見出し画像

現代文の授業が「すべらない話」に変わってしまった話

若い人に勉強を教えていると、予想もしないようなことが起きます。

勉強したくない人、多いですからね。
なんとか回避したいと、いろんなことを考える人がいるのです。
その気力を目の前の問題に向けてほしいのですが……。

ある時のこと。あまりにも相手のやる気がなくなっていたので、「くつろぎ過ぎだろ」と、私は注意を促しました。すると、

「先生、おもしろい話、して」
「え?」
「おもしろい話」
(「すべらない話」か!)と、芸人にされた私は心の中でつっこみます。

「おもしろかったら、ちゃんと解くから」
ということは、話がすべって、今回の授業の読解演習がはかどらなかったら……私のせい? なんだか理不尽です。

「ね~、おもしろい話ぃ」
相手がサイコロをふった松本さんみたいにけしかけてきます。

私は、この後……5秒で、この無茶振りを切り抜けたのでした。

そのやりとり……

「じゃあ、おもしろい話、するよ。じつは……」
「うん」
「私は……」
「うん」
「バツ2だ」
「!!」

かなり笑われました。
「え? バツ……2? うそ……ってか、え?」
また吹き出しています。
「さ、うけたんだから、問四を解いてみよう」
「え~、ちょっと待って。……先生……」
「何?」
「結婚できて、よかったね」
「あ……ありがとう」

その後、読解演習に戻ろうとしたのですが、
「なんで別れたの?」
「いいから……」ってな感じで、ほとんど進められませんでした。

それにしても、

「結婚できて、よかったね」

若い時の自分ならグサッ!だったでしょうが、人生の秋を迎えていた、この時の私は、余計なプライドが落ち葉になった後でしたから。
「若い人の、こういう正直さって、いいな」と、妙に感心したのでした。
(ちなみに私は結婚が無条件にいいこととは思っていません)

自分を客観的に見させてくれる言葉って、意外と得難いもの。特に歳を重ねてしまうと、まわりが良くも悪くも気を遣ってくれますしね。私の目標の一つは「いてもいいじいさん」になること。みずからを第三者の目で見る! それを忘れないようにしたいです。

話を戻しますが、
若い人には、私が結婚するようなタイプには見えなかったのでしょう。それは、正しい。ほかの知り合いたちも、何かの弾みで私がバツ2だと知ると、相当意外そうなリアクションをとってくれますから。

この時の授業は捗りませんでしたが、若い人が「人は見かけによらぬもの」を学べたとしたら、意義はありましたよね。

その辺でふつうに見かける草。
肉厚の葉のようですが、これでも花の穂です。見出し画像のように、間近で眺めると、意外とおもむきがあります。そして、こんなに地味な草なのに、名前は「小判草」。

世の中には、小さな「意外」があふれています。


この記事が参加している募集

国語がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?