ほちゃ太郎

突き立てた中指にもう一本足して平和を願える様な日が来るまで。 1996年聖誕🌎

ほちゃ太郎

突き立てた中指にもう一本足して平和を願える様な日が来るまで。 1996年聖誕🌎

マガジン

  • 藍々のエッセイ&コラム

    藍々のエッセイやコラム、日記、随筆など、日々考えたことはこちら!

  • 藍々の短編小説

    ごきげんよう、藍々です。 すぐ完結のオリジナル短編小説や詩はこちらですよ。

最近の記事

  • 固定された記事

小説 時計仕掛けのパリピ

以下嘘である。 ふと、パリピを捕まえて拷問することにした。 彼らに罪はない。 だが誰しも、こう思ったことはないだろうか。 「パリピの虚無感ってのがあるなら見てみたい」 僕は時々思う。 彼らは隙を見せない。 彼らだって、朝家に帰って一人でベッドになだれ込んでから泥のように眠る前に、酔いが覚めるときがきっとある。 だがその時、彼らは一人。 次にパリピが人前に姿を現すとき、やはり彼らはパリピなのである。 いつかパリピを上がるその時まで、いや上がってからも本質的には、その

    • 小説 札幌駅前のチェーンのカフェにて

       ムツキは落胆していた。都会の薄給が原因ではなかった。  3年目の札幌で、彼女は11時からの派遣バイトの登録会まで時間を潰すため、チェーン店のカフェに入った。2月の比較的穏やかな週で、予報では久々のプラス温度だったが、雪がちらついていた。 帯広の田舎から出てきたムツキは、OLスーツのくたびれが似合うようになってきたら、どうでもいい空き時間をどこにでもあるチェーンのカフェで過ごすことに憧れていた。 町のパン屋より高くてまずいサンドイッチを、味わうこと無く気怠そうにかじり、30分

      • 村上春樹っぽく日記「卵かけご飯」

        今日の卵かけご飯は一際酷いものだったよ。ほんとに。何しろ僕は卵かけご飯が好きじゃないんだ。だけど嫌いってわけでもない。毎回あんまり美味しくないと思うのに、どういうわけか時たま食べたくなるんだよ。そして運の悪いことに冷蔵庫にあった卵でサッと用意して食べてしまうんだ。 昔から卵かけご飯が嫌だった訳じゃない。むしろ好きだったといえる。それこそ実家に居たときはね。それはたまにしか食べられないものだったから。勘違いしてほしくないんだけど、卵が買えないほど貧乏だったわけじゃないし、卵

        • 小説 会えなくなった夢の中のあいつ

          小さい頃良く見た夢。 本家のお屋敷の庭で、おれが一人で遊んでるとあいつが出てくる。 小さなゴブリンに猫のような耳が折れていて、目付きが悪い。 ハリー・ポッターのドビーを初めて見たときはビビった。そっくりで。 数年後、クリーチャーが映像化されたときはそれはもう衝撃だった。 まさしくあいつ。なぜだろう。 「20年も経てば君もここに住むんだろう?」 何も言ってないのにあいつは嫌なことを聞いてくる。 「興味ないよ。おれはちっこい今のマンションが好きやねん。」 本音だ。

        • 固定された記事

        小説 時計仕掛けのパリピ

        マガジン

        • 藍々のエッセイ&コラム
          11本
        • 藍々の短編小説
          7本

        記事

          午前3時 無人の東京駅

          人生初めての東京駅は無人だった。 UVERworldのライブのために訪れた東京。 スパで寝るつもりがふと東京のど真ん中を感じたいと思って深夜に荷物をまとめ散歩に出た。 東京タワーもスカイツリーも知らないが、何故か頭に浮かんだのは東京駅だった。 人生について考えながら歩き辿り着いた東京駅は警備のおっちゃんだけ。 大阪生まれ大阪育ちのおれがこの空間を一人で過ごすことに意味がある。 静寂。 この駅に降り立ち発っていった幾多の人々のドラマと歴史が、映像の早

          午前3時 無人の東京駅

          なぜ僕は「好きなことで生きていく」がしたいのか。働きたくないを叫ぶゆとり達にズレを感じる1人のゆとり。

          こんにちは。藍々です。 1996年生まれの23歳です。 そう、スマホ元年、YouTubeの台頭と共に青春を過ごした世代です。 つまり働きたくないのです。 この意訳は間違ってないと思います。 しかし、YouTuberの名称も馴染み深くなり、芸能人達がネット社会に殴り込む昨今、我々は、そして私は、みずからの叫びを今一度確認しなくてはいけません。 「好きなことで生きていく」は世代の流行になるには危険な思想なのです。 YouTubeの大同私の世代は2012年に高校一年生

          なぜ僕は「好きなことで生きていく」がしたいのか。働きたくないを叫ぶゆとり達にズレを感じる1人のゆとり。

          槍ヶ岳浪人回顧録

          22歳の「私」と3人の仲間は、高校山岳部の同級生であり、在学中を含め北アルプスの槍ヶ岳登頂に悪天候が原因で2度失敗していた。物語は「私」がその高校山岳部の機関誌に寄せた回顧録という設定であり、以下は、彼らが三度目の槍ヶ岳登頂に挑み、山中で朝を迎える場面である。 〜本文〜二日目。一夜が明けた。暗いので明けてはいないが。ここ馬場平で朝を迎えるのは何度目だろう。 ここ馬場平で迎える朝は決まって雨音が聞こえる。 馬場平で朝を迎えた記憶はすなわち槍に到達できなかった日の記憶だ。 アタ

          槍ヶ岳浪人回顧録