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【エッセイ】川を渡るときつい口ずさんでしまう曲

 歌い出しにインパクトがある。スピッツの曲を聴いていて思ったことだ。

 歌い出しは小説やエッセイの書き出しに相当するもの。なので、聴き手を引き付けるため、人の気を引くもの、物語の世界へ引きずり込むものでなければいけない。

 スピッツの曲で特に歌い出しがいいなと思った曲は、『水色の街』という曲だ。

 その出だしは、

川を渡る 君が住む街へ(スピッツ「水色の街」)

 というもの。歌詞を聞いただけでも、すぐ脳裏に景色を浮かび上げることができる。爽やかなアコースティックギターの前奏もあるせいか、なおさらイメージしやすい。

『水色の街』の歌詞については、自殺の歌ではないかと言われている。なんでも、出だしの川が「三途の川」を表しているのだとか。

 また、歌い出しから、

会いたくて今すぐ 間違えたステップで
水色のあの街へ(スピッツ「水色の街」)

 と続いている。「間違えたステップ」が飛び込み自殺、そして君が住む「水色の街」があの世の暗喩らしい。真偽のほどは定かではないが。


 サイクリング中、川を渡ったり、川の側にいるとつい『水色の街』を口ずさんでしまう。口ずさむことはなくても、脳内で再生される。

 荒川を渡って埼玉へ行くとき、自転車で多摩川を渡って川崎へ行ったとき、江戸川沿いを歩いているとき。必ず小さな声で口ずさむか脳内再生してしまう。ちなみに石神井川や神田川の辺りを走っていたときは、不思議なことに、こうしたことはなかった。川幅や流域が広いか狭いかも関係していそうだ。

 川沿いの景色が開放的なことや、自転車に乗っている日が晴れている日に多いのもある。だが、最近では、『水色の街』の歌い出し影響もあるのではないか? 川には特別な思い入れがあるからではないか? と思えてくるようになった。

『水色の街』は他のスピッツの曲と違って、日常的な動作が出だしとなっている。

 対して、他のスピッツの曲の出だしはというと、心情描写が多い。例を挙げるなら『楓』や『夕焼け』、『冷たい頬』がそれに該当する。

 スピッツにも日常的な出だしの歌はいくつかある。だが、『水色の街』ほど、よくある出だしのシチュエーションの歌はない。なぜなら、川を渡るという行為自体、人によっては日常的に行っているからだ。君が住む街へ行くかどうかは別として。

 川には特別な思い入れがあるのではないか? ということについては、ないわけではない。むしろ人よりはあるかもしれない。

 自転車通学をしていたときはいつものように川を渡っていたし、今でも時々川を渡って埼玉へと行っている。それ以前に大きな川が地元にあるので、親しみを感じる部分が大きいのだろう。

 このように、自分の日常と結びつけて聴ける歌というものはいいものだ。無理に曲に気持ちを合わせる必要がない。

 良かったら読者の皆さんも、自分の日常の一部とマッチしている曲を探して聴いてみてはどうだろうか?

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