見出し画像

雑記:忘却に抗うために書け

こちらの記事に寄せて。


noteであれブログであれ、自分の思ったことを一通りの文章にまとめるというのは大変だ。とりわけ、筆が遅い俺などは毎度苦労している。アイデアをまとめてから実際に書き始めるのも遅ければ、書いた後に細かい文法や語順を直したりするのですごく時間がかかる。その時間があれば他になにができただろう?……考えるだけで恐ろしい。あなたがいま寝ぼけながら半分読み飛ばしているこの文章とて、俺にとっては鼻からスイカを出すくらいの力でなんとかかんとかヒリ出しているものなのだ。

読まれることもあれば、読まれないこともある。イイネがたくさんつくこともあれば、つかないこともある。気合を入れて書いたのに全然読まれないし反応も薄いとなれば、心が乾く。

しかしそれでも、書いて記録するという行為を諦めてはいけない。

ツナ缶さんは「記憶のセーブデータ化」といったが、その通りだ。さらに大げさにいえば、書くことはレジスタンスだ。忘却と再録と再演を繰り返すこの世界に抗うため、自分自身の過去をアーカイブする手段なのだ。

いまのインターネット(とそこに住まう我々)はあまりにも忘れっぽい。これは、同じトピックが10年前から変わらず擦られていることからも一目瞭然だ。ジェンダー、政治、サブカルチャー。すでに決着がついたはずの話題に誰かが遊び半分で火をつけて、誰かの悪ふざけで延焼する。そこへ小銭に目がくらんだアホがbotを走らせて閲覧数を稼ぐ。誰かが苦言を呈する。別の誰かがその苦言に苦言を呈する。数日も経てば飽きられ、捨てられ、忘れられる。そしてほとぼりが冷めたころにふたたび持ち出され、ひとしきり馬鹿にされたらまた放り出される。まるで子供の玩具のように。

SNSとは、ウロボロス構造になった糞の再生産工場だ。誰かがヒリ出した糞を他の誰かが咀嚼して、また別の糞にして排泄する。文脈はドロドロに溶かされて見えなくなり、解釈と党派性は未消化のまま残り、得体のしれない汚物だけが積みあがる。より客観的な調査と数字に基づいた理性的な真実はたやすく無視される。つまらないからだ。

ロボットアニメが流行らなくなった理由はなぜ?格ゲーが衰退したのはなぜ?男女の賃金に差があるのはなぜ?地方の人間は陰湿で東京の人間は冷淡?どこかで聞き覚えのある会話を、我々はあと何度繰り返すのだろう?

人間らしいといえば人間らしいが、このループはあまりにも虚しく、知性からかけ離れている。

『デビルサマナーソウルハッカーズ』より

Twitterを始めとするタイムライン形式のSNSは、時系列タイムラインという言葉とは裏腹に、過去の記録に基づいた議論には非常に不向きだ。文字数には制限があるし、正しい引用を辿るのも容易ではない。アルゴリズムは真実ではなく耳目を集めることに特化しているため、議論を円滑にするどころか余計なノイズを増やそうとさえする。頼みの綱の検索機能すら、いつしかまともに機能しなくなった。

現代のインターネットは、すべてを忘れさせるようにできている。残るのは白昼夢のような短期記憶だけ。過去の積み重ねも未来への展望もなくなり、瞬間的な現在しか見えなくなる。我々が眺めるタイムラインは、ある意味で実に理想的なビッグブラザーとして機能している。

ここで本当にまずいのは、「自分自身の過去すら忘れてしまう」ことだ。

『メタルギアソリッド2』より

たとえばあなたが、あるゲームを遊んだとする。あなたはそのゲームに没頭し、心ゆくまで楽しんだ。文句なしの神ゲーだと思った。心地よい満足感と共にタイムラインを一瞥してみたら、あるユーザーがそのゲームをクソミソに貶していた。バランスが悪い、仕様が不親切、粗悪なパクリ、その他諸々。悪意で駆動するインターネットはこのユーザーの投稿を拡散し、同意する意見も多く寄せられた。

あなたは一通り読み、「たしかにそうかもな」と思った。思い込んだ・・・・・。こんなに多くの人がそう言っているのなら、そうなのだろう、と。そうして2週間ほど経ってからふたたびこのゲームの話題になったとき、あなたはタイムラインの有象無象と一緒になって、このゲームを叩いていた。

まるで、面白いと感じた自分は最初から存在していなかったかのように。

インターネットに長くいると、自分自身を保つのは難しくなっていく。自分の意見をネットの風向きに合わせようという無意識が働く。誰かの言葉をコピーペーストし、出どころもわからないミームを擦っていたくなる。そのほうがきっと楽だから。

これは、記録を残しておけば避けられた問題だ。そのゲームが客観的に見て面白いかどうかはともかく、「あなたがそのゲームを楽しんだ」というその事実だけは誰にも変えられない。SNSの流れにも、インフルエンサーの意見にも、メタスコアにも影響されない。だからこそ残しておくべきだ。あなたがなにを楽しみ、なにを好み、なにを嫌い、なにを拒んだのか。それを書き留めておくことは、忘却と憎悪に抗い、自分自身をケアすることでもある。

文章が上手いとか下手とかは関係ない。閲覧数もイイネの数も関係ない。なにもかも忘れ去ろうとするインターネットから、あなたは自分自身を守らねばならない。戦わねばならない。今の自分が拠って立つ過去の自分を残さなければならない。

そのために、書いてゆこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?