ母親によって、産まれたのだ、と思うようになった。そして異様にテンションが上がったり、下がったり、というような時期が確かにあった。さらに、田房永子さんも著書の中で書いていたのだが、ちょっとセクシーな女優さんとか、子役が異様に頑張っている様子などが、耐え難い、と思うようになった。みんな誰かの子供なのだ。こんなことを子供にさせている、母親、父親は、一体どう思っているんだろう。

 これまで何も考えず気楽にみていたバラエティ番組や、いじられ役が常にいる番組を見ているのがとてつもなく、辛くなった。ここでブサイク!とか使えない!とか言われてアップにされている芸人さんたちにも、全員、母親がいるのだ。とてつもない長時間、陣痛に耐えた母親が。子供の一挙一動を心配して、この先どうなっていくのだろうか、保育園で意地悪な子どもに攻撃をされているのではないか、と心配している(私は心配していた)母親が、いるのだ。

 電車の中で猛然と鼻くそを掘り出すオッサンにも、立場を利用して弱い人には居丈高な態度をとってくる人にも、やたらに誰かを見下したり、下ネタを連発するどうしようもなく厄介なオッサンにも、若手をいじめるお局さんにも…全ての人に母親がいるのだ。いろんな事情があるにせよ、誰かが絶対に産んでいるのだ。

 自分は母親になって強くなった、という感覚はない。責任感も別に増していない。もちろん生活は激変した。ただし、自分が元々持っている特徴が肥大した、という感覚がある。

 自分は先のことをやたらに想像しては悲観的になる。その特徴が肥大した。自分がこれまで悩んでいたことを、さらにクヨクヨ悩むようになった。過去の自分の辛かった記憶が、生々しく蘇ってきた。子供の存在が、自分の過去を呼び起こすのだ。

 強くもならなかった。母性が溢れていた時期は一瞬だった。むしろ、体力は落ちたし、トイレはさらに近くなった。元々そうだったのだが、人の目を異様に気にするようになってしまった。自分は母親としての役割を十分に担えていない。夫に子育て全般を任せているその状況を、誰かに責められるのではないか、という思いが、とてつもなく強くなった。

 母親になった友人が、怖くなった。母親になった友人に、自分の至らない育児を責められるのが辛い。責められる前から辛い。だから誰とも会いたくなくなった。

 子供が2人以上いる人と会うのも辛い。自分は1人っ子の母親だからだ。兄弟がいないと、やっぱり人格に問題が出るよね、偏った子育てになるよね、というようなことを言われるような気がして、恐ろしくなり、2人以上子育てをしている人とは、会いたくなくなった。

 女の子を育てている友人が、おとなしい娘さんに対して、「何を考えているのかわからない」と悩んでいた。明るくて、元気な子供ではないと、大人が可愛がってくれない。そのことに悩んでいた自分を思い出した。

 男の子を育てている友人が、息子のことを溺愛している様子も辛くなる。それは母が兄に向けていた眼差しを思い起こさせるからだ。母が私を見る目と兄を見る目はまるで違った。その目つきには狂気が宿っていた。

 私は、母親が苦手なので、母親になった友人も、母親という役割を異様に頑張っている人たちも、母親という役割に疲弊している人たちも、とても苦手なのだった。母となった人たちが、狭い視野の中、子供のことを褒めたり、けなしたりする様子、夫のことを責める発言、手作りごはん至上主義の意識を強靭に持っている母親が、出来合いの総菜などに頼る母親を責めるときの悪魔のような目つきなどを目にすると、とても辛いのだ。その言動が、自分の子供時代、母親の一挙一動に怯えていた自分を、呼び起こしてしまうのだ。

 これはAC(アダルトチルドレン)あるある、なのだと、後になって知ったのだが、母親は、子供に日常の愚痴を吐き出すという関係を気軽に行う傾向があり、それを聞くことが子供の役割、になってしまう。私は、母親からの父親への文句を日常的に聞かされてきたので、父親に対する尊敬の念のようなものは、長いことほとんどなかった。今にして思い返してみると、私は外見も内面も、好きなものも、父親にそっくりだったのだが、母親は私を自分の一部のように、父親との接触を切り離すかのような態度をよくとっていた。愛する故郷を離れて、狭い団地の部屋でずっと過ごしていた母は、恐らく、とてつもなく孤独で、子供のことを同じ「派閥」に入れて、家族内ヒエラルキーにおいて、母親を頂点としたグループのようなものを作っていたのかもしれない、とも思うようになった。私は父親が苦手だとずっと思っていたけれど、実は母親の感情を読み取って合わせていかなければと思ってそうしていたのかもしれない。派閥の中で力を持っている人に好かれないと、とても苦労することは、40を過ぎてもまだ日常的に感じることがあるので、母親側に立つことで居場所を必死に作っていたのではないか。そのように母親に仕向けられていたのではないか。

 母親に対していろいろな不満は持っているけれど、やはり自分の人生のほとんどの話し相手は、ずっと母親なのだった。お笑い好きになったのも、英語を勉強したのも、東京の大学に進学したのも、母の影響なのだ。その結果育まれたものも、良い思い出もあったために、傷つけられたことを、認めにくいのだ。

 これも、田房永子さんが著書で指摘していたが、なぜか私は母親に自分の周囲の友人のエピソードや、自分に起きた出来事をひたすら話してしまう、という癖がある。そうすると母親が喜ぶからだ。そういった関係性が強く作られてきていた。母親が日々悩んでいることや、人間関係の愚痴などを、ずっと聞かされ続けて生きてきた。母親が傷ついた話を聞くと、自分のことのように思ってしまっていた。自分の感情と、母親の感情に、境界がなかったのだ。

 ただし、変わらなければと思った。このまま、母親と同じように振る舞い、息子に自分が味わった苦しみを味わわせてはいけないのだと、強く思うようになった。

 一度、第一人者の先生とのカウンセリングで、「いろいろと辛かった思いはあるけれど、そうは言っても親からは良い影響も受けているような気もする。良かったことだけ、考えるようにすればよいのかもしれない」と半笑いで話したところ、先生は、こう言った。

「いや、なかったことにしてはいけません。それだとまた繰り返されてしまいますよ。同じことを、してしまいます。」

私は、はっとした。良かったことだけ考えて、良くないことはなかったことにしていたのは、私の両親だった。なかったことにしてしまう。その態度に、ずっと苦しめられてきたのに、自分も、そうなりそうだったのだ。私にとっての世界はある時期まで、母親だった。母親を楽しませようと、母親の言う言葉がすべてだと、そう信じてきた。信じているときは楽しかったのだ。

 妄信してきたその世界が、ゆがんだものであったこと、母親に、兄に、父親に、傷つけられてきたことを認めることは、とても辛かった。思い出して話すたびに、涙が溢れて止まらなかった。

なかったことにしたくなった。

 世界最高の技術力を持つと自負する島国が、世界最悪の事故を起こしたことをなかったことにしたように。私も、家族に傷つけられたことを、なかったことにしたかった。何の影響もないと言いたかった。ほら、私はこんなに恵まれていて、幸せなのです。それは母親のおかげなのです。

 すべては”アンダー・コントロール”だと言いたかった。人体に悪影響が出るなんて。土壌が汚染されて人が住めなくなるなんて。人々の生活の基盤が脅かされるなんて。そんなはずはありません。

 先生の言葉はとても強かった。目も鋭かった。私ははっとした。

 息子に同じような思いをさせてはいけない。そのためにカウンセリングを受けてきたし、今もずっと受けている。リセットは、全くされないのだった。

 母親になっても、母性は溢れ出ないし、強くもならない。母親となった私は、過去の自分の延長上で母親になっている。よくわからないところで繊細なのに、なぜだか異様に鈍感な部分もあり、人目を全然気にしないところと、人目を気にし過ぎてしまう厄介な特徴が同居している、そんな、母親に酷似した自分は、今もそのままである。

(2023.1.14 加筆修正しました!)

 

 

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