星の王子さま4「天文学者(年をとったこども)」

ここでは、人間が発見した星々について「僕」の考えが語られる。

天文学者が発見した星は‘番号’がつけられる。おとなの大好きな‘番号’である。そして、「王子さま」が住んでいた星、「小惑星B612」についても発見された当時の話がある。

「小惑星B612」は一度トルコの天文学者によって発見されたが、その時は天文学者の服装が原因で、誰もその発表を信じなかった。ヨレヨレの服を着た天文学者の挿絵がある。
その十数年後、もう一度発表する機会があり、洗練されたスーツで発表をしたら、おとな達は信じた、という話である。

ここでもおとな達の想像力の喪失について、「僕」は嘆いている。そしてこのように言っている。

でも、僕らはもちろん、生きるというのがどういうことか分かっているから、番号なんてかまわない!僕はこの物語を、ほんとうはおとぎ話のように始めたかったのだ。

そして、この本を軽々しく読まれたくないと述べている。この話に出てくる「僕」の友達(=王子さま)は六年前に羊とともに去ってしまい、「僕」は彼を忘れないために筆をとった。そして絵の具箱と色鉛筆を買った。彼の話を書き、彼の姿を描こうとした。6歳の頃、おとなたちにいわれて諦めた夢をやり直そうとしたものの、決して上手くはいかない。

王子さまは「僕」を、自分と同じだと思い、様々な話をしたが、「僕」はもうおとなになっており、ボアの中の象や、箱の中の羊を「見る」ことは出来なくなっていた。かつて想像力が豊かだったこどもは、いつの間にか年をとっていたのである。

おとなたちは、数字でしかものを判断しないと「僕」は主張している。星の存在も、新しい友達のことも、番号や数字がないと納得がいかない。おとなになるにつれ、数字は重要に感じられるようになっていく。なぜならば、数字は誰が見ても同じであるから。仕事を始めとし、生きていくには「間違いのないこと」が大切であるから。

1で述べたことの繰り返しになるが、「想像」には2つある。

①空想・妄想の類い
②相手について考える

この章では②について、既に大人になってしまった「僕」の観点から語られている。

「10万円する花束が欲しい」と「薔薇の花束がほしい」

前者の方が用意する分には容易い。10万円を出せばそれで済むのだから。一方で、後者の場合、頭を悩ませるだろう。

花の本数は―――
花の色は―――
花の大きさは―――

君の好きな色は―――
君の部屋に飾るなら―――
君の好きなデザインは―――

数字で物事を測るということは、具体的で誰にも分かりやすく、共通の認識ができる一方で、相手の気持ちや思惑を推量する余地が失われやすい。いつのまにか、数字で物事を決めつけてしまってはいないだろうか。

こどもの要領を得ない話を、喜んで聴くおとなは少ないだろう。

「今日は何ページ勉強したの?」
「何回縄跳びを飛べるようになったの?」

10ページより20ページ、30回より40回、出来るようになった子は誉めそやされるだろう。しかし、その後はひたすら数字を並べていくだけである。それになんの意味があるのだろうか。

数字は大切である。認識の違いがあったら困るからだ。しかし、たまには数字以外の話もしてみよう。相手がどんなものを見て、どんな風に感じたのか、同じものを「見る」ことが出来なかったとしても、相手の話を聞きながら、想像してみることで、数字ではなく、相手の感じたことや想いを軸にした、血の通っている対話になるのだから。

つづく

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