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村上春樹っぽく日記「卵かけご飯」

今日の卵かけご飯は一際酷いものだったよ。ほんとに。何しろ僕は卵かけご飯が好きじゃないんだ。だけど嫌いってわけでもない。毎回あんまり美味しくないと思うのに、どういうわけか時たま食べたくなるんだよ。そして運の悪いことに冷蔵庫にあった卵でサッと用意して食べてしまうんだ。

昔から卵かけご飯が嫌だった訳じゃない。むしろ好きだったといえる。それこそ実家に居たときはね。それはたまにしか食べられないものだったから。勘違いしてほしくないんだけど、卵が買えないほど貧乏だったわけじゃないし、卵が高価なものだった時代に生きていたほど僕は年をとっていないんだ。なんせ僕は23歳だからね。
家では母親が食事の全権を支配していたんだけど、この素晴らしい僕の母は、卵かけご飯「なんて」そうそう食べるものじゃないって良く言うんだ。僕が友達から聞いて食べたいって言うとね。僕は卵かけご飯を貧乏くさい食べ物だと思ったことはないんだけど、僕の母にはそういうところがあるんだよ。困ったことにね。

だから卵かけご飯は普段は僕は食べることが「出来なかった」んだ。笑っちゃうことにね。でも僕は卵かけご飯を食べたことがないわけじゃないし、友達の家でご馳走になったわけでもない。まさかね。父親が、今思えば本当に良くわからない話だけど、半年に一回くらい、知り合いの鶏「屋さん」から「良い」卵をもらってくるんだよ。それがお裾分けってやつなのか、プレゼントなのかは僕は知らない。何しろ僕はその鶏「屋さん」に会ったことがないから。

そんな時、母親の機嫌がいいと、そのうち一回分だけ、卵かけご飯を用意してくれるんだ。卵かけご飯を作るって言い方もおかしいからね。だけどこの用意にはちゃんと滑稽なところもある。母親はそんな時、百貨店の食料品売り場で、卵かけご飯専用の醤油を買って来るんだよ。母親によると、「良い卵とそれに見合った醤油がある時だけ、料理として食べるなら」卵かけご飯を許してくれるらしい。ここで毎回専用の醤油を買ってくるって言ったのは、なんせ良い卵を貰うのが半年に1度だから、卵かけご飯専用の醤油も、1回しかつかってないけどダメになっているか不安で、毎回買い替えるんだ。そういう笑っちゃうような神経質が僕の母親にはあるんだ。

そういうわけで、僕にとって卵かけご飯は、実家にいるときはたまにしか食べられないご馳走だったわけさ。もう君にも想像がつくと思うけど、僕がホッカイドー・カレッジで、正式にはユニバーシティらしいんだけど、締まりがないのと皮肉を込めて学生はみんなそう呼んでる。そのカレッジで1人暮らしを初めてから、卵かけご飯を最初の一月で五千回は食べたね。最初は感動もあって美味しかったんだけど、すぐに嫌になった。飽きたわけじゃない。僕は例えばカレーライスとかだけど、美味しいと思うものはそれこそ死ぬまでそれしか食べちゃいけないと言われても全く苦にならないタイプなんだ。
本当に美味しくなかったんだよ。そして気づいたんだ。実家に居たときは、「良い」卵と、「卵かけご飯専用醤油」で食べていたんだってね。スーパーの卵と200円の醤油じゃどうやら満足できなくなってしまっていたらしい。まったく、子育て熱心な家庭だよね。

そういうことに気がつくと大抵は気が滅入っちゃって、もう二度とやりたくないって思うのが普通なんだけど、さっきも言ったように、 どういうわけか しばらくすると また食べたくなってしまって 、いそいそと作って食べてしまうんだよ 。本当のところ。僕も頭が足りてないわけじゃないから、毎回ネギを入れたり、出汁や薬味を柄にもなくネットで調べたりして、そして毎回後悔するんだ。

今日もそんな朝だった。どうしても卵かけご飯を美味しく食べたいって気分だったんだね。いつもならそんなことはお構いなしに違うものを食べて家を出るんだけど、ほんとにツいてることに、今日はなんの予定もなかったから、工夫した卵かけご飯を作ろうとネットを調べていたんだ。僕にお金がたっぷりあればもちろん、父親が貰ってきたような「良い」卵と「卵かけご飯専用醤油」を調べて買っても良いんだけど、生憎財布に負担をかけてまで食べたいようなものじゃないんだ。何しろ僕は卵かけご飯が好きじゃないんだから。

だから僕は安物の卵と家にあるこれまた安物揃いのもので、どうにか美味しい卵かけご飯をつくれないか調べてみると、卵白をメレンゲにするってのがあったんだ。一目見てこいつはイカしてるって思ったね。だって僕が卵かけご飯が美味しくないって毎回思う理由の大部分は、生の白身が気持ち悪いってところだったからだ。どれだけ溶いてもね。その食感をメレンゲにしたら乗り越えられるだろうって僕は思った。それにメレンゲは色も美しい白だ。僕はね、火を通した卵料理は問答無用ってくらい好きなんだよ。もちろんメレンゲに火が通ってるわけじゃないけど、あの気持ち悪い食感のイメージを少なくとも取り除いてくれるじゃないか。フワフワで真っ白なメレンゲは。

調理、と呼んでいいならの話だけど、概ね順調だった。かき混ぜても一向にメレンゲにならない卵白にそうそうに見きりをつけて、ぼくはレンジで温めてやったんだ。もちろん卵白をね。黄身は取り除いてお茶碗に入れておいた。そしたら君、想像してくれるかい?かき混ぜたお陰だろうけど、白身がそれこそスポンジケーキでも焼いたみたいに綺麗に膨らんだんだ。そのキメ細やかさといったらもう、僕が目指したメレンゲに近いって言えるかもしれないくらいなんだよ。

僕は嬉しくてお箸で少しだけ摘まんで食べてみた。とっても美味しいんだよ。これが。さっきも言ったけど、僕は火が通ってる卵料理ならなんでも好きなんだけどね。正直なところ。けれどこれが、ものすごく軽くてキメの細かい目玉焼きの白身のところって感じで、つまるところ最高に気分が乗ってきたんだよ。だから僕は、ご飯をよそってこのチャーミングな加熱処理されたメレンゲを乗せた。そしてもうひとつのお茶碗に取っておいた黄身をその上に乗せようとしたんだ。ここで問題が起きた。卵黄がお茶碗に引っ付いてしまってなかなか落ちないんだよ。やれやれ、と僕は思ったんだけど焦らなかった。お茶碗を軽く振るだけで済むと思ったし、事実落ち込む時間もとらずに軽く振ったんだ。何しろ早くこの過去最高の卵かけご飯を食べてみたかったからね。そしたら悲劇が起きたのさ。お茶碗との接着面で起きた摩擦のせいに決まってるんだけど、卵黄が割れたんだ。みるみるうちにお茶碗の中を黄身が広がっていった。それはもう、本当に泣き出したくなるくらい僕は悲しかったよ。だってそうじゃないか。ご飯に素敵なメレンゲの白身が乗っかった状況じゃ、球体を保った卵黄を置いてこそ卵かけご飯の完成ってものだろう?すぐにその黄身をお箸で割るとしてもさ。そういう、誰が決めたわけでもなくさして内容には影響しないけれど何となくこうじゃなきゃいけないっていう型みたいなのが、色んなところにあるんだよ。少なくとも僕はね。

とはいえ仕方がないから、お茶碗の中で液体に成ってしまった黄身をご飯と白身にかけて、僕は醤油をかけたんだ。この時黄身が入っていた方のお茶碗にどうしても黄身が少し残ってしまうのが本当に腹がたったよ。だって卵黄がここで割れてしまわなかったら、黄身は一ミリグラムも無駄にならずに卵かけご飯になれたわけだからね。そうして、僕はなんとか完成した卵かけご飯を持って机に移動して、お箸でかき混ぜたたんだ。そうしないと意味がないからね。そしたら、案の定というか、これも少なくとも1人暮らしを初めてから1万回は同じドジを繰り返してるわけだけど、かき混ぜるときにお茶碗から少しご飯やそこについた白身や黄身が溢れてしまったんだ。どうしてかわからないけど、毎回僕はご飯をよそいすぎてしまうんだよ。そういうわけで、かき混ぜる時にこんなドジをやらかしてしまうわけだ。これも卵かけご飯が好きになれない理由の1つだね。僕が悪いのかもしれないけど、正直に打ち明けると、食事を楽しみにしてるときにご飯をよそう量に神経質になれるほど、ぼくは頭が働かないんだよ。

溢れて落ちたご飯をティッシュで拾ってゴミ箱に捨てて、机を拭いている頃にはもうとても食べるなんて気分じゃなかった。だけど一口食べてみたんだ。だって捨てるわけにもいかないじゃないか。そしたらこれが案外、食べられないってほど悪いものでもなかったんだ。もっと簡単に言ってしまうと、美味しかったんだよ。僕の予想通り、白身の食感が気にならなくなったことで、とっても美味しい卵かけご飯になっていたんだ。特別どこか光るものがあるって訳でもないんだけど、悪いところが無いって点で、過去最高って言えるものだったね。僕は少しだけ感動しちゃっていたのも事実だよ。

すぐに半分くらい食べ終えると、お箸では食べにくくなってしまった。ここでお匙を使うことは何も苦にならないんだよ。僕にとってね。だけど最後の方は、やっぱり掻き込まなくちゃいけなくなった。やっぱりと言ったけど毎回これを忘れてしまうんだ。すごく大事なことなんだけど、僕はこの、お茶碗でご飯を掻き込むって言うのが大嫌いなんだ。牛丼でもなんでもね。お行儀が悪いとかそういう金持ちみたいな風をふかしたいわけじゃないんだよ。こうした食べ物は卵かけご飯に限らず最後の方はそうしないとどうしてもお茶碗に残ってしまうからね。僕はそれを下品だなんて全く思わない。本当だよ。だけどシンプルに嫌いなんだ。他の人がそうしているのは一向に構わない。なんどもいうけど品性の問題じゃないんだ。どういうわけか食べた気がしないんだよ。なんだかとても、自分が残りのご飯を「処理」してる様な気分になるんだ。そういうことってあるだろう。学校の階段掃除はそこまで嫌いじゃないけど、最後に箒を用具箱に戻しに行くときみたいな、他の人がそれをしてても同情もしないし決して惨めだなんて思わないけど、あの瞬間に自分は何をしているんだろうって気持ちになるんだよね。少なくとも僕は。

どちらにしたってそうして僕は何千回目かの「安物の」卵かけご飯を食べ終えて、味としては悪くないっていうことで過去最高の代物だった訳だけど、やっぱり卵かけご飯は後悔しか残らないし好きになれないっていうことなんだ。何しろ食事の思い出としては酷いものだったってことはわかってくれたと思う。だけどこれまた嫌いとまで言うつもりはないし、しばらく日が経つとまた僕は美味しい卵かけご飯をネットで調べてるんだろうって自分でも思うんだよ。
つまり今日は最悪の朝だったってわけさ。ほんとに。

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