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天羽郁子『私が振られた話』を読んでみて

 普段私はnoteで歴史についての話やエッセイ、読書感想文を書いている。どれも拙いものだが、47や34もスキをくれたり、人によっては投げ銭もしてくれたりした。これに関しては感謝感激としか言いようがない。

 感謝の気持ちを込め、たまには人のnoteの感想でも書いてみようかな、と思い立った。


   ※


 最初に、天羽郁子の『私が振られた話』の感想を書いていきたい。


 語り手の私が、2020年の秋に一人の少年と出会った。

 私は少年の優しさに、また少年は私の想いに惹かれ合う。だが、どういうわけか少年は自殺してしまう。

 少年を失った悲しみに暮れていた私は、少年の妹と出会った。そして少年の面影を残した彼女を、大事にしようと心の奥底で誓う。時に笑い合い、時に喧嘩もしたが、周囲の人の助けもあり、何とか縁を取り持つ。

 だが、少年の妹は私には内緒で他の人を好きになっていた。

 あらすじをざっと説明すると、こんなところだろうか。

 個人的な感想としては、「自分語り」というより、立派な私小説のように感じられた。

 そう感じさせたのが、最後のこの一文。

1日も彼女のことを忘れたことはない。今日もまた、私は苦しみながら生き続けている。
天羽郁子『私が振られた話』

 苦悩や生きる苦しさ。そういったものを自分の中で突き詰めた人間でなければ、この結びの文は書けない。また、私小説の小説では、自分の苦悩を受け入れる決意の一文が結びになることが多い。まだnoteを始めて数ヵ月。それでもよく書けているなと私は思った。

 恋をした彼についても上手く描写できている。それを表しているのが、この文。

彼の何が魅力的だったか、それはだれにも負けない優しさとかわいさだったと思います。(天羽郁子『私が振られた話』)

 おそらく彼は、気遣いができて、どこか愛嬌のある人物だったのだろう。この文の次に続くエピソードからも、それを垣間見ることができる。

 心情描写もなかなか卓越している。無力な自分への後悔とかが、短いながらも胸を打つものがあった。

そんな彼女を私は助けられなくて、罪悪感とそういうことをする人たちに対する恨みで毎日死にたいと思っていました。(天羽郁子「私が振られた話」)

 特に胸を打ったのがこの文。

 彼女を守ってあげたいと思う。けれど、自分にはその強さがなくて、ただ恨むことしかできない。そんな自分への悔しさが、強く伝わってきた。

 常体と敬体が入り交じっているなど、細かい文章作法については言いたいことはたくさんある。けれども、それを打ち消すほどに内容や構成が良かった。

 無理のない範囲で書き続けてください。応援してます!


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